忘れえぬ体験-原体験を教育に生かす

原体験を道徳教育にどのように生かしていくかを探求する。

日本的倫理性 3 第1章 私は誰だろうか

2018年03月25日 | 日本の原体験

1章 私は誰だろうか “who am I?” ― 近代的自我批判より新自我へ

 第1章の目的は、現代日本の混迷が近代的自我観に基づいた自我観に起因しているという観点から、近代的自我観の批判と新しい自我観の方向を示し、今日の日本的倫理性の混迷に何らかの明かりを見たいということである。

 

第1節 デカルトの求めたもの

はじめにルネ・デカルト(1596-1650)は近代的自我を発見したことで哲学史上重要である。デカルト哲学が生まれる機縁になった時代背景を説明しておく。

R.デカルトの関心は明晰確実なものを求めることであると本人は記述しているが、コギト「我思う故に我在り( Cogito ergo Sumコギト・エルゴ・スム)」(「方法序説」デカルト 谷川 多佳子訳 岩波文庫)によればそれは自分というものを巡ってのことのようにみえる。しかし、その目的は中世のキリスト教教会主義に対してそれに代わる新しい保障を得ることであった。彼には教会への懐疑が根深かった。そこには教会権威を既得権益とする支配者達に敵対して台頭してきたブルジャジー達の正当性を獲得する政治的な思惑があった。それは教会の神存在の証明の理論的根拠が破綻したことから来ている。教会学問はデカルトを支えるものではもはやなかった。それに代わる新しい根拠が必要であったのである。それは教会的迷信ではなく当時の社会に新興して来た工業的技術の発生源である知識であった。この技術・知識がブルジャワジー達の力であった。それを根拠とする生産と流通から生まれる富が支配者たちを凌ぐ力をもたらしているのである。この知識・技術の正当性を彼は必要とした。その正当性はもはや教会に依るものであってはならなかった。それは貴族たちの権威の象徴であったからである。そうではなく自分たちの根拠を要したのである。

しかしその権威の拠り所はなかなか見つからない。当初ブルジョワジーが傾倒した方向は古代ギリシアであった。つまりローマが生まれる前、中世貴族者たちとそれが根拠とする教会が生まれる前の社会である。それがデモクラシーである。市民政治である。しかし近世の産業技術とその知識の根拠は古代ギリシアにはなかった。古代ギリシアにあったのは自然哲学とソクラテスの人間哲学であった。そこには科学哲学はまだない。従って科学的思考を裏付ける人間の知的根拠はそこには求められない。自然哲学は自然にプシュケー(魂)を見ていたからである。

デカルトが追い込まれたとどのつまりは古代ギリシアの自然哲学からも中世の修道院護教神学からもはみ出た、孤独な「我」であり、ある意味ではデカルトはその孤独な我であることを決意したのである。近代的自我の発生はこうして生まれた。そこでは科学的技術・知識を以て歴史の転回が行われたのである。こうした過程の中でデカルトは人間の本質的な有様に接触している。自分たちの生き方に根拠を得る必要があって、その根拠は形骸化した自然哲学からも教会哲学からも実質的に自立して存在するということであった。それが、デカルトが獲得した独立であった。それゆえデカルト的自我は独我論であるとの批判を蒙ることになった。しかしここにはデカルトの錯覚がある。錯覚とは、その「我」を実体存在者だと思ったことである。そしてその実体を瞑想することに専念せず、実態から離れてその外に向かっていったことである。そうした経緯を以下に述べる。

先ず、近代的自我観の基礎付けとなったデカルトの命題「我思う故にわれあり」の分析から検討する。

 

第2節 デカルトの命題にある幾つかの我

1)コギトの解体

初めに述べたように、当時の時代状況の中でデカルトは確実なものを求めた。そして「我思う故に我在り」という確信に到った。これはデカルトが自分の存在を確信した言葉である。しかしどんな存在を確信したのかはこれだけではよく分からない。そこでそのことについてこれまで多くの人たちが解釈して来た。ここではそうした解釈に囚われず自由に考えてみる。

この「我思う故に我在り」は「我思う」の我と、「故に我在り」の我によって成り立っている。前者を思惟の我(我1)とし、後者を存在の我(我2)とする。それから実はその他にもう一つの我がある。「我思うゆえに我あり」だということを自覚した我がその外にいる。これを自覚の我(我3)とする。「『我思う』に気づいた我」(我3)は「我在り」(我2)と結論付けた我であろう。このとき「我在り」(我2)の我は「『我思う』⇒思っている我」(我1)の我であろうか。つまり(我2)は(我1)のことであると考えられるだろう。(我1)と(我2)が同じであるかないかによって事情はどう違うかを検討してみよう。

2)(我1)と(我2)が同じ我であるとする場合から始めよう。

「我思う故に我あり」の命題を分析すると、「我あり」(我2)という結論は「我思う」(我1)から引き出されたものである。つまり「我思う」(我1)は「我あり」(我2) の根拠となっているのである。ここで奇妙なことに気づく。(我1)も(我2)も同じ我であるとすると、「我あり」という結論が「我思う」という根拠に先取りされているということになるのである。であるから「我思う故に我あり」の命題の示していることは、「『我思う』は『我在り』を含んでいる」ということである。つまり根拠の中に既に結論が前提とされているのである。「我思う」と「我在り」は「故に」という関係ではなく、同一の関係なのである。言い換えると「(「我在り」という)我は思う。故に我在り」ということである。もう少し見ると「我在る故に我思う」ということにもなるのではないだろうか。「我思う」ということの自覚によってその背後の「我在り」ということに気づいたということではないだろうか。従ってこの場合「我在り」ということの根拠を示していることにならないのである。このようにデカルトのコギトはよく考えるとおかしなことがあるのである。

3)(我1)と(我2)が同じ我ではないとする場合を見てみよう。

「我思う」(我1)の背後に「我在り」(我2)が隠されていないか、あるいは隠されているとしても(我2)とは違うものではないかという可能性を見てみよう。デカルトの命題が前提にしていることは「我思う」において「我」が「思う」とされていることである。この我は近代的自我とされている我である。デカルトのコギトは近代的自我の確立ということで西欧哲学の基礎となっている。しかしこの命題は幾つかの刺激的な思い付きを与え、それらが奇妙で魅惑的な混乱を引き起こして、迷路にはまり込んでしまうのである。この魅惑的な迷路の中で近代的な自我が顔を出し、「我在り」という悟りのような位置を獲得するのである。そこでその近代的自我というものはどんなものかを検討してみよう。「思う」「我」(我1)は「在る我」(我2)ではない。まだ存在に届かない我である。言語の意味としては矛盾する。というのは「我」という語は存在を内包しているように私達は使っているからである。しかしここではその一般的用法に従うことができない。すなわちデカルトの近代的自我はまだ存在に届かない「思う」だけの「我」ということである。否、「我」とも言えない、「思う」何かである。否、何かとも言えない。「思う」現象なのである。しかしデカルトはそれに気づいていない。気づいていたとしてもこの「思う」現象だということを採用しなかった。そして「我」を実体化してしまったのである。

4)近代的自我の姿

近代的自我というものは、中世的な教会支配下の人間観から、何者にも支配されない独立した人間へと移行するところに発生したものであることはすでに述べたことである。近代が中世のキリスト教支配から抜け出すためには神という人間存在の根拠に変わるものを捜し求めねばならなかった。デカルトはその根拠を「我思う故に我在り」によって、「我思う」に置いたのである。近代人としてデカルトは明晰なものを求めて一切を疑う内に、疑う自分だけは疑い得ないということを発見したが、彼の疑いの始まりは近代人としての自我である。だからこの「我」はデカルト的近代的自我をはじめに置いているのである。そもそも疑いは近代的発想である。だから自分だけを信じようという主張をしているのである。従って明晰なのは「我在り」なのではなく「我思う」である。この近代的自我としての我は孤独である。なぜなら何者にも根拠を置くことを拒否しているからである。従ってこの我はどこにも存在していない。というよりただ思うだけである。「思う」ということは「在る」から成立するのであるが、そんな常識的な規範はここでは拒否されている。もし一歩譲っても、どこにあるかということを示してはくれない。何故なら「思う」ということが始まりで、そこ以外に世界はないからである。従ってあるとすれば、「思う」という世界に在るとしかいえないのである。しかもその思うという世界は一切のものを疑うという近代的な「思う」である。だから存在でさえ「思う」を根拠にせざるを得ない。そこ以外のどこにも存在できない。もっと言うと、デカルトの命題には本当の意味での存在はないのである。「思い」だけがあって、近代的自我は思い続けなければ存在できないという構造に落とし込まれているのである。

結局は「我思う」の「我」つまり(我1)は表現上の「我」であって、欧米言語では欠かせない形式主語的な役割を果たしているに過ぎず、空虚なのである。しかし「我」という表現のせいで「我」の持つ内容が入り込んで混乱させているのである。従ってデカルト的近代自我は空虚で形式にすぎないものとなる。もっと言えば実在しないものということになる。そして「思う」だけが真実だということが判明するのである。しかしデカルトはその「思う」に「我」を置き、実体化してしまったのである。

5)デカルトの命題の奇妙な魅力 (「我思う」に見る「2つの我」)

デカルトの命題が奇妙な魅力を持っているのは、なんだか魅惑的なインスピレーションを我々に与えるからである。その正体は一体何であろうか。「我思う」の「我」(我1)がデカルト的近代的自我だということに拘らなければ、「我」はそれほど孤独な立場にはいなくなるのではないだろうか。先に見たようにこの命題は「思う」ということが先にあるが、この「思う」が近代的な排他的「思う」ではないという場合を考えてみよう。命題からのインスピレーションは(我1)にデカルト的近代的自我ともう一つ別な「我」を同時に示してくるのである。この別な我を(我?)としよう。しかし(我?)は(我3)ではない。(我3)は「我思う故に我在り」全体を見ている我で、いわば結果的な我である。それに比べて(我?)は「我思う」の「思う」の現れる前の「我」とも言えない現象である。つまり「思う」が現れたのである。(我?)は我というよりもっと他の何か(ー?)である。しかしここでは(我?)としておく。

(我1)は、欧米語は必ず主語を必要とするから、私達日本人的には必要としない「思

う」だけのところを、「我」を主語として入れて考えることによってつけられた所謂、形式主語である。「(我1)とはそうした複合的な曖昧さの中で、何かに魅了された幻惑によって、近代的自我だけを樹立してしまっているのである。魅惑的なのは(我?)の方であるにもかかわらず、それは置き去りにされ、孤独な近代的自我にその魅力を、幻惑のうちに盗取されて、独占され、隠れてしまっているのである。偽装しているのである。これを「コギトの幻惑」と言いたい。私はそれを「天岩戸隠れ」に連想する。

 「天岩戸隠れ」は日本神話で天照大神が岩戸の中に隠れてしまって世の中が真っ暗になって困った事件である。これは歴史的事件と言うより我々の内的深層意識の話である。つまり(我?)が隠れていて本当の自我が分からなくなっている状況である。「天岩戸開き」は我々の天照大神(我?)が開かれて再出現することである。デカルトはその深い自我に届いて接触したものだと思われる。コギトはそうした非論理的な直観世界を再現する呪文のようである。

6)「コギトの幻惑」

デカルトの命題の不思議な魅力は、上記「4)近代的自我の姿」で見たように、デカルト的近代的自我は孤独で、根拠のない、身勝手であるしかないものであるから、そこにあるというより、前述 5)の(我?)にあると言える。しかしその(我?)はコギトの発想に複合されているが、いつの間にかコギトの示す世界からは消えているのである。コギトの魅力の根拠ではあるが、コギトの晩餐には招かれてはいないのである。近代的自我観の中には含まれていないのである。しかし近代的自我観はその(我?)の存在を隠してしまって、その魅力だけを取り込んで、自らが魅力的であるかのように欺いていると言えるのである。こうした過ちを「コギトの幻惑」と私はいう。

コギトの幻惑が犯される原因は私たちの洞察の光がその分野にはまだ達していないということによって起こるのだろうと思われる。デカルトは中世の教会主義や貴族支配から逃れる原理を打ち立てる目的のためにこの真我の方向を見失ったと言える。もしデカルトがそうした政治的、権力的な目的に関心がなく、真我を求めていたなら(我?)に到ったであろう。ここには日本的倫理性の道を究める生き方との根本的な違いがある。近代において指針を見失ったデカルト達はその近代的自我を着想することによって、この幻惑を犯してしまったものと思われる。

 

第3節 「思う」と主体

1)「思う」主体の存在

 私は「第2節 4)」で「思う」だけが事実であると推断し、5)ではその主体として(我?)を提示した。この(我?)はその正体はまだ明確ではない。ここには「思う」の主体はあるのかないのかを含めて、あるとしてもデカルト的近代自我「我1」とはおよそ様子の違ったものであることから、それがどういう様相なのかを見てみる。

①    「思う」主体はあるのか:その疑問から再吟味してみると、第1に、「思う」というこ

とは主体がなければ成立しないものだろうか。ハイデッガーは「思惟は向こうからやってくる」(「思惟の経験より」ハイデッガー 理想社)、という表現で、このことに関連することを暗示している。言葉的には我思うは主語と述語の関係である。この場合、主語は名詞で述語は自動詞でもあり、他動詞でも有り得る。我々の言語では名詞は存在者であり、動詞はその存在者の行動である。そこで「思う」というからには「我」という主体が当然前提にされているのである。しかし我々のこの言語用法は必ず妥当なものであろうか。デカルト的発想はこの言語文化への無前提な信頼に基礎を置いているのである。平安文化や万葉文化の中に私たち日本人は主語のない表現を持っている。三上文法では「思う」には主語ではなく主題があると言われる。これは何を提示しているのであろうか。

 「思う」の主体と「思う」と言うこととの収拾は西田幾多郎の場所論にヒントがある。これはこの小著が目的とする日本的倫理性が追及している確信的な問題に関わる。私は「第2節 3)」で「『思う』現象」といったが、その現象の主体はデカルト的近代自我「我」とはし難い。近代的自我の範疇を超えているからである。現象する「思い」が「我」をも伴い、「存在」をも伴ってくるのである。従って「思い」にはデカルト的な意味での主体はない。その「思い」とは何であるのだろうか?それは認識の淵に届いて意識化した現象である。それは単に認識に限定されるものではなく存在そのものが意識と化したものであり、存在と無縁などではない。「思う」の主体として(我?)が候補となるなら(我?)はこうした存在に匹敵するものである。

②    「思わない」主体:デカルトは「我思う」ということを最も明晰なこととしたが、「我

思わず」ということにも言えるのではないだろうか。思わない「我」は明晰ではないのだろうか。「思わず」とも私達は存在しているのではないだろうか。思い続けなければ存在できないことはないのである。それはデカルト的近代的自我観が「思う」ということを存在根拠にするという無理から来ているものである。「思わない」「我」は「思う」ということによって保障される「我」ではない。すなわち近代的自我ではない。この(我?)としている「思わない」時もある「我」はデカルト的「思う」時の「我」をも含みこんでいるものである。デカルト的近代的自我は「思う」時しか存在できないが、ここに(我?)はそれにかかわりなく存在している。この「思わない」主体とは何であろうか。無念無想の「我」存在とでもいえようか。「思い」も「思わぬ(無心)」も共に遍在している世界である。ここにこそ(我1)のはじまりが伺えると思われる。「我思う」の始まりはこの主体の存在主張であるともいえる。コギトの幻惑によってこの主体は近代的自我に錯覚されてしまっているのである。こうした幻惑に陥ったとはいえ、こうした失われた自己の基盤を求めさせたのはこの主体である。この主体に焦点を当て、この主体に帰るのが現代のテーマである。デカルトが明晰確実なものを求めた本来的動機となっているのはこの主体への志向性であると思われる。しかしその志向性はコギトの幻惑によって薄れ、抹殺され、魅惑的な香りだけを残して、姿を隠しているのである。しかしこの主体としての(我?)は①で見たようにデカルト的な意味での主体とはおよそかけ離れたものである。

③    何が明晰さを求めたか:そこで、デカルトは「思う」という近代的行為のみを明晰で

あると主張したのである。しかし今見ているように、「思わぬ」という行為も不明晰ではないという主張をすることができるのである。ここでは「我思う」のは必ずしもデカルト的な「我」ではない「我」であるという発想が持たれている(我?)である。デカルト的には、一切を疑い確実なものを得ようとする時その発想を持つのは「我思う」の「我」であろう。この「我」はデカルト的には近代的な自我であることを我々は見てきたが、ここではそれと違って(我?)としての「我」としている。この(我1)は明晰確実なものを求める「我」である。デカルトは明晰確実なものを求める「我」がいることだけは明晰確実だといったのである。しかし明晰確実なものを求めるのは必ずしも近代的自我だけの専売特許ではない。一体明晰確実なものを求めるのは「我」であると断定できるのであろうか。明晰確実なものを求めている何者かがいて、その何者かは「我」であるということではないだろうか。「我」とはそういうものではないだろうか。「我」が先にあって求めるのではなく、求めが先にあってそこに「我」が発生するということも言えるのではないだろうか。歴史的事情から明晰確実のものを求める自我が形成されたことは言えるであろう。そうした自我は近代的自我と言えるであろう。しかし明晰確実なものを求めるのは歴史的事情や環境によって形成されずとも、人間の本性的な欲求であり、デカルトの(我1)はそうした両面性のある「我」として混同され、本性的な欲求が言語的・文化的という環境的欲求にスリップしているものであるというのがここで主張されていることである。この本性的欲求の出所を(我?)としているものである。

明晰確実なものを求めることは、古事記的には、思兼神(思い兼ねの神)の業である。天照大神が天岩戸隠れの折、天の安河原で諸神と諮り岩戸開きを計画することがそれであるように連想する。

酒井潔氏が「自我の哲学史」において、「こうしたデカルトのコギトは「懐疑を方法としながら、実は最初から、我の存在並びに意識(思惟、コギト)の明証性を2つの聖域に設けていたのである。懐疑が真に徹底されるべきでなら、そうした私の行う説得、あるいは思惟そのものも否定されなければならなかったはずであろう。しかしデカルトの懐疑は、「私」の存在には向けられぬばかりか、意識の、疑ったり自己説得したりする働きそのものの明証性にも決して向けられない。」(PP.39-40)と指摘するのは当を得ている。しかし私はこうした酒井潔氏の指摘どおりではないと思う、つまりデカルトの作為によるものではないと思う。次の第3節でみるように西欧近代個人主義の本質を示しているものと考える。その前に末永氏文美士が、この(我?)に関連したことをマリオンの「存在なき神」によってのべている説を次に検討してみる。

 

第4節 コギトの発展

1)マリオンの存在なき神

末木氏は近代科学の合理主義によって説明される世界を「顕」とし、それに対して近代科学・合理主義によっては説明がつかないが故に、迷信とされて存在を抹消された存在を「冥」とし、その意義を主張する。そしてハイデガーの存在論に唱えられている存在者の陰に隠れている存在を「冥」なるものとし、着目することを主張する。しかし「顕」はもちろん「冥」も存在を問題として議論される対象である。真の存在はそうした存在を超越して「溟」としても現れることがないものである。マリオンはこうした「顕」や「溟」のような存在者ではないところに(我?)に類似して存在なき神=神とした。これに倣って松木文美士氏は有無を超える無=無を主張している。それは有と対立する無ではなく、有無をともに入れる根底なき無(←マリオン的)である(「哲学の現場 日本で考えるということ」末木文美士 トランスビュー PP.141-142 下図は同著より転載)。これは私の言う(我?)あるいは(ー?)に関係する世界であると思う。

 

 

2)カント認識論への発展?

デカルトはこの疑問を「哲学原理」において意志作用によって解消している。「思う」という意識の極めたことの真偽の決定は意志が行うというものである。コギトの「思う」には「意識と意志」とが含まれており、そこにデカルト的コギトの魅力が潜んでいるのである。しかしデカルトがその意志としての部分を捨象し、性急に意識の部分に偏って進んだことが違和感を持たれるところである。

 カントがこのデカルトの意識的部分を強調し、判断力批判において意志的部分を寸断し、主観における現象世界として世界を理論づけたことはそののちの欧米哲学や科学を発展せしめるに大変評価されるところであるが、果たしてそれで、デカルトのコギトがカント哲学の未発達型ということができるかどうかは疑問である(「哲学原理 ルネ・デカルト」から考える私」を読む―」荒井正雄 愛知教育大学学術リポジトリ)。

 デカルトのこの意志作用を、カントの認識部分や、それを取りまとめる超越論的自己意識(統覚)と考えることは一面的には納得できることである。というのは、デカルトは意識の発生や意識の現象も超越論的自我に内在的するものとすることを打ち消していると思われず、これはカントの統覚に類似するからである。しかしコギトを確信させるものはカントの統覚とは別で、「在る」ということを決定した意志作用である。カントの統覚に相当する「思う」ということが「我」に帰属するのであるから、そこにも意志作用があるのではないかということが言えれば、デカルトの意志作用はカントの統覚と言えるであろうが、この場合「在る」と意志した意志作用は除外されていることになる。つまりここには「思う」という意識行為と「在ろう」という意志行為とが混同して同居しているのである。そしてカントはこの同居を切り離し、意識から「在ろう」という意志部分を避けてしまったのである。

 これに対してデカルトのコギトは、カント哲学の未発達型というより、まだ日本的倫理性がテーマとする意識と意志の未分離状況が残されていると考えられる。デカルトのコギトにはこの合一点が見られると考える。この意味ではデカルトのコギトは日本的倫理性の方向に踏みとどまっているものであり、その故に我々はコギトに何か強いインスピレーションを感じるのである。

 西田幾多がその「デカルト哲学について」で以下のように記述していることが該当するだろうと思う。「私はカント哲学に到って、純粋な科学の哲学に入ったと思う。カント哲学は科学的自己の自覚の哲学である。しかし単なる科学の世界は、自己自身によってあり自己自身を限定する真実在の世界ではない、真の具体的実在の世界ではない。最初に言った如く、カントはこの問題を打切ったに過ぎない。実践といっても、そこからでは形式的規範が考えられるだけである。カントの実践哲学は、近代社会における市民道徳の基礎附けである。私は決してカントの道徳的規範を無視するものではないが、今日の歴史的世界は新なる哲学の出立点となる実践原理とを求めるのである。我々はなお一度デカルトの出立点に返って考えて見なければならない。」(「デカルト哲学について」西田幾多郎 青空文庫)
3)日本的コギト

西田的日本精神性は、つまり純粋意識の分離と合一の両側面にあるという、日常の凄惨な生活世界で、その凄惨な状況は変わらないままでは、どんな意味があるのかというと、その凄惨さが無に基づくものであるということを知っているというところにある。

これはすべての事象を客観的科学的に把握しようという欧米のやり方と目的を同じくするようである。これが西田にしてさえもデカルトのコギトに「デカルトの「余は考う故に余あり」は推理ではなく、実在と思惟との合一せる直覚的確実を言い表したものとすれば、余の出発点と同一になる。」と言わせるほどに微妙な思考の流れがあることに依るコギトの誤りのもとである。

西田をしてかく言わしめたデカルトのコギトの微妙なミススリップは「第2節 6)コギトの幻惑」で見たところである。

日本精神性においては、意識はやがては純粋意識へと成長していく連続性にあるものであり、これをどこかで区切るということには合点がいかないところである。意識は純粋意識である以外には言いようがないのが正直なところである。従ってデカルトのように自我意識として実体化することには違和感がある。しかしデカルト的自我意識はそれだけが明証であると言い、それ以外が打ち消されることは、意識には自我も純粋も区別されないという日本的意識観に基づけば、同様な主張にあるかのように錯覚される可能性が大きい。この点で西田もデカルトのコギトに自身の純粋意識との類似を感じたのかもしれない。そしてデカルト自身もコギトの明証性の精神状況においてこの西田的な純粋意識に近接したかのように思われる。デカルトのコギトの明証性は論理的展開によって到達したものではなく、直接直観によるものであるというのは、「疑っている私の存在は確実である。」というコギトは論理的結論ではなく、即的直観であるといえるからである。即観と言える。論理的に展開するなら、コギトは論理的誤りを犯しているものである。つまり「我思う、ゆえに我在り」は我ありの覚悟の前に「我思う」という我を持ち込んでしまっているから、論証すべきことを先に使っている誤りを犯しているからである。

しかしデカルトのコギトにはそうした論理を超えた「我あり」という覚醒が起こっているのである。その覚醒は霊的とも言える体験であり、「我あり」というものとされ、ここから近代的自我が発生するのだが、この「我あり」の直観は「我」より「在り」ということの確信であるだろう。何者であるかということではなく、存在者の存在の確実性を直感したものではないだろうか。ところがここでデカルトは(我)の側にスリップインしているのであり、ここに西田との決定的な違いがあるのである。西田はデカルトのコギトに実在と思惟の合一を見たが、しかしそれは無におけるものである。西田における「無」は無私から連鎖的に無が連続して、ついには存在者の無へと溶け込んでいく。デカルトの体験は西田がみたように思惟と存在の合一であると思われるが、その存在は存在者の存在の直観ではなく、逆に自我を志向していた。この自我意識はついには西田の言う純粋意識とは異なる。そこには反省意識が混入しているといえる。デカルトは明晰なるものを求めたのであるが、その根底には「自分にとって明晰である」という自我に基づかせるという反省がベースにあったといえる。この点において酒井潔氏をして「こうしたデカルトのコギトは「懐疑を方法としながら、実は最初から、我の存在並びに意識(思惟、コギト)の明証性を2つの聖域に設けていたのである。」(前掲書 酒井潔)と言わしめるものと思う。そしてそれはむしろデカルト的な欧米の近代的エゴの本質を示しているものではないであろうか。

こうして西田的日本的精神性は無私に基づく意識の基礎づけにあることが分かる。我々は無私の世界においての意識によって生きていこうという姿勢にあるのである。この姿勢の効能は仏教的に言えば自我観による無明からの解放である。それは、自分が何者であるかを求め、また日々の生きる意味や基盤や目的を追求することに覚醒を得て、安心に生きることを可能とするものである。先ず真理というものはあり、それに至る道があることの覚悟による安心である。さらに私の意識や考えや悩みや苦しみ等などが私のものというより私が存在している全世界のものに他ならないという合一観から来る覚悟の世界を歩むという明らかな境地である。

我々は理屈によって、論理によって納得することでこの問題を解決したいのではない。我々は確信して、即的直観によって自らの存在や生きることについて知りたいのである。それは学問や研究が可能とするものではなく、学問や研究はそれへと導く場合もあるものであるが、即観を与えるものではない。日本的倫理性はその即観を得ることをテーマとしているものである。

 この即の観はそこに至るために諸々の方法があり、それぞれ素晴らしいものである。たとえば「日本仏教」諸派や種々の「道」などを上げることができるであろう。

4)デカルト的近代自我観と日本的自我観の対照

自我観について、デカルトの近代的自我観はそのスタート時点から間違っていることが考えられる。「我思う故に在り」の「我」は基本的に我々にとってはまったく異質なものである。日本人には「I」はないという見解がある。日本人の「我」は欧米人の「I」とは根本的に違うものである。日本人の「我」は社会を引き連れて、社会を含めようとする志向性に基づいて形成されているが、欧米人の「I」は社会から区切られ、社会から独立したところで形成されようとする志向性に基づいている。従ってコギトははじめから我々日本人には求めの外にあるものである。(「日本人の脳には主語はいらない」月本洋)

 デカルトの「我」が欧米の言語脳の構造からくるという見解から見ると欧米人にとっては「我」は必然的なものである。しかし日本人にとっては必要としないものであるからそうした自我観はテーマとならないものである。

 しかしグロバリゼーションの見地から国際理解のためには欧米人の拘りを理解するという意味では必要である。欧米的な自我は先ず自他の観念を定立し、自他分離観が強いということを理解しておくことが大切である。その上で共有観を提示し、共同性を樹立するという手続きが必要なのである。日本語が明治以降欧米観念を造語したのはこうした欧米的観念を理解することによって欧米脳に配慮できてきたということになる。

欧米脳においては自我が確実ではないというところにある。つまり、言語野が自我を感知する視覚野から距離があるのでいったん自我を定立するのである。日本人においては同じ左脳の視覚野から直接言語野に伝わるので自我を定立する前に会話が進められる。したがって欧米脳では自我は明確に言語化されており、自我の説明や確立は重要な問題である。デカルトの自我はそうした背景で追及された。そうして確立された自我が人間のあり方に自我という軸を供与しているのである。

この自我「I」は我々日本人には必要としないものである。この自我は自我の外在化をもたらす。欧米人が母音を右脳で聞くということによってその隣にありそれに連動する分離脳が自我ばかりでなくあらゆる存在についても外在化する作用をすることはあり得ることである。欧米科学精神はこうした分離、外在化に基づいているということになる。

日本での科学は欧米的分析や外在化を方法論的に採用して発達している。日本人の脳は合一的に理解するので問題の解決を自分の側を改善することで解決しようとする。また証明や理解も内的な同意や同情によって解決しようとする。例えば乗り物について、欧米人は道路を石敷きにし、アスハルトを敷き、車や列車を作り出した。日本では牛車を籠に変え、つまり自分の側を変えようとする。欧米的手法ではエヴィデンスによって立証し、同意を得ようとするが、日本人は同情に訴え、地縁血縁に寄ろうとする。つまり内在的に合一しようとするのである。那須与一の弓矢も内的な同一により、オイゲント・ヘルゲルの弓道の世界もそうである。自我観においてもこうした内的な解決を図ろうとするのが日本人的で、デカルトのコギトについても日本人的な反応では、自我の内的な合一の追及と受け止められる。しかしデカルトにおいてはそうした内的合一は自覚されていない。しかしそのコギトは内的な合一に近接している(「日本人の<わたし>を求めて 比較文化論のすすめ」新形信和 新曜社)。

 日本人がコギトから受けるインスピレーションは内的な合一観である。内的な合一間とはすべての世界が自分と合一することである。これは西田幾多郎の純粋経験や絶対矛盾の自己同一に共通する。日本人にとっては、コギトは存在との合一観の獲得・自覚を意味するものである。

一方欧米的にはコギトは「我」が「思う」という行為に外在する。「思う」ということが純粋に直接的に在るものである。純粋で直接的であるから明晰で確実で疑いの余地のないものなのである。しかしそれはデカルトのように「思う」は「我」という存在者へとスリップインするのである。この我は完全に分離された、独立したものであることが求められる。いわゆる実体とされるのである。


日本的倫理性 2 要約

2018年03月25日 | 日本の原体験

要約

第1章 私は誰であろうか
この章では現代欧米倫理性の近代欧米自我主義の樹立者カントの自我論を扱う。
第1節ではその歴史的経緯を説明している。教会や貴族という支配者達に代わって台頭したブルジャジー達には新しい支配原理が必要であった。それがデカルトのコギトである。何物にも支配されない独立者「我」である。
第2節ではその命題「我思う故に我あり」を分析し、その「我」を詳細に分析している。第1項では3つの「我」に解体された。第2項ではこれらの「我」の関係が分析され、第3項では「我」の実在は「思う」と現象によっているのではないかと指摘され、第4項はこの点がもっと追及され、「我」の実体性が疑われている。そこで「思う」が明晰なのであり、実はデカルトには存在はないのではないかと推断される。ここにデカルトの過ちがある。第5項、にもかかわらずデカルトのコギトには奇妙な魅力がある。その出所の原因はコギトの背後に隠れている(我?)にある。この我は捕えがたく「我1」にスリップしてしまう。「我1」は(我?)の魅力をまとって魅力的にわれわれを欺いている。これを「コギトの幻惑」という。第6項は「コギトの幻惑」を定立的に確認している。
第3節は「思う」は主体を有するのか、またそうだとすればどのような主体なのか、その実状はどうかを問題としている。第1項は「思う」にはデカルト的な意味での主体はなく、先ず現象であり、(我?)を提示しているが、西田幾多郎の場所論をヒントにしたい。それは「思わぬ」ということも含めた何ものかであり、また明晰を求める何ものかである。
第4節では第1項は(我?)のヒントとしてマリオンの存在なき神を示し、第2項ではデカルト的「認識と存在論」をカント認識論へと展開してみた。その結果カントはデカルトの(我?)への可能性を閉じてしまっている。デカルトにはその意味で日本的倫理性への道は開いていたと考える。第3項ではデカルトのコギトから日本的なコギトを思案している。デカルトのコギトは実は西田哲学の純粋経験や純粋意識に接触するものであるが、実体的「我」にスリップしたものであることを指摘し、第4項ではデカルト的「I」は日本的な「我」とは根本的に違っているので、我々はデカルト的コギトにではなく日本的倫理性によって生きていく道があることを言っている。例えば欧米のように自己を外に外在化し、外を変えるのではなく、自己の中に内在化し、中を変えていくという文化傾向などに象徴される。

第2章 ジョン・ロックのタブラ・ラサ
第1節では、タブラ・ラサにはマジカルな力があり、近代以降大きな影響力があるということを言っている。その訳は、私たちの精神が白紙であるということは強いインスピレーションを与えるからである。
第2節では、その白紙状況の実態を調べている。第1項では現実的に私たちが白紙であるというのは立証されているのかという観点から調べると、時間的に初めが白紙であるというわけではなく、精神に感覚や観念が発生するプロセスにおいて白紙であると言っているようである、と言っている。第2項では白紙状況は感覚と理性によって埋められ、第3項ではこの感覚や理性と言う認識能力の発生問題を提起し、第4項でそれらが身体に起因するものだと言っている。ここでロックの理性の位置づけには課題が残ると指摘しているが、課題を残しながら第5項ではその裏付けをしている。第6項はそのロックのタブラ・ラサは知識主義的で環境主義で、そこには私たちの主体的な自我のようなものが見えないと言っている。ロックはデカルトの生得的理性を批判するが、第3節ではこのロックの問題の所在を検討する。
第3節では英国経験論的な認識の構造を検討する。先ず感覚について検討している。第1項では感覚は感覚器官(身体)外部から感覚器官を通してやってくる、つまり対応しているということの検証をする。そうすると第2項では黄色と痛みの感覚の事例から感覚性質は感覚器官の外部のものとは違うということが判明する。そこにはクレパスがあってパラレルがみられる。結果的には感覚性質の所在は不明である。第3項ではこの問題の大きさを指摘し、第4項でこれらの間を埋め合わせているのはワープ現象であると主張している。第5項は言語とここにおける言語の役割を指摘しているが、ここにもパラレルとワープ現象が出てくると言っている。第6項ではこうした直接的な関係を立証できない、パラレルなそれぞれの世界が言語的・感覚的に現象することを認識の場で説明できないかといっている。次いで第7項からは理性ついて同様に検討している。第7項では理性の位置づけから見ると、ロックのタブラ・ラサは現実的には成立しないもので、論理的設定でしかないとわかり、第8項でこうしたロックの理性には行き詰まりがあり、認識と実在の問題の解決に依る必要があると考えている。カントの物自体の問題に波及するが、理性においても認識の場があげられる。
第4節ではロックのタブラ・ラサに提案をする。第1項ではタブラ・ラサはロック的な感覚知覚や理性観念だけがその内容とは限らないので見直せないかというものであり、第2項ではロックの感覚と知覚や理性と観念とがパラレルであるように、知覚や観念とタブラ・ラサの内容ともパラレルであれば、パラレルを解消する場所について考える必要が出てくることになる。第3項ではロック的タブラ・ラッサの呪縛を分析している。白紙状況は日本的倫理性の本質である禅的無我の境地を連想させ、それゆえに強いインスピレーションに魅了されて、いつの間にかスリップして無我の世界を経験的物観念に侵されているという仕掛けになっている。第4項ではその結果の物化した私たちを自覚し、第5項で本来のタブラ・ラサである無を指示し、第6項では日本的倫理性である悟りへの展開を提案している。

第3章 ライプニッツのモナド論について
ライプにチュのモナド論は総合的・体系的でその自我観はユニークで説得力に長ける。
第1節ではモナドについて予定調和を含めて一応の外観をする。第1項はモナドについて、具体的な個である実在で、実体観念であるが、窓がない、しかし一つ一つのモナドそれぞれ宇宙である。これは人間個々人にも当てはまる。疑問はそうしたモナドとモナドの外との関係はどうなっているのかということである。ここでの枠内の論点は重要である。論理的に固定された実在がその論理的説明を満足しながら、しかもその論理を超えて実在しているということであるが、それより重要なのは、モナド論の「モナドには窓はない」の定義がモナド論的にその定義を満足しながら、その定義からはみ出るという、モナド論的不思議世界を描いているのである。第2項ではその関係は予定調和によって説明される。横同士の連絡や情報がないまま宇宙自然現象だけでなく人間社会現象も秩序を以て展開するのはこのあらかじめ神が各モナドに設定してある予定調和によるものである。
第3項から第5項までは上記の説明が先取りして説明した。ただ第5項では予定調和にワープ現象を重ねてみることができるということを述べている。
第2節ではモナドを人間個々人と見なして自我観から考えてみた。第1項ではモナドの特に認識論的意味を英国主観主義特にJ.バークレイの絶対的主観主義と対比した。第2項ではそれを受けて、認識と存在について、モナド論的観点に入る前に、その問題点を説明している。第3項でも同様にカントの物自体問題を認識と物自体の断絶という困難から説明している。であるからモナド論も個人主観の域を出ないということで存在との断絶は解消できなのではないかと言っている。しかし第4項では予定調和によってその難を逃れると言い、第5項で窓がないにもかかわらずモナド間には現象的に窓があるかの如くに共時現象が起こっている。本文ではアナロジーと言っているが、パラレルな世界間でのスリップ現象といっている。このようにしてモナド論は窓がないことを基本としている。そこに欧米的な強固な自我主義があるとみなされる。
第3節ではモナド論から近代的自我観の本質を見ようとしている。第1項ではモナド論の本質は個人が教会や国家の支配の及ばない神に直結した神聖にして侵さざるものというところにあると言っている。それはデカルトやロックと同様な個人観で近代的自我観の樹立と政治的主権獲得にある。第2項ではモナドと個人のパイプについての問題と、窓のないモナドという個人同士での他者との関わりについての問題を扱っている。この他者との関わりはモナド内での他者との関わりではない。第1節第1項を受けてモナド外他者との関わりを論じている。「モナドには窓がない」にもかかわらず、中と外とがここでは行き来しているのである。異なる次元のものが次元を共有することによる矛盾の成立を見る。こうして自我の位置を獲得しているのである。第3項ではこうしたライプニッツのモナド論は実は強固な自我を構築しているが、一方日本人はそうした自我の構築をから遠ざかると言っている。第4項では第3節第2項の「個人と神との交流の仕方」がテーマである。3通り考えられる。ⅰ神が個人を支配する、ⅱ個人が神に溶解する、ⅲ個人が存在しながら神に溶解する、である。ⅲを矛盾的として強固な自我に逆行する矛盾的自我観と考えている。そして第5項ではその先の神問うている。ライプニッツにおいてはキリスト教の、ヤーベの神であり、日本的倫理性に取っては八百万神であり、自然神である。そこに強固な自我と柔らかな自我との違いがあると言っているのである。
第4節では、モナド論が絶対主観的な「モナドには窓はない」というスタートからはじめているが、認識論には大きな落とし穴があることを指摘している。モナド論はこれをかわしているのだが、先ずその落とし穴を見る。第1項では認識論の自己矛盾から来て、自らをがんじがらめにしている構造を見ている。認識の構造は内側と外側にある。内側では、感覚器官外の物⇔感覚器官⇔感覚・感覚現象⇔感覚性質⇔知覚という具合に流れを分析するが、これらの各部分はみな分断されている。認識の外部に関しても同様で他者についてみると、他者の認識は他者のものであるかどうかの確認は難しいのである。ここでも分断されており、認識が成立しがたくなるのである。これを認識の呪縛と言う。認識を確かなものにしようとして却って認識が成立しがたくなるからである。第2項では物自体の幻惑を指摘している。結論から言うとカントの物自体は存在しないものである。根拠の基本とするところは、認識は認識以外のものでは有り得ないということである。従ってすべての認識以外のものは認識されない。これは第1項の認識の呪縛に関わる。ライプニッツのモナド論から見ればすべての認識はモナドの認識の中のものであるから認識できる。他は認識できない。カントの幻惑は物自体が「認識対象でない」ことを「認識できない」とスリップしたところにある。「認識できない」は2義的でこの2つの意味を我々に伝達する。そこで幻惑と言う。そのため物自体存在が存在位置を占めるのである。正確にはカントの言う認識できないという意味での物自体は存在しない。「認識対象ではない」物自体の存在は第4章に譲る。第3項ではモナド論はこの2つの誤りをかわしていることを述べている。
第5節では、西洋的自我の自己同一的、連続的、統一的な自我に比して日本的自我の非同一的、非連続的、非統一的を対比しそこに我々の問題があることをのべている。

第4章 カントの物自体論
カントの物自体については第3章第4節第2項でかなり立ち入って、結論的に述べた。
第1節では物自体と認識ついてカントの認識論を述べる。第1項では物自体はカントの
超越論的自我も含められるが、落ち着きどころの悪いものであるとされている。第2項では他者を物自体の事例の代表として、認識論的に考察している。この物自体を、つまり本文中の②b「認識は認識であって存在とは別なものである」という認識論の原理を確定して、物自体の認識についての議論に入る準備をしている。第3項では③「存在は認識によって決定される」と④「存在は認識とは別物であり認識は存在問題に侵犯してはならない」の2つの問題を検討している。④は上記②bを踏まえた認識論の原理から来るものであり、認識に上ったものは存在とはされないという主張である。③はその逆で存在は認識によって決定されるというテーゼである。第3章第4節2)の引継ぎの問題である。この④と③の2つは認識と存在にジレンマを持ち込んでいる。第4項は直観を問題にしている。直観についても認識の原理が当てはめられている。直観は表現してしまえばもはや直観とは言えないし、それ以上に直観されたものがもはや他者とは言えないということである。直観内容は存在とは別物であるということである。他者の直観が他者そのものであると断言するなら責任の下に断言されなければならない。第5項では他者認識のための直観の可能性を見ているが、英国常識主義に基づき、直観内容の普遍性、社会的な共有性が見込まれるので直観認識の他者認識の可能性を窺っている。
第2節ではカントの物自体を扱う。第1項では第3章第4節第2項で述べた通りカント
の物自体のようなものは存在しないと言っている。我々は直観を以て認識対象としての現象として可変的な他者を認識しているという主張がなされている。そしてカントの想定する現象的でない、認識対象でない物自体は存在しないと言っている。第2項では物自体の二面性として⑩認識にとって形而上学的存在者であるような他者と⑪第3章第4節第2項で言ってある認識対象としての=現象(第1項では現象とした)としての他者を上げてあるが、⑩の他者は第3章第4節第2項で存在しないとされているのであり、⑪の他者は第4章第1節5項の「⑨直感は個人的のものであるか否か」での共有現象の中で存在すると考えられている。ここでは意識は孤立しているものではなく共有現象である。身体的にも他者認識は可能である。こうした共有現象を西田哲学の「場所論に関連付けてみたいということである。第3項は、認識は必ず対象を必要とするかという逆転の発想を問いかけている。認識は認識対象しか認識しないが、認識対象が無いとき認識は成立しないのか。すると認識の中に対象化したものが認識対象であるということになる。これは時間的には同時現象としても論理的には認識が先んじているのである。これが逆転すると物自体が存在することになるのである。認識の前に認識対象があることは論理的に成立しない。もし認識の前に認識対象があるならばそれはゾンビである。それこそ認識されない認識対象、否、対象⇒物自体である。認識対象は認識なしには現象化できないのである。第4項は「世界の外」と「認識の外」を巡って議論を集約している。ここでは私たちの暫定的な自我や認識対象を仮定的に措定して述べている。でなければすべては非存在で確定できないものとなりその現象と同行するしかなく、論考は表現されなくなる。認識はこの2つの、認識できない、内的無限性と外的無限性の狭間で現象する場である。この説は受入難いかもしれないが、諸々の幻惑や呪縛、スリップを日常的に受け入れている現状でさえ受け入れていることを考えれば、そう難しいことではないと考えられる、と述べている。第5項はコギトから出発した自我は物自体へと追いやられ、虚無化するしかない結果に終わる。デカルトのコギトにはまだ(我?)の余裕やチャンスがあったが、物自体はそのチャンスへの裏切だというのがここでの言い分である。

第5章 西田哲学に見る日本的倫理性
日本的倫理性への本格的叙述を始める。日本的倫理性とは人間の実在問題であり、西田哲学はそれに取り組んだ代表的な哲学者である。
第1節はこの西田哲学に見られる問題点をとりあげている。第2節では西田哲学の分かり難いと言われる問題を上げている。第1項では分かり難いという理由を整理している。①西田自身と言うより、戦前や明治以前の精神構造や表現が現代では通用できなくなっているということがあげられる。②そこで日本的倫理性への回帰、より戻しが必要であると主張されている。③西田の表現は深い内の瞑想を表現しようとするものであり、その意味では素晴らしいものであるが、それは体験世界であり、表現はメタファーなものになりがちである。それが物足りなく我々には思えるのである。④理解の仕方には主語論理的理解と述語論理的理解との2つある。日本的倫理性は主語論理的理解では理解し辛いと言っている。⑤この主語論理とはアリストテレスに由来する西洋的論理で、近代的自我論の世界である。日本的倫理のように私と自然とが一体になることはない。日本的倫理性の述語論理とはこの自然と一体になる体得の世界であり、場所の理論に結びつく。
第2節では西田哲学が求めたものを見ている。西田哲学は「神」を求め、「神」に触れ、「神」を見ることを求めている。私は神を掴むと理解する。ここに日本人の倫理性がある。主語的倫理が自己理解を外に求め、外に展開するのに対して、つまり法を作り倫理法則を作り社会制度を緻密に体系化するが、我々は心を済まし、心の中に声なき声を聴き、見えないものを見ようとする。自己は心深くに潜水し、自己を無化してそこを自己とする。
第3節では西田哲学と西洋哲学を対比し、デカルト、ライプニッツ、カント、ソクラテスの哲学を西田的な視点から批判し、日本的倫理性を追求する。第1項では西田はデカルト的コギトが主語的論理に陥る前のところに戻ろうと主張している。そこは西田の言う矛盾的自己同一の世界にも続く岐路点である。第2項では西田の無の世界について考察している。私が(我?)という世界を西田の無に見ている。そして場所論に続いていく。第3項では西田のカント批判を見る。カントの物自体については第3章第4節第2項や第4章第2節でだいぶ考えたことを踏襲している。西田はカントの認識主観に基づいて哲学を始めるが、そこからの脱却を追求する。そのため主語と述語の論理を突き詰め、極限的主語と超越的述語面により、この超越的述語面を「無の場所」とする。この「無の場所」は(我?)に類似させて述べている。カントは、主語的方面に事態を置いたデカルトの反対の述語的方面に行くが、屈折してその述語面を主語化させてしまった。これは形式主語を要する欧米言語文化のせいであろう。どうしても近代的自我に引き戻されるのである。そこにカントの物自体というものを生み出した幻惑がある。第4項では西田はカントの物自体を「絶対意志の自由」とし、カントが統覚つまり意識によって統一しようとした世界を意志の面から統一しようとしたことが述べられている。これによって西田は自然に「絶対自由の意志」をみ、自然のいのちを吹き返すのである。しかしこの西田の物自体はおよそカントの主観から疎外された物自体とは違い、自由な意志によって現象を続ける自立した自然そのものである。第5項では西田の場所について意識の面から解釈している。場所は、意識が単なる主観に閉塞されたものから純粋意識に広まり、現象することに見る。第6項では場所論を存在論的に解釈している。述語論理の観点から見ると、述語(一般者)は主語(個物)を対象として自己限定する、そして自らは非対象であるというのが述語論理である。そこで一般者が無限の自己限定によって自己限定する個物という対象が無い、つまり主語がない状況を絶対無と言う。神は何者にも限定されない。欧米的にはこの状況は主語論理的にみるから主語が無数の述語を持つという意味で一者としての存在である。日本的倫理性としては一般者が自己限定する対象を無化した〇の絶対無である。これを理論的にではなく境地として実践的にいえば「見るものなくして見る」という西田の表現になる。第7項では西田のライプニッツ批判を検討する。①ではすでに第3章で述べたモナド論の解釈に基づいて、ライプニッツのモナド論が西欧近代的自我論の基本である主観認識からどう解放されようとしたかを見ている。予定調和説はその解決として巧妙で説得力の高い世界観である。その不思議な世界観は、モナドの中の表象や意志が窓の外の分断されている自然世界と共時現象化していることは理論として納得できるといことだけにとどまらないで、そこを超えてつまり意識が意識外のことを意識しているという、カントの物自体の幻惑を晴らしてしまうことが解決されているという世界である、ということである。そこで②ではこのトリッキーな世界観を調べていく。ⅰデカルト的二論の克服は精神も身体もモナドに含まれて一元化されることで実施される。ⅱその克服原理は予定調和説による。池田氏の「包まれ包む」の予定調和の説明を参考に①でのトリッキーさが解消され納得できる。モナドと神との関係は神の「包み包まれる」表象(欲求)の表出をモナドが「包まれ包む」ことによって意識とし、モナドの表象を世界に表出する、というメカニズムである。③これは説得力の高い理論である。西田的にはそこには「私の有様が見えない」、西欧特有の自我の外化に止まる態度でしかない。日本的倫理性では、西田は予定調和の中に身を置いて、宇宙自然の「包みに包まれ」、西田の「包まれ包む」という、日常の禅定に生きていた、というところに自分の身を置くのである。第8項では、こうしたライプッツへの物足りなさで、ベルグソン哲学に惹かれていくということを述べている。①ベルグソン哲学は直観に基づく。西田の純粋持続はこの直観により現実味を帯びる。そこで初めて物そのものをそのうちから知ることができる、という西田の主張が述べられている。②純粋持続とは連続的創造の事であり、そこには緊張と弛緩があり弛緩すると自己は希薄になるが、緊張によって自己のいのちは盛んになる。心身共は共に純粋持続から出ており、閉塞的な近代意識から解放されながら、意識の世界の自立性は保持されている。②しかしベルグソンにも問題が残っている。それは「否定」観の違いによる。ベルグソンの否定は肯定と対立し連続して契機する弁証法的領域にある。西田の否定は肯定と縄目的に交差しながら出滅を展開する。これを別角度からは刹那と表現でき、場所に関係する。それはまた時間・空間の発信源である。第10項では第7章のソクラテスに西田との日本的倫理性に関する共通性を見る。ソクラテスの世界は「無知の知」にあるが、西田や日本的倫理性との共通性は、そこからのソクラテスの転回に見ることができる。そこからソクラテスは神のみが知恵者であるという伝統的ギリシア精神世界に入り、人間としてはその神の完全なる世界を愛求する(エロス)ことが本文の生き方であると主張して啓蒙活動に入る。このソクラテスの世界には自己否定と自己肯定が自己矛盾的に展開していると見ることができる。