第1章 私は誰だろうか “who am I?” ― 近代的自我批判より新自我へ
第1章の目的は、現代日本の混迷が近代的自我観に基づいた自我観に起因しているという観点から、近代的自我観の批判と新しい自我観の方向を示し、今日の日本的倫理性の混迷に何らかの明かりを見たいということである。
第1節 デカルトの求めたもの
はじめにルネ・デカルト(1596-1650)は近代的自我を発見したことで哲学史上重要である。デカルト哲学が生まれる機縁になった時代背景を説明しておく。
R.デカルトの関心は明晰確実なものを求めることであると本人は記述しているが、コギト「我思う故に我在り( Cogito ergo Sumコギト・エルゴ・スム)」(「方法序説」デカルト 谷川 多佳子訳 岩波文庫)によればそれは自分というものを巡ってのことのようにみえる。しかし、その目的は中世のキリスト教教会主義に対してそれに代わる新しい保障を得ることであった。彼には教会への懐疑が根深かった。そこには教会権威を既得権益とする支配者達に敵対して台頭してきたブルジャジー達の正当性を獲得する政治的な思惑があった。それは教会の神存在の証明の理論的根拠が破綻したことから来ている。教会学問はデカルトを支えるものではもはやなかった。それに代わる新しい根拠が必要であったのである。それは教会的迷信ではなく当時の社会に新興して来た工業的技術の発生源である知識であった。この技術・知識がブルジャワジー達の力であった。それを根拠とする生産と流通から生まれる富が支配者たちを凌ぐ力をもたらしているのである。この知識・技術の正当性を彼は必要とした。その正当性はもはや教会に依るものであってはならなかった。それは貴族たちの権威の象徴であったからである。そうではなく自分たちの根拠を要したのである。
しかしその権威の拠り所はなかなか見つからない。当初ブルジョワジーが傾倒した方向は古代ギリシアであった。つまりローマが生まれる前、中世貴族者たちとそれが根拠とする教会が生まれる前の社会である。それがデモクラシーである。市民政治である。しかし近世の産業技術とその知識の根拠は古代ギリシアにはなかった。古代ギリシアにあったのは自然哲学とソクラテスの人間哲学であった。そこには科学哲学はまだない。従って科学的思考を裏付ける人間の知的根拠はそこには求められない。自然哲学は自然にプシュケー(魂)を見ていたからである。
デカルトが追い込まれたとどのつまりは古代ギリシアの自然哲学からも中世の修道院護教神学からもはみ出た、孤独な「我」であり、ある意味ではデカルトはその孤独な我であることを決意したのである。近代的自我の発生はこうして生まれた。そこでは科学的技術・知識を以て歴史の転回が行われたのである。こうした過程の中でデカルトは人間の本質的な有様に接触している。自分たちの生き方に根拠を得る必要があって、その根拠は形骸化した自然哲学からも教会哲学からも実質的に自立して存在するということであった。それが、デカルトが獲得した独立であった。それゆえデカルト的自我は独我論であるとの批判を蒙ることになった。しかしここにはデカルトの錯覚がある。錯覚とは、その「我」を実体存在者だと思ったことである。そしてその実体を瞑想することに専念せず、実態から離れてその外に向かっていったことである。そうした経緯を以下に述べる。
先ず、近代的自我観の基礎付けとなったデカルトの命題「我思う故にわれあり」の分析から検討する。
第2節 デカルトの命題にある幾つかの我
1)コギトの解体
初めに述べたように、当時の時代状況の中でデカルトは確実なものを求めた。そして「我思う故に我在り」という確信に到った。これはデカルトが自分の存在を確信した言葉である。しかしどんな存在を確信したのかはこれだけではよく分からない。そこでそのことについてこれまで多くの人たちが解釈して来た。ここではそうした解釈に囚われず自由に考えてみる。
この「我思う故に我在り」は「我思う」の我と、「故に我在り」の我によって成り立っている。前者を思惟の我(我1)とし、後者を存在の我(我2)とする。それから実はその他にもう一つの我がある。「我思うゆえに我あり」だということを自覚した我がその外にいる。これを自覚の我(我3)とする。「『我思う』に気づいた我」(我3)は「我在り」(我2)と結論付けた我であろう。このとき「我在り」(我2)の我は「『我思う』⇒思っている我」(我1)の我であろうか。つまり(我2)は(我1)のことであると考えられるだろう。(我1)と(我2)が同じであるかないかによって事情はどう違うかを検討してみよう。
2)(我1)と(我2)が同じ我であるとする場合から始めよう。
「我思う故に我あり」の命題を分析すると、「我あり」(我2)という結論は「我思う」(我1)から引き出されたものである。つまり「我思う」(我1)は「我あり」(我2) の根拠となっているのである。ここで奇妙なことに気づく。(我1)も(我2)も同じ我であるとすると、「我あり」という結論が「我思う」という根拠に先取りされているということになるのである。であるから「我思う故に我あり」の命題の示していることは、「『我思う』は『我在り』を含んでいる」ということである。つまり根拠の中に既に結論が前提とされているのである。「我思う」と「我在り」は「故に」という関係ではなく、同一の関係なのである。言い換えると「(「我在り」という)我は思う。故に我在り」ということである。もう少し見ると「我在る故に我思う」ということにもなるのではないだろうか。「我思う」ということの自覚によってその背後の「我在り」ということに気づいたということではないだろうか。従ってこの場合「我在り」ということの根拠を示していることにならないのである。このようにデカルトのコギトはよく考えるとおかしなことがあるのである。
3)(我1)と(我2)が同じ我ではないとする場合を見てみよう。
「我思う」(我1)の背後に「我在り」(我2)が隠されていないか、あるいは隠されているとしても(我2)とは違うものではないかという可能性を見てみよう。デカルトの命題が前提にしていることは「我思う」において「我」が「思う」とされていることである。この我は近代的自我とされている我である。デカルトのコギトは近代的自我の確立ということで西欧哲学の基礎となっている。しかしこの命題は幾つかの刺激的な思い付きを与え、それらが奇妙で魅惑的な混乱を引き起こして、迷路にはまり込んでしまうのである。この魅惑的な迷路の中で近代的な自我が顔を出し、「我在り」という悟りのような位置を獲得するのである。そこでその近代的自我というものはどんなものかを検討してみよう。「思う」「我」(我1)は「在る我」(我2)ではない。まだ存在に届かない我である。言語の意味としては矛盾する。というのは「我」という語は存在を内包しているように私達は使っているからである。しかしここではその一般的用法に従うことができない。すなわちデカルトの近代的自我はまだ存在に届かない「思う」だけの「我」ということである。否、「我」とも言えない、「思う」何かである。否、何かとも言えない。「思う」現象なのである。しかしデカルトはそれに気づいていない。気づいていたとしてもこの「思う」現象だということを採用しなかった。そして「我」を実体化してしまったのである。
4)近代的自我の姿
近代的自我というものは、中世的な教会支配下の人間観から、何者にも支配されない独立した人間へと移行するところに発生したものであることはすでに述べたことである。近代が中世のキリスト教支配から抜け出すためには神という人間存在の根拠に変わるものを捜し求めねばならなかった。デカルトはその根拠を「我思う故に我在り」によって、「我思う」に置いたのである。近代人としてデカルトは明晰なものを求めて一切を疑う内に、疑う自分だけは疑い得ないということを発見したが、彼の疑いの始まりは近代人としての自我である。だからこの「我」はデカルト的近代的自我をはじめに置いているのである。そもそも疑いは近代的発想である。だから自分だけを信じようという主張をしているのである。従って明晰なのは「我在り」なのではなく「我思う」である。この近代的自我としての我は孤独である。なぜなら何者にも根拠を置くことを拒否しているからである。従ってこの我はどこにも存在していない。というよりただ思うだけである。「思う」ということは「在る」から成立するのであるが、そんな常識的な規範はここでは拒否されている。もし一歩譲っても、どこにあるかということを示してはくれない。何故なら「思う」ということが始まりで、そこ以外に世界はないからである。従ってあるとすれば、「思う」という世界に在るとしかいえないのである。しかもその思うという世界は一切のものを疑うという近代的な「思う」である。だから存在でさえ「思う」を根拠にせざるを得ない。そこ以外のどこにも存在できない。もっと言うと、デカルトの命題には本当の意味での存在はないのである。「思い」だけがあって、近代的自我は思い続けなければ存在できないという構造に落とし込まれているのである。
結局は「我思う」の「我」つまり(我1)は表現上の「我」であって、欧米言語では欠かせない形式主語的な役割を果たしているに過ぎず、空虚なのである。しかし「我」という表現のせいで「我」の持つ内容が入り込んで混乱させているのである。従ってデカルト的近代自我は空虚で形式にすぎないものとなる。もっと言えば実在しないものということになる。そして「思う」だけが真実だということが判明するのである。しかしデカルトはその「思う」に「我」を置き、実体化してしまったのである。
5)デカルトの命題の奇妙な魅力 (「我思う」に見る「2つの我」)
デカルトの命題が奇妙な魅力を持っているのは、なんだか魅惑的なインスピレーションを我々に与えるからである。その正体は一体何であろうか。「我思う」の「我」(我1)がデカルト的近代的自我だということに拘らなければ、「我」はそれほど孤独な立場にはいなくなるのではないだろうか。先に見たようにこの命題は「思う」ということが先にあるが、この「思う」が近代的な排他的「思う」ではないという場合を考えてみよう。命題からのインスピレーションは(我1)にデカルト的近代的自我ともう一つ別な「我」を同時に示してくるのである。この別な我を(我?)としよう。しかし(我?)は(我3)ではない。(我3)は「我思う故に我在り」全体を見ている我で、いわば結果的な我である。それに比べて(我?)は「我思う」の「思う」の現れる前の「我」とも言えない現象である。つまり「思う」が現れたのである。(我?)は我というよりもっと他の何か(ー?)である。しかしここでは(我?)としておく。
(我1)は、欧米語は必ず主語を必要とするから、私達日本人的には必要としない「思
う」だけのところを、「我」を主語として入れて考えることによってつけられた所謂、形式主語である。「(我1)とはそうした複合的な曖昧さの中で、何かに魅了された幻惑によって、近代的自我だけを樹立してしまっているのである。魅惑的なのは(我?)の方であるにもかかわらず、それは置き去りにされ、孤独な近代的自我にその魅力を、幻惑のうちに盗取されて、独占され、隠れてしまっているのである。偽装しているのである。これを「コギトの幻惑」と言いたい。私はそれを「天岩戸隠れ」に連想する。
「天岩戸隠れ」は日本神話で天照大神が岩戸の中に隠れてしまって世の中が真っ暗になって困った事件である。これは歴史的事件と言うより我々の内的深層意識の話である。つまり(我?)が隠れていて本当の自我が分からなくなっている状況である。「天岩戸開き」は我々の天照大神(我?)が開かれて再出現することである。デカルトはその深い自我に届いて接触したものだと思われる。コギトはそうした非論理的な直観世界を再現する呪文のようである。
6)「コギトの幻惑」
デカルトの命題の不思議な魅力は、上記「4)近代的自我の姿」で見たように、デカルト的近代的自我は孤独で、根拠のない、身勝手であるしかないものであるから、そこにあるというより、前述 5)の(我?)にあると言える。しかしその(我?)はコギトの発想に複合されているが、いつの間にかコギトの示す世界からは消えているのである。コギトの魅力の根拠ではあるが、コギトの晩餐には招かれてはいないのである。近代的自我観の中には含まれていないのである。しかし近代的自我観はその(我?)の存在を隠してしまって、その魅力だけを取り込んで、自らが魅力的であるかのように欺いていると言えるのである。こうした過ちを「コギトの幻惑」と私はいう。
コギトの幻惑が犯される原因は私たちの洞察の光がその分野にはまだ達していないということによって起こるのだろうと思われる。デカルトは中世の教会主義や貴族支配から逃れる原理を打ち立てる目的のためにこの真我の方向を見失ったと言える。もしデカルトがそうした政治的、権力的な目的に関心がなく、真我を求めていたなら(我?)に到ったであろう。ここには日本的倫理性の道を究める生き方との根本的な違いがある。近代において指針を見失ったデカルト達はその近代的自我を着想することによって、この幻惑を犯してしまったものと思われる。
第3節 「思う」と主体
1)「思う」主体の存在
私は「第2節 4)」で「思う」だけが事実であると推断し、5)ではその主体として(我?)を提示した。この(我?)はその正体はまだ明確ではない。ここには「思う」の主体はあるのかないのかを含めて、あるとしてもデカルト的近代自我「我1」とはおよそ様子の違ったものであることから、それがどういう様相なのかを見てみる。
① 「思う」主体はあるのか:その疑問から再吟味してみると、第1に、「思う」というこ
とは主体がなければ成立しないものだろうか。ハイデッガーは「思惟は向こうからやってくる」(「思惟の経験より」ハイデッガー 理想社)、という表現で、このことに関連することを暗示している。言葉的には我思うは主語と述語の関係である。この場合、主語は名詞で述語は自動詞でもあり、他動詞でも有り得る。我々の言語では名詞は存在者であり、動詞はその存在者の行動である。そこで「思う」というからには「我」という主体が当然前提にされているのである。しかし我々のこの言語用法は必ず妥当なものであろうか。デカルト的発想はこの言語文化への無前提な信頼に基礎を置いているのである。平安文化や万葉文化の中に私たち日本人は主語のない表現を持っている。三上文法では「思う」には主語ではなく主題があると言われる。これは何を提示しているのであろうか。
「思う」の主体と「思う」と言うこととの収拾は西田幾多郎の場所論にヒントがある。これはこの小著が目的とする日本的倫理性が追及している確信的な問題に関わる。私は「第2節 3)」で「『思う』現象」といったが、その現象の主体はデカルト的近代自我「我」とはし難い。近代的自我の範疇を超えているからである。現象する「思い」が「我」をも伴い、「存在」をも伴ってくるのである。従って「思い」にはデカルト的な意味での主体はない。その「思い」とは何であるのだろうか?それは認識の淵に届いて意識化した現象である。それは単に認識に限定されるものではなく存在そのものが意識と化したものであり、存在と無縁などではない。「思う」の主体として(我?)が候補となるなら(我?)はこうした存在に匹敵するものである。
② 「思わない」主体:デカルトは「我思う」ということを最も明晰なこととしたが、「我
思わず」ということにも言えるのではないだろうか。思わない「我」は明晰ではないのだろうか。「思わず」とも私達は存在しているのではないだろうか。思い続けなければ存在できないことはないのである。それはデカルト的近代的自我観が「思う」ということを存在根拠にするという無理から来ているものである。「思わない」「我」は「思う」ということによって保障される「我」ではない。すなわち近代的自我ではない。この(我?)としている「思わない」時もある「我」はデカルト的「思う」時の「我」をも含みこんでいるものである。デカルト的近代的自我は「思う」時しか存在できないが、ここに(我?)はそれにかかわりなく存在している。この「思わない」主体とは何であろうか。無念無想の「我」存在とでもいえようか。「思い」も「思わぬ(無心)」も共に遍在している世界である。ここにこそ(我1)のはじまりが伺えると思われる。「我思う」の始まりはこの主体の存在主張であるともいえる。コギトの幻惑によってこの主体は近代的自我に錯覚されてしまっているのである。こうした幻惑に陥ったとはいえ、こうした失われた自己の基盤を求めさせたのはこの主体である。この主体に焦点を当て、この主体に帰るのが現代のテーマである。デカルトが明晰確実なものを求めた本来的動機となっているのはこの主体への志向性であると思われる。しかしその志向性はコギトの幻惑によって薄れ、抹殺され、魅惑的な香りだけを残して、姿を隠しているのである。しかしこの主体としての(我?)は①で見たようにデカルト的な意味での主体とはおよそかけ離れたものである。
③ 何が明晰さを求めたか:そこで、デカルトは「思う」という近代的行為のみを明晰で
あると主張したのである。しかし今見ているように、「思わぬ」という行為も不明晰ではないという主張をすることができるのである。ここでは「我思う」のは必ずしもデカルト的な「我」ではない「我」であるという発想が持たれている(我?)である。デカルト的には、一切を疑い確実なものを得ようとする時その発想を持つのは「我思う」の「我」であろう。この「我」はデカルト的には近代的な自我であることを我々は見てきたが、ここではそれと違って(我?)としての「我」としている。この(我1)は明晰確実なものを求める「我」である。デカルトは明晰確実なものを求める「我」がいることだけは明晰確実だといったのである。しかし明晰確実なものを求めるのは必ずしも近代的自我だけの専売特許ではない。一体明晰確実なものを求めるのは「我」であると断定できるのであろうか。明晰確実なものを求めている何者かがいて、その何者かは「我」であるということではないだろうか。「我」とはそういうものではないだろうか。「我」が先にあって求めるのではなく、求めが先にあってそこに「我」が発生するということも言えるのではないだろうか。歴史的事情から明晰確実のものを求める自我が形成されたことは言えるであろう。そうした自我は近代的自我と言えるであろう。しかし明晰確実なものを求めるのは歴史的事情や環境によって形成されずとも、人間の本性的な欲求であり、デカルトの(我1)はそうした両面性のある「我」として混同され、本性的な欲求が言語的・文化的という環境的欲求にスリップしているものであるというのがここで主張されていることである。この本性的欲求の出所を(我?)としているものである。
明晰確実なものを求めることは、古事記的には、思兼神(思い兼ねの神)の業である。天照大神が天岩戸隠れの折、天の安河原で諸神と諮り岩戸開きを計画することがそれであるように連想する。
酒井潔氏が「自我の哲学史」において、「こうしたデカルトのコギトは「懐疑を方法としながら、実は最初から、我の存在並びに意識(思惟、コギト)の明証性を2つの聖域に設けていたのである。懐疑が真に徹底されるべきでなら、そうした私の行う説得、あるいは思惟そのものも否定されなければならなかったはずであろう。しかしデカルトの懐疑は、「私」の存在には向けられぬばかりか、意識の、疑ったり自己説得したりする働きそのものの明証性にも決して向けられない。」(PP.39-40)と指摘するのは当を得ている。しかし私はこうした酒井潔氏の指摘どおりではないと思う、つまりデカルトの作為によるものではないと思う。次の第3節でみるように西欧近代個人主義の本質を示しているものと考える。その前に末永氏文美士が、この(我?)に関連したことをマリオンの「存在なき神」によってのべている説を次に検討してみる。
第4節 コギトの発展
1)マリオンの存在なき神
末木氏は近代科学の合理主義によって説明される世界を「顕」とし、それに対して近代科学・合理主義によっては説明がつかないが故に、迷信とされて存在を抹消された存在を「冥」とし、その意義を主張する。そしてハイデガーの存在論に唱えられている存在者の陰に隠れている存在を「冥」なるものとし、着目することを主張する。しかし「顕」はもちろん「冥」も存在を問題として議論される対象である。真の存在はそうした存在を超越して「溟」としても現れることがないものである。マリオンはこうした「顕」や「溟」のような存在者ではないところに(我?)に類似して存在なき神=神とした。これに倣って松木文美士氏は有無を超える無=無を主張している。それは有と対立する無ではなく、有無をともに入れる根底なき無(←マリオン的)である(「哲学の現場 日本で考えるということ」末木文美士 トランスビュー PP.141-142 下図は同著より転載)。これは私の言う(我?)あるいは(ー?)に関係する世界であると思う。
2)カント認識論への発展?
デカルトはこの疑問を「哲学原理」において意志作用によって解消している。「思う」という意識の極めたことの真偽の決定は意志が行うというものである。コギトの「思う」には「意識と意志」とが含まれており、そこにデカルト的コギトの魅力が潜んでいるのである。しかしデカルトがその意志としての部分を捨象し、性急に意識の部分に偏って進んだことが違和感を持たれるところである。
カントがこのデカルトの意識的部分を強調し、判断力批判において意志的部分を寸断し、主観における現象世界として世界を理論づけたことはそののちの欧米哲学や科学を発展せしめるに大変評価されるところであるが、果たしてそれで、デカルトのコギトがカント哲学の未発達型ということができるかどうかは疑問である(「哲学原理 ルネ・デカルト」から考える私」を読む―」荒井正雄 愛知教育大学学術リポジトリ)。
デカルトのこの意志作用を、カントの認識部分や、それを取りまとめる超越論的自己意識(統覚)と考えることは一面的には納得できることである。というのは、デカルトは意識の発生や意識の現象も超越論的自我に内在的するものとすることを打ち消していると思われず、これはカントの統覚に類似するからである。しかしコギトを確信させるものはカントの統覚とは別で、「在る」ということを決定した意志作用である。カントの統覚に相当する「思う」ということが「我」に帰属するのであるから、そこにも意志作用があるのではないかということが言えれば、デカルトの意志作用はカントの統覚と言えるであろうが、この場合「在る」と意志した意志作用は除外されていることになる。つまりここには「思う」という意識行為と「在ろう」という意志行為とが混同して同居しているのである。そしてカントはこの同居を切り離し、意識から「在ろう」という意志部分を避けてしまったのである。
これに対してデカルトのコギトは、カント哲学の未発達型というより、まだ日本的倫理性がテーマとする意識と意志の未分離状況が残されていると考えられる。デカルトのコギトにはこの合一点が見られると考える。この意味ではデカルトのコギトは日本的倫理性の方向に踏みとどまっているものであり、その故に我々はコギトに何か強いインスピレーションを感じるのである。
西田幾多がその「デカルト哲学について」で以下のように記述していることが該当するだろうと思う。「私はカント哲学に到って、純粋な科学の哲学に入ったと思う。カント哲学は科学的自己の自覚の哲学である。しかし単なる科学の世界は、自己自身によってあり自己自身を限定する真実在の世界ではない、真の具体的実在の世界ではない。最初に言った如く、カントはこの問題を打切ったに過ぎない。実践といっても、そこからでは形式的規範が考えられるだけである。カントの実践哲学は、近代社会における市民道徳の基礎附けである。私は決してカントの道徳的規範を無視するものではないが、今日の歴史的世界は新なる哲学の出立点となる実践原理とを求めるのである。我々はなお一度デカルトの出立点に返って考えて見なければならない。」(「デカルト哲学について」西田幾多郎 青空文庫)
3)日本的コギト
西田的日本精神性は、つまり純粋意識の分離と合一の両側面にあるという、日常の凄惨な生活世界で、その凄惨な状況は変わらないままでは、どんな意味があるのかというと、その凄惨さが無に基づくものであるということを知っているというところにある。
これはすべての事象を客観的科学的に把握しようという欧米のやり方と目的を同じくするようである。これが西田にしてさえもデカルトのコギトに「デカルトの「余は考う故に余あり」は推理ではなく、実在と思惟との合一せる直覚的確実を言い表したものとすれば、余の出発点と同一になる。」と言わせるほどに微妙な思考の流れがあることに依るコギトの誤りのもとである。
西田をしてかく言わしめたデカルトのコギトの微妙なミススリップは「第2節 6)コギトの幻惑」で見たところである。
日本精神性においては、意識はやがては純粋意識へと成長していく連続性にあるものであり、これをどこかで区切るということには合点がいかないところである。意識は純粋意識である以外には言いようがないのが正直なところである。従ってデカルトのように自我意識として実体化することには違和感がある。しかしデカルト的自我意識はそれだけが明証であると言い、それ以外が打ち消されることは、意識には自我も純粋も区別されないという日本的意識観に基づけば、同様な主張にあるかのように錯覚される可能性が大きい。この点で西田もデカルトのコギトに自身の純粋意識との類似を感じたのかもしれない。そしてデカルト自身もコギトの明証性の精神状況においてこの西田的な純粋意識に近接したかのように思われる。デカルトのコギトの明証性は論理的展開によって到達したものではなく、直接直観によるものであるというのは、「疑っている私の存在は確実である。」というコギトは論理的結論ではなく、即的直観であるといえるからである。即観と言える。論理的に展開するなら、コギトは論理的誤りを犯しているものである。つまり「我思う、ゆえに我在り」は我ありの覚悟の前に「我思う」という我を持ち込んでしまっているから、論証すべきことを先に使っている誤りを犯しているからである。
しかしデカルトのコギトにはそうした論理を超えた「我あり」という覚醒が起こっているのである。その覚醒は霊的とも言える体験であり、「我あり」というものとされ、ここから近代的自我が発生するのだが、この「我あり」の直観は「我」より「在り」ということの確信であるだろう。何者であるかということではなく、存在者の存在の確実性を直感したものではないだろうか。ところがここでデカルトは(我)の側にスリップインしているのであり、ここに西田との決定的な違いがあるのである。西田はデカルトのコギトに実在と思惟の合一を見たが、しかしそれは無におけるものである。西田における「無」は無私から連鎖的に無が連続して、ついには存在者の無へと溶け込んでいく。デカルトの体験は西田がみたように思惟と存在の合一であると思われるが、その存在は存在者の存在の直観ではなく、逆に自我を志向していた。この自我意識はついには西田の言う純粋意識とは異なる。そこには反省意識が混入しているといえる。デカルトは明晰なるものを求めたのであるが、その根底には「自分にとって明晰である」という自我に基づかせるという反省がベースにあったといえる。この点において酒井潔氏をして「こうしたデカルトのコギトは「懐疑を方法としながら、実は最初から、我の存在並びに意識(思惟、コギト)の明証性を2つの聖域に設けていたのである。」(前掲書 酒井潔)と言わしめるものと思う。そしてそれはむしろデカルト的な欧米の近代的エゴの本質を示しているものではないであろうか。
こうして西田的日本的精神性は無私に基づく意識の基礎づけにあることが分かる。我々は無私の世界においての意識によって生きていこうという姿勢にあるのである。この姿勢の効能は仏教的に言えば自我観による無明からの解放である。それは、自分が何者であるかを求め、また日々の生きる意味や基盤や目的を追求することに覚醒を得て、安心に生きることを可能とするものである。先ず真理というものはあり、それに至る道があることの覚悟による安心である。さらに私の意識や考えや悩みや苦しみ等などが私のものというより私が存在している全世界のものに他ならないという合一観から来る覚悟の世界を歩むという明らかな境地である。
我々は理屈によって、論理によって納得することでこの問題を解決したいのではない。我々は確信して、即的直観によって自らの存在や生きることについて知りたいのである。それは学問や研究が可能とするものではなく、学問や研究はそれへと導く場合もあるものであるが、即観を与えるものではない。日本的倫理性はその即観を得ることをテーマとしているものである。
この即の観はそこに至るために諸々の方法があり、それぞれ素晴らしいものである。たとえば「日本仏教」諸派や種々の「道」などを上げることができるであろう。
4)デカルト的近代自我観と日本的自我観の対照
自我観について、デカルトの近代的自我観はそのスタート時点から間違っていることが考えられる。「我思う故に在り」の「我」は基本的に我々にとってはまったく異質なものである。日本人には「I」はないという見解がある。日本人の「我」は欧米人の「I」とは根本的に違うものである。日本人の「我」は社会を引き連れて、社会を含めようとする志向性に基づいて形成されているが、欧米人の「I」は社会から区切られ、社会から独立したところで形成されようとする志向性に基づいている。従ってコギトははじめから我々日本人には求めの外にあるものである。(「日本人の脳には主語はいらない」月本洋)
デカルトの「我」が欧米の言語脳の構造からくるという見解から見ると欧米人にとっては「我」は必然的なものである。しかし日本人にとっては必要としないものであるからそうした自我観はテーマとならないものである。
しかしグロバリゼーションの見地から国際理解のためには欧米人の拘りを理解するという意味では必要である。欧米的な自我は先ず自他の観念を定立し、自他分離観が強いということを理解しておくことが大切である。その上で共有観を提示し、共同性を樹立するという手続きが必要なのである。日本語が明治以降欧米観念を造語したのはこうした欧米的観念を理解することによって欧米脳に配慮できてきたということになる。
欧米脳においては自我が確実ではないというところにある。つまり、言語野が自我を感知する視覚野から距離があるのでいったん自我を定立するのである。日本人においては同じ左脳の視覚野から直接言語野に伝わるので自我を定立する前に会話が進められる。したがって欧米脳では自我は明確に言語化されており、自我の説明や確立は重要な問題である。デカルトの自我はそうした背景で追及された。そうして確立された自我が人間のあり方に自我という軸を供与しているのである。
この自我「I」は我々日本人には必要としないものである。この自我は自我の外在化をもたらす。欧米人が母音を右脳で聞くということによってその隣にありそれに連動する分離脳が自我ばかりでなくあらゆる存在についても外在化する作用をすることはあり得ることである。欧米科学精神はこうした分離、外在化に基づいているということになる。
日本での科学は欧米的分析や外在化を方法論的に採用して発達している。日本人の脳は合一的に理解するので問題の解決を自分の側を改善することで解決しようとする。また証明や理解も内的な同意や同情によって解決しようとする。例えば乗り物について、欧米人は道路を石敷きにし、アスハルトを敷き、車や列車を作り出した。日本では牛車を籠に変え、つまり自分の側を変えようとする。欧米的手法ではエヴィデンスによって立証し、同意を得ようとするが、日本人は同情に訴え、地縁血縁に寄ろうとする。つまり内在的に合一しようとするのである。那須与一の弓矢も内的な同一により、オイゲント・ヘルゲルの弓道の世界もそうである。自我観においてもこうした内的な解決を図ろうとするのが日本人的で、デカルトのコギトについても日本人的な反応では、自我の内的な合一の追及と受け止められる。しかしデカルトにおいてはそうした内的合一は自覚されていない。しかしそのコギトは内的な合一に近接している(「日本人の<わたし>を求めて 比較文化論のすすめ」新形信和 新曜社)。
日本人がコギトから受けるインスピレーションは内的な合一観である。内的な合一間とはすべての世界が自分と合一することである。これは西田幾多郎の純粋経験や絶対矛盾の自己同一に共通する。日本人にとっては、コギトは存在との合一観の獲得・自覚を意味するものである。
一方欧米的にはコギトは「我」が「思う」という行為に外在する。「思う」ということが純粋に直接的に在るものである。純粋で直接的であるから明晰で確実で疑いの余地のないものなのである。しかしそれはデカルトのように「思う」は「我」という存在者へとスリップインするのである。この我は完全に分離された、独立したものであることが求められる。いわゆる実体とされるのである。