カササギの森では、「欧李」と呼ばれる潅木苗を植えました。中国名では別名「カルシウム果実」という名前がついており、カルシウム含有量が非常に豊富な実を茎いっぱいにびっしりとつける不思議な果実です。植栽に成功すれば、経済作物としての期待も高まります。40cm間隔で苗をどんどん植えていきます。
農家に戻って昼食。昨日の昼食からこれで4食を農家でいただいたことになります。お昼には餃子を作ってくれました。私は肉汁たっぷりの餃子は胃が消化不良を起こすため食べられず、実は餃子が苦手なのですが、この家の餃子はおいしかった!野菜たっぷりであっさり餃子でとても美味でした。
私が今回お世話になった許さん一家。この家のお父さんは村政府で働いていて、この時は不在。右から二人目がこの家のお母さん。長女、次女、長男の三人の子供がいます。長女は北京で働いていて、次女は天鎮県の県城にある高校で寄宿生活を送っています。左端の長男、許力くんは中学三年生。普通ならこの時期の男の子は、思春期で難しい時期のはずなのに、お母さんをよく手伝い、また突然泊まりにきた私達にもとても愛想よく親切にしてくれました。昨日の夕方には、「村を案内してあげましょうか」と行って、散歩に連れ出して案内してくれました。やさしいなあ。
なんでも話をよく聞いてみると、許力くんが小学生だったときにやはり昨日と同じように日本人が小学校に来て、歌を歌ってくれたとのこと。そのことを彼は鮮明に覚えているそうです。確かに2001年と2002年にそれぞれGENツアーと東北電力総連ツアーがこの村を訪れ、ホームステイしています。「日本の人が緑化協力してくれていることは、すごくいいことだと思う」と世間話をしている中で彼がぼそっとつぶやきました。
特にこの地域では、60年前の日本人の記憶がまだ鮮明に残り、語り継がれているはずです。そして昨日小学校で出会った村の子供たちは、なんで日本人が自分達の村に泊まりに来て、小学校で歌を歌っていったのか、なんのことだか全然訳がわかっていなかったかもしれない。でも今日私達が植えた苗木とともに、子供達が大きくなったときに、そこで何かがつながって、新しい日本人像が芽生えてくれていれば、少しうれしい気がします。
なんでも話をよく聞いてみると、許力くんが小学生だったときにやはり昨日と同じように日本人が小学校に来て、歌を歌ってくれたとのこと。そのことを彼は鮮明に覚えているそうです。確かに2001年と2002年にそれぞれGENツアーと東北電力総連ツアーがこの村を訪れ、ホームステイしています。「日本の人が緑化協力してくれていることは、すごくいいことだと思う」と世間話をしている中で彼がぼそっとつぶやきました。
特にこの地域では、60年前の日本人の記憶がまだ鮮明に残り、語り継がれているはずです。そして昨日小学校で出会った村の子供たちは、なんで日本人が自分達の村に泊まりに来て、小学校で歌を歌っていったのか、なんのことだか全然訳がわかっていなかったかもしれない。でも今日私達が植えた苗木とともに、子供達が大きくなったときに、そこで何かがつながって、新しい日本人像が芽生えてくれていれば、少しうれしい気がします。