コスモスと風

博多再発見、グルメ探索、旅での気づき,葦ペン画、英語

歴史の足跡

2009-08-11 20:31:53 | ペイント

江戸時代の鎖国時代に長崎の出島は貿易をしていましたが

朝鮮通信使が12回も朝鮮の釜山から対馬、壱岐、相島経由で

江戸まで上ったそうです。

博多の相島(当時は藍嶋だったようです)で福岡藩はかなりのご馳走で

接待をしたリ、文化交流をされたそうです。

魚の美味しい島とのイメージしかなかったのですが

歴史を辿れば当時は開かれた島だったのですね。

このような船で400人以上の人達が280日以上の長旅であったようです。

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2 コメント

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Unknown (the-fuji)
2009-08-12 07:18:03
昔はこんな船で行き来したんですね。ポチ
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大変 (コスモス)
2009-08-12 18:05:32
暴風雨にあったりで大変な事だったようです。
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