koshiのお部屋2

万年三歳児koshiの駄文のコーナーです。

龍馬伝-第28回「武市の夢」

2010年07月11日 19時12分07秒 | 龍馬伝

のっけから後藤の前での猿芝居のリフレイン。
ピエールと弥太郎が感動の涙を流す。
そして坂本家では龍馬の行動に,兄権平を中心に賛嘆・・・。
をいをい,お家取りつぶしの危機だぞ。
勝手に龍馬が坂本家と義絶したとしても,連座は免れません・・・。
突っ込みついでに,龍馬の姪春猪役の前田敦子嬢。
確かに可愛いのですが(をい),この時点(元治元~慶応3年)で既に嫁いでおり,子どもも居ます・・・。


・・・で,容堂が牢にやってきた・・・(絶句)
腹を割って話す容堂に,武市は感動して自白して・・・。
何なんだよ,一体・・・。
証拠不十分のまま,容堂は刑を断行したのではなかったのか・・・。
以蔵も自白せず,武市からの手紙で容堂が感謝したことを伝えられる・・・。


しかし,こんなことで驚いたり呆れていた私は大甘だった・・・。
龍馬が何とまだ土佐に潜伏していて,出仕途中の弥太郎捕まえて武市に会わせろだぁ・・・(悶絶)。
俗吏に落ちた(揶揄しているのではなく,弥太郎の生き方とはそういうものであり,天寿を全うしたのですから,是とすべきです)現実主義者の弥太郎がそんなことに手を貸す筈もなく,ましてリスキーなことなんかする訳ございません・・・というか,慶応元年春(と思われる)この時期に弥太郎と龍馬と武市が会うなんてことはあり得ないと断言しましょう・・・。
というか,何度も言っていますが,龍馬と弥太郎の接点は龍馬脱藩直後の大坂と慶応2年以降の長崎でしか無く,武市と弥太郎の接点に至っては皆無と断言しても良いと思います。でもって,こんな無駄なエピソードに時間かけるんじゃねーよ,と言いたくなります・・・。


これで第2部が終了。
・・・といっても,明確な区分があるわけではなく,制作側が勝手に土佐編,江戸編,脱藩編といった具合に分けているだけのような気がします。
次回は長崎が舞台のようなので,あのエキゾチックな雰囲気を味わえると良いのですが・・・。
尤も,元治元(1864)年2月に龍馬は長崎へ既に行っております。
ですから,次回初めて長崎を訪れたような描写があったとしたら噴飯ものでございます(多分有りそうだ・・・)。
因みに,武市の獄死が慶応元(1865)年5月。
では土佐で武市に会っていた龍馬は本来何をしていたのでしょう・・・。
多分4月までは神戸の操練所閉鎖の残務処理をして,その後薩摩へ。
武市が見事三文字腹を切った頃は,鹿児島・熊本を経て長州下関の豪商白石正一郎のところに居た筈です。
既に龍馬には薩長同盟の構想があったということでしょう・・・。
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