風通庵-直言

ヨモヤマ話

中国でのバス連続爆発でテロの可能性はないとは言うが

2008-07-22 19:41:23 | Weblog
 中国南西部・雲南省の省都・昆明市中心部2箇所で、21日に発生した路線バスの爆発について、中国の劉報道官は「五輪に向けたテロの可能性は少ないが、引き続き調査をする」と言っていたが、五輪がなければ当然起こり得なかった事件。
 中国全土で続発している暴動、民衆の乱の一連の事件の類と言いたいらしいが、それとこれとどう違うのか。
 4年毎に世界のどこかの国で行なわれている五輪で、聖火リレ―の段階から内外で暴動や住民の反乱が行なわれた例はあるのか。
 
 

価値観の違う国・韓国との交流の中止は当然

2008-07-19 10:59:47 | Weblog
    ―(前・略)―

 (得たものより)失ったもののほうが大きいと、駐日韓国大使は帰国後記者団との会見で述べていたが、韓国との関係で、わが国は何を得たか、それ以上に失うものとは何があるか。韓国との交流が相次ぎ中止、その影響が120の自治体の姉妹都市の交流、交流事業、議員の訪問、学生の親善交流等と産経新聞(7、19、)は報じているが、そうでなくても、価値観の違う国との交流は敢てしないほうがいい。百害あって一利なしである。
 北朝鮮の金剛山観光で、立ち入り禁止地区へ入って韓国人女性が射殺された事件や、その後の観光中止発言で、北朝鮮は責任は韓国側にあるとか、韓国に謝罪を要求するとか、どう見ても我々とは価値観が違う。価値観どころか常識から仕来りまで、根本的に違う。しかも違いすぎる。----と、思いきや、よくしたもの、やはり一つの民族、一つの国家、二つの制度とは誰が言うたか。金日成か? 半島国家の共通の国民性かも、ね。
 いづれも、「無期延期」とか、「中断」とか言っても、はっきり「中止」でいいではないか。問題が肯定的に解決されたら協議するとか、さて何を言うか。韓国側の肯定的はわが国の否定的だ。先ずありえない。従って、協議するなんて韓国側が期待を残した表現をしても、それに応ずることはない。そう解すべし。そう断言する。
 
 わが国は、南の方向に進路をとろう。永遠の「空き方」か「恵方」である。北や西の方角はいつの時代でも「鬼門」のようだ。

竹島はいずれ「第二次日本海海戦」の火種

2008-07-18 10:11:57 | Weblog
    ―(略)―

 韓国が、竹島を解説書に明記したのは、日本の「宣戦布告」とみなすと言うなら、日本は「第二次日本海海戦」勃発の予告とでもみなすか----!?

 韓国名の独島はいいとしても、朝鮮半島を韓半島、日本海を東海と、何しろ日本の植民地支配の呪縛から脱却できなくて独自名称をつけるなど、やはり視野の狭い半島国家の背伸び以外の何物でもない。
 
 エピソ―ド① 
 福田赳夫前首相が、何を思ったか「韓半島」と言ったことに、国際的な名称がいつ変わったかと追求されて、いや別に深く考えて言ったことではないと弁解していたが、当時は韓国の朴大統領の独裁政権に批判的であった、そんな時代。
 エピソ―ド②
 佐藤首相の時代に、名前は忘れたが閣僚の一人が、日本を侵略国家と悪者扱いするがいいこともしてきたと言ったことから、その閣僚の首を切った。当時はかくも韓国との友好関係に気を使っていた。そんな日本の残像が今も韓国にあるのではないか。

 竹島問題に関しては、「杞憂」も「主権侵害」もない。韓国と日本の両国間の根本的解決は、「國際司法裁判での決定」以外にない。そうでなければ、第二次日本海海戦も辞さずの心構えが必要。
 この問題では、日韓関係が悪化しても止むを得ない。それは時代の推移である。韓国の駐日大使の一時帰国は、「永久帰国」でも仕方がない。日本の政治状況を日本の右傾化と言うが、右傾化左傾化の表現は日本には当てはまらない。自国の物差しでわが国を計るな。
 歴史問題がそうであるように、この竹島問題も韓国とは話し合いによる解決はできない。その根本は「史観」の違いである。韓国の唯一の史観は日本の「植民地支配史観」で、古文書の記録も文献も不用、時代考察もいらない。ただ植民地支配の呪縛から逃れるための「私観」の集積が彼の国の史観といえば唯一の「史観」である。
 嘗てテレビ番組「報道2001」の特集で、韓国の与野党議員との対談を聞いていて、そう感じた。シャトル外交も友好都市の交流も全部ストップするがよい。かりそめにも友好なんて話し合える相手でないことを、改めて思い知るべしだ。

 

 

一度民主党に政権を渡しては?

2008-07-17 16:00:32 | Weblog
 政策か,政局か、どうせなら政局で政権を獲得と息巻くから、期待に応えて一度民主党に政権を渡して、その能力を試してみては。それも現在の政治状況を打破する一方法かもしれない。
 何しろ民主党は「アメ」をばら撒く政策が好きだ。そのアメの原資がどこにあるのかは知らない。また知ろうともしない。まさか小沢が私財を投げ出すとも思えない。いかに数字にかけては魔弾の射手なる長妻氏も、無駄をなくしての一点張りで、そこから一歩もでない。全部をばらして組み替えても、その差があまりにも大きい。国民も知ってか知らずかそこまで追求はしない。一度そのアメの恩恵にあずかりたいもの、まあその程度の気持ちかも。
 民主革命として,国家の機構から根本的に変えてしまうなら、それはそれでいいんだが、なにしろ政局の一語、だから共産党からは民主党も自民党も同じと揶揄される始末だ。さて、いざ政権を取れば混乱に混乱で、------何がなにやら、どれがどれやら、それがごっちゃになりまして、わてホンマニよう言わんわ----。でも、わが国ではお隣のどこかの国に見るようにデモや、卵を投げつけるような下司な行動はしない。そこはそこ、やはり成熟した民主主義の国である。
 あのマニフェストで政治がスム―ズにいく筈がない、とあらかじめ思っていても、そこは余裕の国、鷹揚な国民性である。一度、政権を渡して、試してみよう。

 戦後の昭和22年頃か、吉田茂首相は社会党に政権を渡した。片山内閣である。1年もたなかった。以後、なんでも反対反対の反対政党に転換した。政界に大鉈をふるった例である。
 さて、大鉈がふるえるか。

こうして「悪の華」は咲き続ける

2008-07-17 12:51:31 | Weblog
 公立学校の教員の採用にはコネを見つけるか議員の口利きか、そんなことが公然の秘密となっているから、採用された方には不正の認識がないのか。
 この「不正の認識」とは何か。
 大分県が不正な手段で合格した教員の採用を取り消すと発表した。ところが「何を根拠に」採用を取り消すのかと言い出した。
 いったん採用されると地方公務員法によって身分が保障されて、解雇にはそれ相当の理由と手続きが必要で、仮に今回の不正に採用された教員でも、本人に「不正の認識」がなければ、解雇、免職の手続きをとるのは困難とか。
 それはそうで、公立学校の教員の採用には「コネ」か「議員の口利き」か、それが先決だと殆どが認識しているから、当然「不正の認識」がないのが普通である。しかし、仮に不正を認識していても、私は不正ですと言って、わざわざ解雇されにいくバカはいない。

 ところで、ベテラン民事裁判官は「懲戒、分限の理由がなければ意に反して免職されない。------合格ラインに達しなかったからと言って一律に取り消すのは難しいのでは----」と指摘し、労働紛争の専門弁護士は「不正な採用だからと言って直ちに適格性を欠くとは言えず、懲戒免職も本人が不正を認識していたケ―スに限られるのではないか。」との、法を盾にした強い味方が現れた。それだけではない。労働弁護団の弁護士は「県教委の組織的不正が原因だから、不正のツケを受験者にだけ負わせるのはおかしい。」(讀賣新聞、7,17、)要するに、教育委員会という組織の罪と言うわけ。
 さてそうなると、
 組織が犯罪の元凶なら、不正で教員に採用された者は被害者か。
 不正の余波で採用されなかった者は、法的な救済はないのか。
 加害者は県教委で、被害者は不正で採用された教師。
と、言うことになろう。弁護士が法を盾に話し出すと、一般の常識とは異なる方向に向かう。刑法犯で加害者が人権の名の下に庇護されるのに、被害者が蔑ろにされるケ―スと同じではないか。本来の悪は誰なのか。発生の瞬間に本来の悪は人の心の中にもぐりこんで見えなくなる。

 こうして「悪の華」は咲き続けるんだ。
 

 

六カ国の「草刈場」となる北朝鮮

2008-07-11 13:43:33 | Weblog
 六カ国協議がどうなろうと、アメリカのテロ支援国家指定が解除されようが、どこの国が重油を提供しようが、北朝鮮が核を廃棄することはなかろう。
 国滅んで核残る。
 核が残っても、将軍さまも生身の人間。

 援助する側よりして貰う側が偉い国・北朝鮮も、もはや手の内がすべて出尽くした感じで、北の核廃棄を政権の実績にしたいブッシュ政権より、その機を捉えたい北朝鮮の方の焦りが大きいのでは、と思う。
 北朝鮮の方が焦っているのではないか。北以外の五カ国の元首は変わっているし、その内の三カ国が担当者が変わっている。六カ国構成以来担当者の変わらない国こそ北朝鮮ではあるが、果たしてそれがよいことか。今に分かるであろう。
 いくら個人で権勢を欲しいままにして権力を誇っても、元をただせば、いや、たださなくても将軍さまも所詮は人間。寿命と言うものがある。命尽きればあの世行き。これだけはどうにも仕様がない。このままで後継者も決らず、すったもんだの挙句、いかに疲弊した国と言えども権力闘争が始まり、国内で核爆発。
 そんな事態を既に想定しての「利権あり」の発言でもあろうし、拉致の早期解決を表向きに利権を狙う思惑でもあろう。
 いまさら北の手の内のみえみえの策動に乗らずに、ゆっくりと、引き延ばし引き延ばしして国内の内紛を待って、六カ国協議をボツボツやればいいんです。

 その節は、六カ国協議は北朝鮮を草刈場としての群雄割拠、配分の会になるであろう。ロ―マも永遠ではなかった。

言わなきゃよかった一言が----ね、加藤くん

2008-07-11 11:49:59 | Weblog
 加藤く―ン。
 言わなきやよかったあの一言。
 安倍さんの「百害あって利権あり」に反論したつもりが、天に向かって唾を吐いたかたちと相成った。盛りの終わった政治家、貧すりゃ鈍するで、何を言おうと誰も聞く耳持たないが、運悪く、拉致被害者家族の逆鱗をかった。
 バカだな―。

 「国と国との約束」とは言いえて妙ではないか、加藤くん。 国と国との約束から北が拉致したのか、加藤くん。
 拉致はテロ、国家犯罪、その犯罪国家とわが国は同列か、加藤くん。
 でなくてもダ、国と国との約束を守るような国か、北は―。金個人国は―。加藤くん。
 安倍さんに対しての拉致被害者家族の反撃を予想しての、あの一言が、予想を裏切って、オノレに降りかかったとは何たる人の世の皮肉?
 しかも、後講釈。
 鈍したな―、加藤くん。

 あの、旧防衛庁長官、自民党幹事長の役職を若くしてこなしたあの時代が、政治家としての最高の時期。
 あ―、鈍したな―、加藤くん。
 

最早マジック点灯―阪神ばかりが何故強い?

2008-07-10 11:39:57 | Weblog
 同じ「50」の一番乗りでも、阪神の50は勝数だが、横浜の50は負数。いかに民主党が格差を論ずるのが好きでも、そこまでは言えまい。これこそ実力の差と言うもの。
 そこで、阪神が何故強いか、仇敵球団の僚友紙・讀賣新聞(7,9、)がうまい分析をしていた。

 点描―<岡田流起用の哲学>がそれ、

 (略)長いシ―ズン、どのチ―ムも故障や不振で主力が欠ける時がある。阪神も、当初の構想通り進んでいるわけではない。------だれかが抜けると、そこをだれがカバ―するのか------、こうした場合、活躍している選手の「配置転換」を、まず考える。
 ところが岡田監督は、好調な選手を動かさない。足りなくなったポジションには、まったく別の選手を当てはめる。「好調なチ―ムを支えているのは、今、仕事をしている選手たち」という認識があるからだ。
 力を発揮している選手は,今の役割を全うすればいい。
(略)
 調子がいい時ほど「こうすればもっと良くなるのでは」と欲張るのが普通だ。ただ、屋台骨を動かすと、全体まで崩れかねない。

 ここがいまの阪神の強さだと言う。確かに一理ある。これは何も野球に限ったことではない。一般企業でも同じではないか。本社勤務の将来を嘱望された有能の社員を、他地区の業績を上げるために転勤させたまでは良かったが、見込みが違ったと言う例を、目の当たりにしたことがある。
 そこはやはり「やはり野に置け蓮華草」というわけか。

誰が何と言おうとも「わが国固有の領土」に変りはない

2008-07-10 10:20:47 | Weblog
 学習指導要領の中学社会科の解説書に、島根県の竹島を「わが国固有の領土」と明記することに、韓国から既に見送りの要望が出ており、今回また札幌市内での外相同士の会談でも「深刻な憂慮」と言われたようだが、文科省の記述する方針に対し、外務省は見送りを、と。最終的に福田首相の政治判断というが、相手の嫌がることはしない、個人の付き合いも国と国との外交も同じとの福田首相の思想からすると、へなへなと「この際は見送りましょう」と、簡単に韓国の要望を受け入れそうな気配が濃厚で、首相のその腰のなさがよほど「深刻な憂慮」に値する。

 わが国が、わが国の学校指導の方針を決めるのに何故に韓国がとやかく言うのか、言わせるのか。当時の李承晩が国際法を無視して「李ライン」(誰が言ったか、当時のソ連の鉄のカ-テンに擬えて「竹のカ-テン」とかと揶揄)を設定した前後の経緯。わが国の漁船が始終拿捕された事実。
 竹島がわが国固有の領土なら、堂々と教科書に書いて、韓国に不法に占拠されている事実もしっかり教える必要がある。國際司法裁判所への提訴の問題も当然教えるべきだ。

 いかに領土の確保が重要で、困難なものか、経済的にも政治的にも国際間の重要問題として、そのための闘争本能、闘争本能、闘争本能を養う必要がある。戦争してでも取り返す強い心構えを教えておく。

 尖閣諸島についても同様である。要するに、中国、台湾の両方から領有権を主張されている実態を小中高の時代にしっかり認識させる。事実は事実としてはっきり教える必要がある。
 北方領土も同じ。
 わが国の領土の範囲くらいは常識として、しっかり教えておく必要がある。

 どこの誰さんの本かは忘れたが、領有権なんてもう百年もすれば人類の話題にもならないだろう、グロ―バル化してと、まるで世界は一国とでも言わんばかりに領土問題での紛争を嘲笑う楽観的な主張をしていたが、果たしてそんな時代が来るだろうか。資源の枯渇、食料不足等、傾向としてはむしろ逆ではないか。

 もう一つの問題は、戦中の沖縄戦での集団自決で、軍の強制があったかどうかの問題。これは国内問題であるが、やはり背景には特別な思想の支配を感ずるが、沖縄の地政上の問題も含めて両者の言い分、見解のすべて、訴訟の結果等はありのまま、あらゆる角度から教えるべきだ。
 戦中の敵を前にして生か死かの選択の余地があったかどうか。極限状況に置かれた人間の業か。軍の強制かどうかは「戦時史のナゾ」にしておいては。誰が言うのも「事実」で、何もかも「事実」、最も恐るべき死も「事実」。その事実の中の「真の事実」は神のみぞ知る、それでいいではないか。昭和史には「歴史上のナゾ」が多い。
 あまりにも後講釈がおおすぎる。
 文科省の強い指導方針を望みたい。

中国はCO2を独占したいのかも

2008-07-09 15:23:48 | Weblog
 洞爺湖サミットで、G8首脳が2050年までに現在のCO2を半減させるためには地球全体で取組む必要があると指摘すれば、中国の胡錦涛主席は,出来るものならやってみろと言わんばかりに「先進国で80%から95%の削減が必要」と、皮肉交じりの発言をした。これに対し町村官房長官は「どんな根拠からの数字か分からない」と、あまり気にもしない。
 根拠もヘッタクレもあろうことか。先進国の減らした分はわが国が単独で排出する。気候変動にはわが国は動じない。そう言いたいのかも知れない。