飲み会の時、同僚が「スチュワーデスと合コンしたい」と言い出し、私にスチュワーデスを紹介してくれるように頼んできた。
彼がそんなことを私に頼んだ理由は、私の姉が元スチュワーデスだからだ。
すると、その場にいた全員が「それは確実に失敗するから、やめておけ」と断言をした。
何故なら私たちは、、、
金がない。
地位がない。
未来がない。
センスがない。
多くても月給8万円。
酔うとからむクセがある。もしくは酒が飲めない。
特にかっこいいわけでもなく、物理のこと以外に話す話題がない。
そんな「もてない要素」だけを厳選して、凝縮したような自分達が百戦錬磨のスチュワーデスと合コンしてうまくいくわけがないからだ。
誰もがそう口々に言いあった。
先生の一人は、合コンが成功したら次の論文のタイトルを「●●君はスチュワーデスとの合コンに成功しました」にしてもいいとまで言う始末である。
完全に失敗すると思われている。
すると彼は「そんなことはない」と力説。
自分達にも女性から好かれる要素があり、女性とつきあっている同僚が何人もいることを実例として示した。
しかしそれに対して別の同僚が「好かれることと、モテることは別のことだ」と言った。
半分くらいの人がそれに同意し、残りの半分くらいが「意味が分からない」と答えた。
*****************
私の姉は元スチュワーデスで、多分、美人だ。
私にとって姉は姉に過ぎず、身内の外見に興味がなく、判断をくだそうと思ったこともないのでピンとこないのだが、私の知り合いの多くが「美人だ」と言うので、多分美人なのだろう。
しかし、もてていたことは事実だ.
昔には姉の誕生日には必ずどこからか花束が届いていた。
そして姉はそれを見もせずに、母や祖母にあげていた。
祖母はそれを「きれいな花ねぇ」と言いながら飾っていて、よもや送り主の男性も、自分の花束が20代のスチュワーデスではなく、70代の老婆の目を楽しませているとは思ってもみなかったことだろう。
中学生だった私は「男というのは滑稽で、大変だ」と思い、全ての大人の男性と未来の自分に同情した。
そして私は予想通り花束を捨てられる立場の方の人間、
モテない男になった。
しかし、私はもてることに興味はない。不特定多数の人間に好かれたいとは思わないからだ。
それに私がもてるなんて、それは不可能なことだ。
モテていた姉だって、モテることを特に嬉しがってはいなかった。
好きでもない相手、興味のない他人に好かれて何が嬉しいものだろうか。
大事なことは私が特定の誰か一人を好きになった時、その人も自分を好きになってくれるかどうかだ。
そして誰か一人に自分を好きになってもらうことならば、不可能ではない。
(もっとも姉にとってそれは簡単なことで、私にとってはそうではなかったのだが。)
つまり例の同僚が言っていた「好かれることと、モテることは別のことだ」というのはそういう意味のことなのだろう。
特定の誰かに好かれる要素ならば誰で持っている。
しかし女性というマクロな集団にモテるためには、特別な技能が必要だ。
もっとも今の私にはそういう特定の誰かはいないし、思い返すと過去10年間そういう人がいないままである。
あんまりにもご無沙汰なので、「他人を好きになる気持ち」というのがどういうものだったか思い出すこともできないほどだ。
そういう人ができたら面倒くさそうで嫌だなぁ、とさえ思っている自分がいる。