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学ぶ沖縄戦4・米軍の沖縄上陸は本土攻撃の拠点化目指し日本軍は本土決戦への時間稼ぎ・捨て石/少数派

2022年05月30日 | 戦争を繰り返すな
少数派シリーズ/二度と戦争を繰り返すな
Okinawamanabu 毎日新聞「学ぶ沖縄戦」1945年 第4回 
米軍の沖縄上陸は本土攻撃の拠点化目指し日本軍は本土決戦への時間稼ぎ・捨て石
沖縄戦での日本軍の組織的戦闘の終結から6月23日で77年。
なぜ沖縄が戦場となり、多くの悲劇が生まれたのかを考える。

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火炎放射戦車で日本兵を攻撃する米兵たち=沖縄県公文書館提供

Q.77年前の日米両軍による沖縄戦だけど、そもそもなぜ米軍は沖縄に上陸したのか?
A.太平洋戦争で日本を降伏させるため、米軍は九州や関東への上陸作戦を計画していました。そのための補給拠点として適した場所にある沖縄を占領しようと考えたのです。太平洋戦争は1941年12月に日本が米ハワイの真珠湾を攻撃して始まりましたが、米軍は42年6月のミッドウェー海戦で勝利を収めたのを境に反転攻勢に出ました。44年7~8月には日本が「絶対国防圏」とした防衛ラインを米軍が突破し、サイパンやテニアン、グアムなどを占領。これらの島々を拠点に日本への空襲を本格化させるとともに、44年10月に沖縄への上陸作戦を決定しました。

そして米軍は45年3月26日に沖縄本島の西に浮かぶ慶良間(けらま)諸島に上陸。4月1日には沖縄本島中部の西海岸に上陸して、占領した土地に日本本土への攻撃拠点となる飛行場を次々と建設しました。米軍は45年11月には九州南部、46年3月には関東へ上陸する計画でした。これに対し、日本軍は本土での戦いまでの時間を沖縄で稼ごうと持久戦に持ち込んだ結果、約3カ月にも及ぶ凄惨(せいさん)な地上戦が沖縄で繰り広げられたのです。

2021年、毎日新聞が同タイトルで10回の連載を掲載したものです。
戦後77年など時間的な表現は、一部変えております。


■復帰50年(沖縄の課題)毎日新聞
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投稿者からのひと言/奇しくも今年22年は、沖縄復帰50年にあたります。新聞スクラップを交えて、並行的に基地問題などをお伝え致します。

Sankoub
次号/5・沖縄戦で米軍の兵力差は10倍、激しい砲爆撃「鉄の暴風」で沖縄の地形は変容
前号/3・地獄絵図」激しい戦闘で沖縄県民の1/4が死亡、集団自決、軍が食料強奪、県民餓死

Akahatatop

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