風通庵-直言

ヨモヤマ話

定年短縮で人生を二毛作に

2007-01-10 11:20:42 | Weblog
 団塊の世代が、今年から60歳の定年を迎える。終戦の翌々年の昭和22年から24年までの間に一塊になって生まれた世代だが、出征兵士の除隊や外地からの引揚者で国内に人口が溢れ、しかも道行く女性の大多数が妊娠中であった。そんな時代に生まれたその人たちが今や社会の第一線から退こうとしている。一つの時代の終わりである。安倍首相が戦後レジュ―ムからの再出発を唱えるのも、ムベ成るかな、である。

 団塊の世代が定年を迎えて大量に、同時期に退職すると、企業は老練の重要な戦力を失うと同時に、多額の退職金の支払いによる出費が伴い、全体的に経済全体のの停滞さえも予測され、政府は年金受給者資格者に対する資金の裏付けが急務となる。また、退職者本人は長寿社会を如何に過ごすか、生活基盤の再構築が必要になる。こう見てくると、全体にマイナス面が二重三重に取り巻いている。

 元々、この定年と言う制度、旧国鉄が最初に取り入れたようだ。(或いは違うかも)。人生50年の時代に55歳まで働けると言うのは画期的で、あなたの一生を国鉄が保障しますと言う完全な管理体制を行っていた。定年55歳の古典的な年齢はここに端を発していた。
 ところで、平均寿命が長くなった現在、定年年齢もそれに準じて延長し、通常の60歳がいまや65歳になりつつある。一部では70歳も。日本人は今もなお働く事にこそ人生の意義があるとの精神構造は根強い。したがって、定年の延長は常識的な思考である。
 しかし現実の問題として、60歳に達した時点で、今後何年働けるか、自問してみるとよい。必ず「私はまだ若い」と言う答えがかえってくる。意識のうちでは若くても、体力の面では本人が思っているほどには若くない。若年者の場合は、年齢で体力に差はないが、高齢者の場合は一概にはいかない。一人合点で、マイペ―スでの仕事ならいざ知らず、組織の中で時間に縛られて、他と同じ仕事が出来るかどうかだ。
 それは無理だろう。だから、ただ延長するばかりでなく、ここで定年を短縮する事を考えて見てはどうか。所謂、「人生二毛作」だ。

 あれは何時の頃であったか。昭和の30年代であったかも、人生二度結婚説を唱えた学者がいた。初婚の若い男性が二度目の中年女性と結婚、女性の死後、中年になった男性が、若い初婚の女性と再婚すると言う制度だが、当時年上の女性と結婚した男性、いずれも芸能人だがそんな事例からと、安定した家庭生活を営む為の窮余の策であったと思うが、風紀の問題もあり、単なる考え方に終わった。
 しかし、人生の二毛作は実行可能である。
  
 定年を50歳位に短縮して、そこで一度前半の人生に結着をつけて、そこから二度目の人生のスタ―トを切つて、70歳位まで働く。そんなアイディアだ。そうすれば前半は30年、後半は20年になる。
 若い頃に、自分の生涯の仕事について悩んだ経験のある人は多いだろう。絵描きになりたいが、自信がない。それなら前半にサラリ―マンをして、後半の人生で絵を描こう。その逆もありうる。こうなれば考え方にも余裕が出来る。もっともいまマルチ人間と言われて、すべてに挑戦してすべてに成功している例もあるが、それは特殊な才能の持ち主で、月並みではない。

 そこで、まず、企業の雇用制度として、定年を50歳、60歳、70歳と段階を定める。50歳で昇進・昇給はストツプ。そこで退職か、継続勤務課は会社との話し合いで決定。60歳以後の継続勤務は給与のダウン。終身雇用の制度を採りながら、途中下車の制度も併用する。これを裏返すと、企業は中途採用、従業員の再チャレンジに道を開かなければ成らないことになる。

 これは実行可能か。それとも白昼夢か。