玄文講

日記

乙氏への悪口

2005-02-18 23:08:11 | 個人的記録
昔の同僚「甲」氏から、昔の同僚「乙」氏が結婚するが式には参加するか否かというメールが来た。
なぜ「乙」の式の案内を「甲」から受け取らないといけないのか私は理解に苦しむ。

「乙」氏は昔からそうであった。自分のことを自分ではやらず他人にやらせるのである。
「乙」氏が論文制作をせずに卒業が危ぶまれたときも、泣いて先生に謝りに行ったのは「甲」氏であった。

念のため繰り返し言うが、論文を書かなかったのは「乙」氏。
先生に「乙」を卒業させてやって下さいと嘆願したのは「甲」氏である。

ついでに言うと結局いつまでも論文制作をしない「乙」氏の代わりに「乙」氏の論文を書いたのは、「乙」氏の先輩である。
その間に彼がしたことは丸一日かけて3ページの長さの芸術的な謝辞を作成したことだけであった。
もちろんそれは指導教官に削除するように命令された。


他にも彼が放り出した仕事を代わりにやった人は私を含めて何人もいる。
彼は字が気に入らないという理由だけで履歴書を一日中書いては捨て、書いては捨てるということを繰り返していたこともあった。
論文発表日の午前中にようやく資料を集め始めていた。
約束の時間に彼が来ないので彼の家に電話をしたらまだ家で寝ていた。それから更に待っても来ないのでもう一度彼の家に電話をしたところ、彼は家の植木に水をやっていて、まだ出かける準備さえしていなかった。
彼についての信じられないエピソードをつづれば一ヶ月はネタに困らない。

とにかく仕事をしないで言い訳しかしない。約束は守らない。物事の優先順位を決められない。つまらないことに固執する。
社会適応能力に大いに難がある人物であった。そんな彼の今の職業は高校教師である。
感動的な事実である。


そんな彼の長所は悪い人間ではないことである。
彼は善人なのであり、周囲の人間が彼を助けるのはそのためである。
そして彼は私に人間というのは善良なだけでは大した価値がないことを教えてくれた。
社会に迷惑をかける善人というものが存在することを教えてくれた。

公平のために彼は気前の良い人物で、私に一度食事をおごってくれたことがあったことは書いておかねばなるまい。
私は餌をくれた人物の恩を忘れたりはしない。そのことは今でも感謝している。
しかし恩を返すことと悪口を言わないことは別のことである。

ちなみに私は彼の結婚式には参加しない。
それは私が彼に友情を感じていないからではない。(そもそも私は友情という言葉が大嫌いである。気持ち悪い。)
乙氏は自分を全肯定してくれる人物だけが好きで、私は以上のとおり彼を半分否定する彼の忌むべき人間である。
式には彼の好きな人間だけが参加すればいいのである。
それに私は甲氏がいまだに乙氏の面倒を見ているといううんざりするような事実だけでお腹がいっぱいである。