学位論文の提出が3日後までせまってきた。
私は最後の追い込みに入っている。
そのせいか今の私は、作業に没頭している。はかどって、はかどってしょうがない。、、、雑用が。
これが俗に言う「試験前日に何故か部屋の掃除を始めてしまう現象」というものであろう。
大学の情報処理センターにIP取得の申請書を提出して、自転車のタイヤ交換をして、
事務に出す審査会申請用紙を書いて、
外国の雑誌から来ていたメールを5ヶ月間無視していたことに気がつき慌ててメールを送り、
紅茶マニアの同僚からいい新茶が入ったと聞いたのでもらいに行き、そのまま茶飲み話をした。
その人は働かないでも生きていける人で「客観的に見ると僕はニートだよね。昔はニートは良い意味で使ってた言葉なんだけどね」と言っていた。
たしか今で言うところのニートは、昔ならば皮肉をこめて高等遊民と言われていたはずだ。
しかし私はニートという現象に懐疑的だ。
失業者、禁治産者、高等遊民をまとめてニートと呼ぶのは一種の現実逃避ではないかと思っている。
景気が回復し、空前の売り手市場になり、それでも大量に働かない人々が残れば、それをニートと呼んでもいいであろう。
しかし、景気が良くなってニートなる人たちが減少すれば、彼らは実はニートではなくただの失業者であったということになり、それは精神論や文明論で語るべきことではなく、不況で失業者があふれるという古典的な現象が起きているだけということになる。
そして私はその可能性が高いと考えている。
ニーとなる言葉を用いて、失業者を怠け者のように扱い、禁治産者を疎み、いたずらに高等遊民を嫌悪するのは勘違いだと思っているのだ。
それとニートを軍隊に送ればいいと言う人がいるそうだが、軍隊は戸塚ヨットスクールではない。
徴兵制のある外国にも一定数の「ニート(高等遊民、ひきこもり)」がいることから、それがそんなに有効な対策とも思えない。
何よりも自衛隊は目的(国防)にかなう人材を集め、彼らを合理的かつ安全な環境下で訓練し、各種災害、有事において運用するための組織である。
そんな大事な組織を自己啓発セミナーと同列に置く人の感覚が理解できない。
国防をなめている、平和ボケをしている、他人(自衛隊員やニート)をバカにしている。
そんな話を私たちは延々とした。
どうでもいい話をするのは楽しいものである。