GEN事務局会田の大同活動日記

中国黄土高原でのGENの活動や、現地の人々の生活をお伝えします。

GENツアー2日目 天鎮県李二口村長城

2007年04月18日 | 黄土高原
 今日はまず李二口村の万里の長城を見学。北京などの観光地化された万里の長城と違い、この辺りの長城は明代に造られたままの姿を残しています。周囲には石がないため、版築といわれる土を突き固める築造法で、黄土だけで造られています。水に浸食されやすい黄土が何百年の間風雨にさらされ続けていても、こうして形を留めていることに心底驚かされます。

李二口村

2007年04月18日 | 黄土高原
長城のすぐ下にたたずむ李二口村。レンガ造りの家がほとんどですが、窑洞(ヤオトン)も見受けられます。
何も植物が生えてないように見える山肌をよく見ると、羊の放牧が行なわれています。この時期は、昨年蓄えておいた飼料も絶える時期で、家畜にえさを与えるのが大変な時期です。こうしてわずかに残っている植生も食べられ、また新芽も出たものから食べられてしまいます。しかしこのように土地が痩せている場所では、耕作での収入が限られるため放牧に頼らざるを得ません。

小老樹

2007年04月18日 | 黄土高原
李二口村の周囲は、広範囲に渡って小老樹が広がっていました。ここまでぐにゃっと曲がった樹を見ていると、自分が方向感覚を失い、世界が歪んでしまったかのように錯覚します。とてもこの地球上の植物とは思えない気もします。

天鎮県南河堡郷東沙河村

2007年04月18日 | Weblog
天鎮県南河堡郷東沙河村へ向かいました。今晩はこの村でホームステイをさせてもらいます。まずは村政府に向かい、郷と村の概略の説明を受けました。
天鎮県の南西に位置する南河堡郷は、天鎮県で最も大きな郷で人口は約25,000人。耕地面積約5,800haのうち、78%の4,530haが灌漑農地ということからも分かるように、天鎮県の中では水資源にも比較的恵まれた地域です。
我々の様子を窓の外からのぞいていたおじいさん。手を振ったら、笑顔で手を振り返してくれました。

村の幼稚園

2007年04月18日 | 農村の風景
昼食が終わり、温まったオンドルで昼寝をさせてもらいました。なんてぜいたくな。お昼2時前に目を覚ますと、外から「日本人来了~!日本人来了~!」「日本人が来た~!」の可愛い声の大合唱。日本人が物珍しくて子供が集まってきたのかと思いきや、この家の目の前が村の幼稚園でした。どの農村の子供の服装も色鮮やかです。

小学校を訪問

2007年04月18日 | 小学校で交流
午後は村の小学校を訪問しました。東沙河村の人口は、約3,000人。今大同市では、効率的に教育を行なうために、小さい村の小学校の統合が進んでいますが、この村には立派な小学校と中学校がありました。生徒数は小学校が250人、中学校は500人とのこと。中学校は周囲の村からも生徒が集まってきているそうです。
小学校の鼓笛隊の先導でツアー参加者が小学校に入ります。全校生徒総出で出迎えてくれました。

出し物

2007年04月18日 | 小学校で交流
まずは小学生が腰鼓(ヤオグー)の踊り、体操などを校庭一面に広がって披露してくれました。この後我々も日本語と中国語の歌を一曲ずつ披露。「幸せなら手をたたこう」の中国語バージョンをみんなで一生懸命覚えた甲斐あって、我々の歌に合わせてみんな手をたたいてくれました。よかった!よかった!

サイン攻め①

2007年04月18日 | 小学校で交流
交流会終了後、それぞれゴム飛び、ハンカチ落とし、大縄跳びなどで子供達と校庭で遊びました。さあそろそろ帰ろうか・・、と思った頃に突如子供達から「サインして~」の大合唱。子供みんなが紙とペンを持って、押し寄せてきました。ツアー参加者の周りを囲んでいます。一人の子が始めたらなんと全校生徒に広まってしまいました!一生懸命サインしても、次から次へと紙とペンが目の前に伸びてきます。せっかくの気持ちに答えてあげたいと一生懸命自分の名前を書きましたが、はて自分はいったい何様なんだろうと、少し恥ずかしくもありました。

井戸端会議

2007年04月18日 | 農村の風景
小学校から本日のホームステイ先の農家に戻りました。もう7時前だというのにみんなまだこうして道端でおしゃべりしています。「まだ家に帰らないの?」と聞くと、「家に帰っても何もすることがないから」とのこと。

夕食風景

2007年04月18日 | ホームステイ
私がホームステイをした隣の家の夕食風景。農家では普段お客さんが来たときは、女性はオンドルの上には上がらないのですが、ここは女性二人がお客さんを接待していますね。右側のこの家のお母さん。とっても豪快な人でした。

この家のお母さんが引き出しから、写真と手紙を出して見せてくれました。2002年にも東北電力総連ツアーがこの村でホームステイをしているのですが、その時に泊まった人から後日手紙と写真が送られてきたとのこと。その手紙と写真が今でも大事にしまってありました。青森の方だったようで、ねぶた祭りの写真も添えられていました。こうやって大事にとっていてくださるなんて、とてもうれしいですね。