風通庵-直言

ヨモヤマ話

近頃気になりだした新聞の死亡広告

2011-07-24 07:26:22 | Weblog
    冨士野高嶺 95歳 元タカラジェンヌ 

 7月23日の夕刊各紙の記事。終戦、いまだ焼跡の生々しい昭和の21年頃か、あるいは22年であったか。わが田舎町の常設の芝居小屋で宝塚少女歌劇団の公演があった。
 なんせ、そーッと見に行った。開演2時間前位から、列を作って並んだ記憶がある。もとより宝塚の少女歌劇の名前なんて知るよしもなかったが、学校が戦災にあう前に受けた国語の授業で、教科書に載っていた万葉集の歌、確か山部赤人の歌であったと思うのだが、

 「田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にそ富士野高嶺に 雪はふりける」

 の一首を覚えていた。それとこれとがごちゃまぜになってか、出演者のなかの一人、冨士野高嶺を記憶していた。同時にもう一人、打吹美佐(?)なる出演者がいたような。当時でも、宝塚と言えば少女歌劇、シャレた少女の歌や踊りで売っていたが、何しろ田舎の芝居小屋のこと、背景と言っても暗幕か色物のカーテンくらいで、素舞台も同じであったが、田舎芝居しか見たことのないわれわれにとってはパッツと華やいだ舞台で、観客はやんやの歓声を上げていたように思う。
 演目の中に狂言「棒しばり」があったことは今も記憶にある。

 いま逆算すれば、当時の富士野高嶺は30歳を少し超えたくらいであったようだ。高齢化社会を背景に、長寿を全うした95歳の宝塚少女歌劇の元生徒の死である。

 何んとも近頃気になりだした新聞広告の中の死亡広告の中から。

今日は7月23日で大暑

2011-07-23 09:20:24 | Weblog
 今日7月23日は24季節の一つ「大暑」で、一年のうちで最も暑い時期。

 昨夜、テレビの気象情報の時間に、この時期は烏瓜の花がきれいと、真っ白で、ちょっと「レース編み」のような、自然とは思えないような見事な花が紹介されていた。この花のあとに実を結ぶのが,名前の通り「烏瓜(からすうり)」で、秋ごろ一握りほどの大きさになって、橙色に熟して、秋の気配を感じさせる。
 子どもの頃、敢えて言うなら、貧農の家の槇囲いに、このつる性の烏瓜や、もう一つ、同じくつる性の野草で、その実がいまや「オクラ」と称して野菜の一種としてスーパーなどで売っているが、あれは「風の子」と称して、秋口に、実が熟して乾燥して、側がはじけて中味が、風に吹かれて飛散する。したがって「風の子」であるが、いずれも田舎生まれの田舎育ちのわれわれにとっては、夏の風物詩で、いまもって子どものころを思い出す。
 
 念の為に言うと、烏瓜も風の子も貧農の家の槇囲いが好きなようで、なぜなら分限者の家では屋敷の周囲を築地か土塀で囲っているから、このつる性の野草が撒きつく余裕がないのである。

 この時期、一年中で電力の消費の最も多い時期ながら、東電の福島第一原発の事故で例年になく電力事情が悪く、いまや10%とか15%の節電が喧しい。
 なにしろ建物は高層化し、部屋は密閉状態で、あれもこれもみんな豊富な電力の消費を前提としているから、菅流に、私の個人的な考えで、後先考えないで「脱原発」を宣言するとさてどうなるか。暑さは暑し、自然の風が頼りなら、チョッと頼りない。
 「カントに帰れ」に準じて「自然に帰れ」か。

 7月23日は、「ふみの日」でもあるが、この時期やはり季節感がなければ、暦に描く以上に世間一般に普及しないような。あえて無駄とは思わないがー。

 大阪では、あす24日は、日本三大祭りの一つ「天神祭」の宵宮である。

関西経済5団体が政府に原発再稼働を要望----さァ。

2011-07-22 15:52:14 | Weblog
 最初に市民ありき、それが集まって国になる。国家はアプリオリな存在----、アーなるほど、国家感も国の安全保障も価値観の中にはない「菅」の字、菅さん。世の中にはズバリ見抜いた人もいるものだ。「菅さんは一刻も早く辞任すべきだ。そして、環境問題に取り組む一市民運動家として活動する方が、本人のためにもいいのでは----」(産経新聞<談話室>に千葉県の主婦の投書の一部原文のまま)と。
 さすがに言い得て妙。

 もともとが市民運動の出、原発なんて心にもない存在。本人に聞くまでもない。新エネルギー政策なんて言い出して、日常生活や企業活動の現実の姿はモウトウも頭にはない。そこは本人が言う通り「私の個人的見解」と、まさに素性の表れ。
 しかし、総理ともなれば無視できないのが、泣き所かも。関西の経済5団体・大阪商工会議所、京都商工会議所、神戸商工会議所、関西経済連合会、関西経済同友会が、菅さんの、総理大臣の菅さんの”脱原発”宣言を受けて、「具体策なき原発依存度の引き下げが国民生活・産業活動に及ぼすダメージは計り知れない」、「企業の海外流出は、わが国の産業空洞化をもたらし、著しい国力劣化を招く」等々、安定的な電力確保に向けて原子力発電所の再稼働を求める緊急要望書を政府に提出ー。
 緊急要望書を提出ー、政府にー、その先は菅さん、総理の菅さん。市民運動家が向いていると指摘された菅さん。そんな指摘より何より、原発自体にもともと反対の、そんな体質の総理に要望しても、それは無駄。要望するならいっそのこと、斯く斯くシカジカで、菅さんには要望するに値しないから、要望先は次期政権とし、「菅さんは早期に辞任されることを切にコイネガウ」と、ズバリ辞任を要望した方が、関西人の気風にあってよかったのではなかったか。
 しかも、首相官邸に福山哲郎とか言うふくれっ面を訪ねての要望書の提出と言うが、あんな下足番の代理人にも及ばんような人に手渡して、大丈夫かな、いや、あの人は官房副長官とか、いわば官邸の留守番役とか。どれもこれも民主党の面々は大したことないヮィ。出たり入ったりまた出たりで、集合離散の野党を渡り歩いて、子ども手当てや高速道路の無料化や農家の所得保障を体のいい海老にして政権交代と言う鯛を釣り上げてヤットコサ与党になったまではよかったが、さすがに成り上がり者の集まり、海老どころかメダカにも及ばない有様。素性が素性ならそれも仕方のないこと。(いまそれが民主党の手足を縛って動くに動けない情けな有様。それ見たことか!?)

 さあ、その面々、あっちに住民の反対運動があると聞けば「わーッ」と行き、こっちに何かの運動があればまた「わ―ッ」と行く、いわば市民運動のお先棒でも担いで、訳も分からずに反対運動でもしていれば、菅さんも、もっとふくよかな顔付にもなって目許もすっきりするのではないか。折しも、産経新聞連載中の<原発のある町>-黎明ー福井・福島で指摘している通り「反対するのはよそ者」と。同様に沖縄の米軍基地の反対も、どうやら同じことのようなー。市民運動家とか言うプロ。あっちへ行っては反対運動を扇動し、こっちへ行ってはまた反対を叫ぶ、そんな運動が向いているのではないか。それが一国の総理とは、あー、どうしたもんか、世も末。

 

高校生の理系五輪も金メダルが続々

2011-07-21 09:24:58 | Weblog
 日々目に見る中学・高校生は、複数人で単車に乗り回しては、コンビニの前で地べたに座ってたむろしてジュースを仲間同士で飲み回すか、でなければ吉本のレベルの低いお笑い芸人の出る、サディスティックなテレビ番組を好んでみるか、そんな程度の、何んとも将来を危ぶむ集団かと思いきや、どうしてどうして、やはりいるところにいるもんだと今更ながらの小生の認識不足であったのかも。

 世界一をものにした「なでしこ」ヒ―バーがいまだ冷めない折も折、こちらは各国の高校生が参加して開かれた国際的な理系科目のオリンピックに日本代表で出場した高校生の受賞。
 7月16日台湾で開催、国際生物学五輪、金メダル3、銀メダル1 
   17日タイで開催、国際物理五輪、金メダル3、銀メダル2
   18日トルコで開催、国際化学五輪、 金メダル1、銀メダル3
 中には2年連続銀メダルの受賞者が2名いる。快挙。
 
 何れも出場者は全国的に知られた有名進学校の生徒で、詰め込み教育とかガリ勉とかのそしりは受けても、ゆとり教育の行き詰まり反省の折から、高校生が国際的な頂点を極めたことは喜ばしい。

国旗・国歌条例は組織の秩序の問題

2011-07-06 09:38:09 | Weblog
 公立学校の教職員に、国歌斉唱の際の起立を義務付ける大阪府の条例に対する是非が、産経新聞(23,7,1、)の金曜討論<オピニオン>欄で、憲法学者で日大法学部教授百地章氏と日本弁護士連合会会長の宇都宮健児氏の両氏の見解が----、

 それによると、
 国歌斉唱の際の起立を義務付ける条例(9月に罰則条例を制定)は、百地章氏の言う「思想・良心の自由とは別問題で、組織の秩序の問題」との見解。この一言に尽きる。法律は国民の思想信条に合致するものばかりでない。税金なんか必要ないとの信念を持つことは自由だが、納税の義務は拒否できない。同様に、法治国家では思想とは別に行為としては法律に従わなければならない、と。これ以上の蛇足は要しない。明快そのものである。

 一方、宇都宮健児氏は、例によって例にごとく、公務員は憲法や、国家・地方公務員法で決められた義務は守らなければならないが、国旗国歌について起立・斉唱する義務があるかと言うとそこまで強制できないというのが日弁連の見解である。国旗国歌法があっても、起立や斉唱を義務付けていない、と。従って、起立・斉唱を強制することは思想・良心の自由を侵害する。君が代、日の丸に反対しているわけではないから、と。
 さすがに弁護士流の解釈で、肉は切っても血は一滴とも出すなのシェイクスピアの劇「ベニスの商人」の法廷の場を思い出す。法に規定してなければ卒業式や入学式の厳粛な場で、教師たるものが、自由勝手な行為をしてもそれは認められると言う。何故か。それは法に触れないからー。まさにホリエモンの考え方と共通である。

 両氏、対談ではないから当然内容的に噛み合わないし、論点も異なるが、この条例はあくまでも百地氏の言う「組織の秩序の問題」との見解が正しい。はっきり言って「正しい」。弁護士は、やはり金銭のやり取りや利害得失の問題の処理が向いている。

思い出した・思い出した・思い出したヮィ

2011-07-05 07:35:58 | Weblog
 このブロガー、若い頃、特別に、これと言う理由もなしにネクタイをあまりせんかった。ネクタイ言うたら石原慎太郎氏が参議院か衆議院か、どっちかの議員の頃ネクタイ不要、不経済を唱えてネクタイ業界から総すかんを食うたことがあったが、その後どうなったか。いまやクールビズでノーネクタイが普通になって、そのほうがオシャレに見えてきたから不思議。流行とは不思議なもんやなあ。
 が、それよりもズットズット昔のことやから、このブロガー以外と流行の先端を行っておったのか。なんとも不思議。
 
 そんなことから、ワイシャツの上に背広を着たままで、あまり気にもせずに、東京に本社のある会社の大阪支店へ,ナンの要件で行ったか、それはもう忘れたが、こちらから要件を言いだす前に、同支店の支店長がいきなり「君はネクタイをしないのかね。」と言いだした。とっさにこのブロガー、なんと言うたか、それはもう忘れたが、
 「背広着たらネクタイはするものだよ。」と、続けて「君、松本治一郎って言う政治家知ってるか。彼はネクタイをしない主義の人間なんだが、君は松本の信奉者か?」と言われても、そんな政治家の名前なんか知る筈もないが----。
 ーーーー、ーーーー、ーーーー、----、
 それからがなかなか大変なこと,コチトラの要件そこのけで、同社の支店長のご高説を聞かされた。
 ーーーー、----、----(略)----、----、
 ----、----(略)----、----、
 ----(略)----、----、
 要するに、その松本治一郎なる政治家は、九州の人で、運動に生涯をささげた人で、
 ーーーー、----(略)----、(忘れたなァ)----、
 そんなことから、肝心の要件がなかなか言い出せなかったが、その支店長も九州の出身で、同郷人とか、そんなこと,いまさら思い出した。

 そんなこと、いまさら思い出したんは、ほら、今日も新聞で「被災知事に暴言」-松本復興相進退発展もーの活字が踊る当事者の松本龍震災復興担当相が、じつはその言う松本治一郎の孫クンとか、色眼鏡かけたり、高圧的な命令口調と言い、その昔、何十年も前にネクタイの御縁で賜った支店長のご高説と二重写しになって、思い出した、思い出した、思い出したヮィ。

一夜漬け政権からの一本釣り

2011-07-01 11:56:05 | Weblog
 自民党の参議院一年生議員の浜田和幸氏、民主党から、と言うより、菅さんから一本釣りされて総務政務官とか言う役職についたはいいが、本人は「一本勝負」にかけると意欲的だが抜擢か、その言う「○○○蛇におじず」で、政治の世界は全くの素人、その素人の強みか、どのように政務をこなすか、頭も尻尾も分からない、党内からの協力は得られないだろうし、恐らく一人相撲もいいとこ、義務だけ背負わされての一人ぽっちで、悪評だけまともに受けることになろう。菅さんの残任期間のほんの1,2カ月だけだが、悪評は一生ついて回るぞ。
 まあ、そうでなくても、次の選挙での当選はおぼっつかない立場にあって、民主党に肩代わりしてもそれは変わらないだろう。一夜漬け政権の一夜漬け人事で、偶然政界の裏側を見せつけられてどう反応するか。
 この促成栽培は!
 

不足こそ本来の姿ー15%削減

2011-07-01 09:06:54 | Weblog
 わが家も世間並みに電力の使用を15%削減----いや、15%かどうかは知らんが、すでに1カ月あまりを経過し、さすがに効果テキメン。
 これは原発事故による電力不足をカバーする電力会社の方針に協力したわけでも、世間並みに付き合ったわけでもない。要は電気代を安くしたかったから。それだけのこと。常々電気代が高くて何とかしたいと思う矢先にこんどの事態で、これを機会にと、あの手この手とあるだけの策を尽くして、いや策と言うと語弊がある、細心の注意で不要な電気をこまめに消し、期待電力もパーにとの細心の注意の結果である。
 お陰で、今月分の電気代が安くて済んだ。
 
 政治もそうなら世の中もそうで、日照りが続いて渇水期になると、水が貴重な存在になる。この貴重品を庭に撒くとは何事ぞ! とか言い出して、植木の水やりまでが標的になる。そして日常の食器の洗い方まで水を無駄にしない洗い方とかナントかカトか。常識の転換である。そしてテレビがその一翼を担う。
 常識の転換と言えば、聞こえはいいが、いや、別にいいことない。あー、そうか。戦時中は戦時品に生産が向かうから、生活用品が不足した。
 「不自由を常と思えば不足なし」
 「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」
 等々の標語が街頭に張り出された。後日分かったが、徳川家康の何んとかの書にある文句の一部であった。
 やはり物が不足して、その不足分をどうして賄うか。分け合うか。我慢するか。そこにわれわれ日本人の良心と互譲の精神があるやに思うが----。東日本大震災での落ち着いた行動にもそれを見る。外国人がみて理解し難い行動様式のような。
 「隣の車が小さく見えます」やら「消費は王様」は、われわれの精神を薄情にし、われ勝ちの人間関係を作ってしまった。