koshiのお部屋2

万年三歳児koshiの駄文のコーナーです。

龍馬伝-第22回「龍という女」

2010年05月30日 21時14分41秒 | 龍馬伝

以蔵とお龍の話でした。
で,時期的には文久3(1863)年暮れという設定でしょうか。
同年9月の土佐勤王党瓦解によって,勝の海軍塾に居る土州藩士には帰還命令が出されます。
当然龍馬等は無視しますので,自動的に脱藩扱いとなり,京洛に於いては会津藩支配下の新撰組によって追われることとなります。


武市捕縛後,以蔵は京大坂を逃げ回ったことでしょう。
懇意だった女が居たかどうか定かではありませんが,身も心も荒んだ状況にあったあったことは間違いありません。
ただ,龍馬が以蔵に救いの手をさしのべたかどうか,これは想像するしかないと思います。龍馬は当時,塾頭として神戸海軍塾創設に忙殺されていたでしょうし,年末は京ではなく江戸にいたと思われます。
藩庁からの帰国命令は江戸に於いて受けたのではないかと予想されますが,果たしてどうなのでしょう・・・。
ですから,以蔵との接触は無かったと思うのですが・・・。
因みに以蔵が捕縛されたのは元治元(1864)年4~6月と思われます。
京で所司代に捕まり洛外で土佐藩に引き渡され,拷問で洗いざらい吐き土佐勤王党を崩壊に導いたことから,他の土佐出身の志士たちと違って今まで全く慰霊をされなかったそうですが,遂に今年このドラマをきっかけに慰霊祭が行われたとのことです。
幕末という異常な時代に生まれ,武市に利用されて悲惨な末路を辿った以蔵の人生は,土佐勤王党の哀史と共に語り継がれるべきものなのでしょう・・・。


・・・で,お龍です。
旅籠の飯炊き女という設定のようですが,よう分かりませんでした。
父楢崎将作は安政の大獄で命を失った勤王の医者というのは分かっているのですが,父の死後一家は落剥し,どこでどうやって暮らしを立てていたのでしょう。
料理屋で働いていたとも天誅組の賄いをやっていたとも言われています。
龍馬との接点は一体何だったのでしょうね・・・。
で,伏見の船宿寺田屋の名物女将であるお登世の養女となったと言われていますが,これは「竜馬がゆく」にあるように龍馬の口利き(それもかなり強引な)だったのでしょう。
ただ本作には寺田屋もお登世も登場していないので,今から出すとなるとかなり強引な設定となることが予想されます。
妹が借金五両の形に取られ,丁度龍馬が乙女姉さんからの仕送りで五両持っていたという安易な設定・・・。
如何に不幸な境遇に同情したとはいえ,龍馬がお龍に大金を渡したのはやはりお龍が美しかったからでしょう。
しかし龍馬の胸中は以蔵のことばかりでした・・・。
新撰組と斬り合ってしまったのは,ちょっとやばかったのではないでしょうか・・・。
どうせなら剣豪同士の立ち合いをしっかり見たかったような気もします・・・。
で,お龍役の真木よう子さん,伊藤淳史主演の学校ものでは同僚の教師役で,その時は颯爽とした出で立ちで,ほぉ・・・と思ったのですが,今回はやたら気が強く癇癪持ちなだけで,美しさが感じられませんでした・・・。
結婚されて所帯やつれした訳でもないでしょうが,どうも今日に限ってかどうか今ひとつでした・・・。
次回以降,龍馬が本気で惚れた女として,どのように描かれるのでしょう・・・。


来週はもう池田屋まで行ってしまうようです。
片袖はどうなる・・・,陸奥陽之助は・・・,お登世も出ていないし,西郷に大久保,長州系だと高杉も出てないか・・・,周布政之介に来島又兵衛,真木和泉・・・,大久保一翁・・・,小松帯刀・・・。
何か心配になってきた・・・。
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2 コメント

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感想です。 (桔梗)
2010-05-31 17:27:38
こんにちは。 以蔵くんもとうとう捕まってしまいましたね。
新撰組のメンバーも名もなのらずにいきなり画面に登場して(笑)切りつけるんだもの・・。
「篤姫」の大久保どんもまたのご出演。
NHKは彼が好みなのかな?

来週は土佐での拷問が始まるのでしょうか。
見てるほうが痛い!!
そういえば先週のNHK「土スタ」に以蔵役の佐藤健君が出てました。
21歳の若者で共演者の皆さんにかわいがられているようですが、41歳の福山龍馬さんと幼馴染ってどうですか?と突っ込まれていましたよ。

そしてついにお龍の登場。
彼女のイメージである美人で気が強いところをしょっぱなから出してましたね。
妹を連れ戻す話は知っていました。
でも父親は医者をやっていたのに亡くなるとすぐに貧しくなるもんだろうか・・と現代にあてはめて見てしまいました。(笑)

ところで神戸の史跡ですが・・、
車では近くをよく通っているのにじっくり見たことがなかったので今日、行ってきました。
「手紙でめぐる龍馬とニッポン」というサイトを参考にさせてもらいました。(写真が載っていてわかりやすいです)

1、諏訪山にある勝海舟による「海軍営之碑」
2、神戸海軍操練所の碑 (大きな錨と本)
  現在はビルや高速道路が2本通ってます。
3、陸奥陽之助(宗光)の碑  
  彼は4代目の兵庫県知事だったんですね。

ブログはしてないのでここで土佐行きの感想を・・。
高知市では高知城と龍馬の生誕地、近藤長次郎宅跡、本家の才谷屋(喫茶店、でも閉まっていました。)、いずれもご近所。
そのあと桂浜、龍馬記念館へ・・。
龍馬の家から高知城ってわりと近かったんだな~と思いました。
桂浜に行った時は曇り空で風も強かったので、次回は青空のもと、眺めのよい太平洋を記念館の屋上でみたいぜよ。

次の日は安芸の弥太郎くんの家を見てきました。
あんなに汚い家ではなかったですよ。
今では観光客用に家の前に土産物店やトイレもできてます。
行かれたことありますか?
大通りの傍の公園には例の右手を横に出した銅像があり同じ格好をして写真を撮ってきました。

「龍馬伝」、次回からは物騒なシーンが続きそうですね。




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ありがとうございました (koshi)
2010-06-06 21:45:43
桔梗さん,今晩は。
そして,今回も亀レス大変失礼します・・・(滝汗)
拙サイトのようなところに,これ以上ないような充実したコメントをいただき,ありがたくてなりません。
どのようにお返事するか迷っているうちに無為に一週間過ごしてしまいました・・・。

神戸の海軍塾跡は本日番組終わりに紹介されていましたね。
開港以前の神戸は確かに今の発展ぶりからは考えられないような寒村だったのですね。
ただ,神戸という地名は無かったにせよ,度々歴史の舞台となったでしょうから,地勢的に要地であったと思われます。
最初は清盛の大和田泊築港と福原遷都でしょうか。
そして次が一ノ谷の戦い。
平氏が兵を構えたのは,一ノ谷と今でも地名が残る生田の森でした。
そこへ鵯越を逆落としに義経が奇襲をかけたのは周知の通りです。
さらに南北朝期には湊川の戦いがありました。
尊氏の軍勢を迎え撃つ楠木正成が陣を構えたのが会下山,足利軍の陽動作戦が行われたのが和田岬沖です・・・。
・・・といった具合に,神戸は史跡が多く,私もゆっくり訪れてみたいところです・・・(仕事で行ったことはありますが・・)。


土佐は随分いろいろと見られましたね。
弥太郎旧宅は(私は行ったこと有りません),安芸市の北部ですよね。
高知から随分遠いので,虫かごぶら下げて往復できるはずはございません。
地図を見ると,東の方に長曽我部時代の城跡があるようですね・・・。
駅から約2キロというところでしょうか・・・。
桂浜も遠いですよね。
バスを利用するしかないでしょう。
龍馬の生地は上町でしょうから,お城から近いですよね。
龍馬郵便局なんてのがありましたね・・・。
高知城では,藩祖一豊室の見性院と十両の馬の像の前で写真を撮りました・・・。
才谷屋が喫茶店だったとは寡聞にして知りませんでした・・・。


・・・ということで,貴重な情報の数々本当にありがとうございました。
ぜひまた神戸や高知のことを教えてください。
本日放映分の感想もアップしましたので,お読みいただけると嬉しいです・・・。
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