昨晩野球を見ているときに録画した金曜プレステージ「木枯し紋次郎」を見る。
かつて子どもの頃,土曜の夜10時からやっていた時は,何とか親の許しを得て見ていたものだ。
思えば土曜夜は,「キーハンター」を見て,「木枯し紋次郎」で締める,というTV三昧だった(もう少し後にドリフを見るようになり,その10年後は「ひょうきん族」を見たように記憶している)。
で,確か30分ずれた裏番組が「必殺仕掛け人」で,そっちの方が圧倒的に人気があったように思う。
しかし,私は中村敦夫が演じる紋次郎が圧倒的に好きだった。
ニヒルなアウトローを気取って,例の決めぜりふである
「あっしには関わりのないことでござんす」
と言いつつも,結局関わってしまう(笑)お決まりの展開と,少々子どもには刺激的だったお楽しみ(爆)の場面,そして終盤の大詰めの場面でのど派手の殺陣・・・と,明日は日曜でお休み,という開放感もあって,わくわくしながら見たものである。
実は,子どもの頃から結構時代劇が好きで,NHKだと「開化探偵帖」,「鞍馬天狗」,「男は度胸」,「天下御免」,民放系だと「大岡越前」,「銭形平次」(勿論大川橋蔵版),「大江戸捜査網」(第一シリーズの方-つまり橋爪淳や京本政樹ではない方),「文五捕物絵図」といったものをちらちら見てはいたのだが,「木枯らし紋次郎」の方は,颯爽とした若侍や粋な着流しの浪人が活躍する活劇とは一線を画し,困窮を極める庶民の生活ぶりが都政人の目を通して描かれ,もっとどろどろとした黒い欲望が渦巻いている感じで,子ども心にも陰影が感じられた。
決して,単純な勧善懲悪といった結末には成らず,紋次郎が救った貧乏人には,さらにつらい現実が待っている,といった一種の救いの無さや無常観のようなものも感じられ,あまり後味の良くないものだった。
ただ,エンドロールに流れる上條恒彦による「だれかが風の中で」を見るのが好きだった。
今となっては,朧気な記憶でしかないが,雲一つ無い草原を三度笠に合羽といった股旅者の定番スタイルの紋次郎が駆けてくる。
腰には,品のない朱鞘の一本差し。
逃げ水が立ったようにその姿がゆらゆら揺れる中,男っぽい美声の上條恒彦によるエンドタイトルが流れる。
その格好良さに,一人指を鳴らしたものだった・・・。
でもって,今回は江口洋介による紋次郎である。
中村御大が老いたやくざ者の役で,ちょいと出てくるのが何ともお茶目だった。
江口の紋次郎は決して悪くはなく,きっと中村の紋次郎を研究したのでは,と思わせるものが感じられた。
演出も,極力前作のキープコンセプトを心掛けたのだろう。
視聴者に媚びたような配役も演出も無く,好感の持てるできだったと思う。
敵役の渡辺いっけいは,変な役やこうした悪役をやると絶妙に填る。
伊武雅刀と双璧,と思うのは私だけだろうか・・・。
小澤征悦とともさかりえ,という共演は昨年の「篤姫」を思わせるが,ごつい小澤に生活やつれが似合うともさか(10年前はおねいさんだったのに,いつの間に・・・)と,悪くなかった。
ただ,終盤の殺陣は今ひとつスピード感に乏しく,ど派手な中村のそれには遙かに及ばないような気がした。
久しぶりに本格的な時代劇を見た感じがして,一応満足である。
ただ,バラエティ番組とトレンディドラマがお手の物のCXだけに,江口洋介の紋次郎で果たして視聴率がとれるのか・・・などと余計なことを思ってしまった。
本当は,SMAPの誰かを出したかったのでは(時節柄無理か?)などと邪推して,誰も似合わないだろーな,と舌を出した。
さて,久々に「ちょんまげ天国」なるCDを出して「だれかが風の中で」を聴いてみるか。
颯爽たる曲調とはやや裏腹に,「雲は焼け道は乾き」とか「心は昔に死んだ」とか「微笑みには遭ったこともない」,「血は流れ,川は叫ぶ」といった歌詞は,当時の私に衝撃を与えた・・・。
そう言えば,上條恒彦はあの後,「紅の豚」のマンマユート団の頭目役と,「毛利元就」での武将役,後は丸大食品のCMくらいしか記憶していないが,今でも歌っているのだろうか・・・。
あ,そうそう。
紋次郎の故郷である「上州新田郡三日月村」であるが,本来新田郡には三日月村は無いと思う。
で,こんなテーマパークが現地に出来たのはいつだったのだろう・・・。
因みに,原作者の笹沢左保は時代小説の他に,竹中半兵衛を扱った歴史小説も書いていた。尤も,私が読んだのは,殆ど官能小説のようなミステリーものだったが・・・。
今回の江口紋次郎の鞘の色は錆朱色では無く黒でした。何故外したのでしょうか?
笹沢先生は人気絶頂の頃三階建ての豪邸を建てていて三階に書斎と応接間があり、そこで執筆されていたそうです。応接間の絨毯は赤、椅子は黒。
紋次郎の風景には夕日や暗闇がいつも見られ、黒い合羽に錆朱色の鞘の愛刀・・・これが笹沢先生の好みでもあったようで、ここは押さえていて欲しかったと思います。映像的にも見栄えがいいですしね。
それで、koshiさんの文中の「品のない朱鞘の一本差し」は、少々紋次郎ファンとしては引っかかります。
笹沢原作でそのような表現があったのでしょうか?
私の記憶では無い様に思うのですが、もしkoshiさんのご感性でそのように表現されたのであれば、紋次郎ファンとしては余りに残念で悲しく思います。
失礼致しました。
拙文をお読みいただけるだけでも有り難いのに,丁寧なコメントまで残してくださり,大変うれしく思います。
さて,ご指摘の点ですが,私は本文でも述べましたように,熱心な笹沢作品の読み手ではありませんので,勿論そのような表現は,笹沢作品からとったものではございません。
ただ,「朱鞘仁義」とか「朱鞘罷り通る」,「朱鞘安兵衛」,「からくり殺法 白柄朱膳事件帖」といった具合に,斜に構えたり,伝法でいなせだったり,アウトロー的だったり・・・と,世間に対する反主流・新体制といったイメージがあるのは事実だと思います。
笹沢氏もきっとそういったことをイメージされての設定だったのではないでしょうか・・・。
「品のない朱鞘の大刀を落とし差しに・・・」といった表現は,確か司馬遼太郎の「国盗り物語」だったか山岡荘八の「織田信長」だったか,いずれにしても若き日の信長が荒小姓共を引き連れて悪さをはたらく場面での描写でした。
それがずっと記憶にありまして,こうした表現になったものと,自分では思います。
先程,おみつ様のサイトへリンクを辿り,読ませていただきました。
私のような広く浅くではなく,紋次郎および笹沢作品をしっかりと理解した上で,論考をされておられ大変感心させられました。
お気に障ったことに関しては,未熟者である私の拙劣さの致すところでして,お詫びの言葉もございませんが,素人には素人の感性があります。
誤解を招くかもしれませんが,私が紋次郎(というかこの番組)に惹かれるのは,アウトローとしての格好良さや,ニヒルに気取っていても弱者に対して黙っては居られない姿勢,そして道中合羽に三度笠,腰には落とし差し,といったファッション・・・といった要素です。
決して紋次郎や番組と原作を貶めるつもりで書いたつもりはございません。
お気に障った点は本当に申し訳なく思いますが,素人の駄文と思い,寛大なお心でご容赦いただくことを願うばかりです・・・。
凡庸な私には少々分かりづらく感じましたが、
「品のない朱鞘の一本差し」とは枕詞のような
ものと言う事でしょうか?
誠に申し訳ないですが、気に障ったと言う事ではなく、木枯し紋次郎に対して予備知識のない方がその言葉を読んだ時に「品のない」というイメージだけが一人歩きしかねないと危惧したものです。
昨日、ヤフーで「木枯し紋次郎」で検索するとkoshiさんのこのページは私のブログの一つ上で
8位以内のかなりな上位でした。
それだけ多くの方がお読みになっていると言う事だと思います。
koshiさんが、広い知識をお持ちで紋次郎や番組と原作を貶めるつもりで書いたつもりではないのは理解しております。
お返事いただけて感謝いたしております。有難うございました。
コメントありがとうございます。
受け取り方というものは,各人多種多様でして,それが故に言葉や表現に留意しなければならない,何せ全世界に向けて発信するものですし・・・。
ただ,私がとった表現は,無頼なアウトローで,斜に構えた人生を送っているようなのに,弱者に遭うと関わらずには居られない紋次郎に対する共感と生き方への憧憬によるものであるとご理解いただけると有り難いです・・・。