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玄文講

日記

幕間4

2005-10-05 18:44:20 | 個人的記録
学位論文の提出が2日後までせまってきた。

で、プリンターが壊れた。
あらゆる提出書類が印刷できなくなった。

フロッピーにデータを移そうとしたら、パソコンがフロッピーを読み込まなくなっていた。

ネットでデータを送ろうとしたら、サーバーがダウンしていて復旧の目処がたたないらしい。
他のパソコンからはネットにつなげるのに、よりによって私のデータの入っているユニックスだけはダメだそうだ。

自慢ではないが、私は間の悪さと運のなさでは他人にひけをとらないと自負している。

幕間3

2005-10-04 19:06:51 | 個人的記録
学位論文の提出が3日後までせまってきた。
私は最後の追い込みに入っている。
そのせいか今の私は、作業に没頭している。はかどって、はかどってしょうがない。、、、雑用が。

これが俗に言う「試験前日に何故か部屋の掃除を始めてしまう現象」というものであろう。

大学の情報処理センターにIP取得の申請書を提出して、自転車のタイヤ交換をして、
事務に出す審査会申請用紙を書いて、
外国の雑誌から来ていたメールを5ヶ月間無視していたことに気がつき慌ててメールを送り、
紅茶マニアの同僚からいい新茶が入ったと聞いたのでもらいに行き、そのまま茶飲み話をした。

その人は働かないでも生きていける人で「客観的に見ると僕はニートだよね。昔はニートは良い意味で使ってた言葉なんだけどね」と言っていた。
たしか今で言うところのニートは、昔ならば皮肉をこめて高等遊民と言われていたはずだ。

しかし私はニートという現象に懐疑的だ。
失業者、禁治産者、高等遊民をまとめてニートと呼ぶのは一種の現実逃避ではないかと思っている。
景気が回復し、空前の売り手市場になり、それでも大量に働かない人々が残れば、それをニートと呼んでもいいであろう。

しかし、景気が良くなってニートなる人たちが減少すれば、彼らは実はニートではなくただの失業者であったということになり、それは精神論や文明論で語るべきことではなく、不況で失業者があふれるという古典的な現象が起きているだけということになる。
そして私はその可能性が高いと考えている。

ニーとなる言葉を用いて、失業者を怠け者のように扱い、禁治産者を疎み、いたずらに高等遊民を嫌悪するのは勘違いだと思っているのだ。

それとニートを軍隊に送ればいいと言う人がいるそうだが、軍隊は戸塚ヨットスクールではない。
徴兵制のある外国にも一定数の「ニート(高等遊民、ひきこもり)」がいることから、それがそんなに有効な対策とも思えない。
何よりも自衛隊は目的(国防)にかなう人材を集め、彼らを合理的かつ安全な環境下で訓練し、各種災害、有事において運用するための組織である。
そんな大事な組織を自己啓発セミナーと同列に置く人の感覚が理解できない。
国防をなめている、平和ボケをしている、他人(自衛隊員やニート)をバカにしている。

そんな話を私たちは延々とした。
どうでもいい話をするのは楽しいものである。

幕間2、「白夜行」「百器徒然袋-雨」

2005-10-03 23:51:46 | 個人的記録
学位論文の提出が4日後までせまってきた。
私は最後の追い込みに入っている。
そのせいか今の私は、作業に没頭している。はかどって、はかどってしょうがない。、、、推理小説の読書が。

これが俗に言う「試験前日に何故か部屋の掃除を始めてしまう現象」というものであろう。

まずは気分転換に東野圭吾氏の「白夜行」を読んだのだが、これが気分転換にならなかったのだ。
くだらなくて、つまらない本だったわけではない。良くできた話だ。

つまり簡単に言うと、内容が内田春菊さんの「ファザーファッカー」だったわけである。
そりゃあ、読後に気分も沈むというものである。

さらに二人の主人公のうち、一人は小悪党で、もう一人は魔性の女だったのだ。
女性の方は関わった人間を虜にし、敵を次々と破滅させていくという点では吉田秋生さんの「吉祥天女」に似ていた。幼少時に受けた傷も共通している。
しかし「吉祥天女」の小夜子は、自分の敵は自分で殺すタイプだったが、「白夜行」の彼女はそれを小悪党に頼るタイプであった。

小夜子は幼少時に自分をいたぶった男も、自分をみくびって服従させようとした男も、自分を利用しようとした男も、自分の野望の障害になる連中も全て自力で葬り去った。
しかし「白夜行」では、その役割は全部 小悪党のものだ。

だから「吉祥天女」は読んでいて痛快だったのに、「白夜行」は読んでいて気分が沈んでいくのである。

自分で自分の敵を倒せないのが弱者である。
弱者であるということは悲しいことだ。
だから、この小説は哀れなのだ。

それで次は気分転換の気分転換に京極夏彦氏の「百器徒然袋-雨」を読んだ。
こちらはまさに痛快で、気分転換にはうってつけだった。

主人公が榎木津礼次郎だったからだろう。
自称「神の如き探偵」で、悪い奴は神が裁くしかなく、そして悪い奴とは「僕の気に入らない奴」で、気にいらない奴はやっつけるだけ。
勧榎木津懲悪だ。

この無茶苦茶で天衣無縫な探偵には敵がいない。
自分の敵は全部、自分で退治してしまう。
この小説が痛快になるわけである。

しかし結局、気がついたら文庫1500ページを読んでいたことになる。
気分転換にしては、やりすぎたかもしれない。

幕間

2005-10-02 18:00:05 | 個人的記録
学位論文の提出が5日後までせまってきた。
私は最後の追い込みに入っている。
そのせいか今の私は、作業に没頭している。はかどって、はかどってしょうがない。、、、部屋の掃除が。

これが俗に言う「試験前日に何故か部屋の掃除を始めてしまう現象」というものであろう。

それでは、私は今 風呂場のカビを漂白剤で落とすので忙しいので、今日はこれで失礼させていただきます。

道ばたの天才

2005-09-28 18:00:42 | 個人的記録
何年か前、高エネルギー加速器研究所(KEK)へ出かけたとき、それはちょうどKEKを外部に公開する日でもあった。

そこで私は道ばたに立って案内係を勤めている人を見かけた。その人物は、小柄で、頭髪の薄い、どこにでもいるおじさんのようだったが、私はその人をどこかで見た覚えのある気がした。

そして近づいてみて、そのおじさんが偉大なる小林誠氏であることに気がついた。
標準理論の重要なパラメータ「小林・益川行列」を発見し、ノーベル賞受賞最有力候補に挙げられている一流の理論物理学者だ。

その偉大なる学者が、道の真ん中に突っ立って、一般人の「あのー、会場はどこですか?」という質問に答えて道案内をしているのだ。

確かに小林氏もKEKのスタッフの一人であるのだから、そこのイベントで何かの仕事をするのは不思議なことではない。
それにしても、まさか彼らも、今自分がノーベル賞候補者に道案内されているとは夢にも思っていないことであろう。

そして小林氏がノーベル賞を取った時には、彼らは自分がそのノーベル賞受賞者に道案内させたことを思い出すこともなく、自分とは縁遠い人だと思いながらテレビに映る小林氏をながめるのだろう。

有名人が有名人になる前に出会っても、そんなことを覚えていられるわけがないのだから。

そう思うとおかしくなって、私は一人でニヤニヤしながら歩いていた。