拙宅のある東大阪市は
隣の八尾市柏原市とともに
中河内(なかがわち)地方と呼ばれています。
河内地方では
江戸時代の初めから
ワタが栽培されていました。
河内平野を南北に流れていた
大和川は暴れ川で
住民は毎年のように
洪水に苦しめられていました。
1704年
中 甚兵衛さんの努力で
大和川は真っ直ぐ大阪湾に
注ぐように付け替えられました。
大和川の付け替え←クリック
それまでの川床が
新田(鴻池新田など)として開発され
ワタ栽培が益々盛んになり
「河内木綿」は全国的に
有名になりました。
そんな歴史的背景もあって
我が東大阪市でも
ワタを植栽している
家が多いのです。
最近は洋ワタが
多く植えられているようです。
花がしぼむとピンク色になります。
花がらを外すと
もう小さな果実が見えています。
畑のおじさんに聞くと
花が咲き終わっておよそ1ヶ月で
コットンボールができるそうです。
洋ワタのコットンボールは
上向きにはじけます。
原産地は雨の少ない地方なのでしょう。
ちなみに在来種の和ワタは
花の中心が濃い紅色をしていて
コットンボールは下向きにはじけます。
日本の風土に合っていますよね!
布団一枚にいったいどれだけコットンボールが使われているのか考えると気が遠くなりますね。そうやって子どもに物の大切さを教えてくれるお母さん素敵ですね。
「この綿は、たくさんの人が育てて、小さな花から実ができ、そこから白ーい綿ができるんだよ。このお布団にはどんなにたくさんの綿が使われているんだろうね。」
と言っていた母でした。
出来上がったばかりの母のお布団の心地良さを思い出しています。
花はアオイ科でフヨウと同じ花ですね。
花も美しいし、コットンボールになったら
ドライフラワーとしても楽しめますね!
ワタもフヨウもハイビスカスもすべてアオイ科ですから花はよく似ていますね。
雄しべが筒状になっていてその真ん中から雌しべが顔を出しています。
一日花ですね!
ワタの花は結構身近にありますよね。
東大阪市や八尾市ではワタの種の配布がありますし、学校などで栽培しているところもありますからね。
植物ではワタ。
動物ではヒツジ。
昆虫ではカイコ。
すべて寒さから人間を守ってくれた大切な生き物なんですね。
「風と共に去りぬ」、そうですね。
当時のアメリカのワタの栽培をしている大農家は、すべて奴隷としての黒人の労働力に頼っていましたね。
コメント読んで思い出しました。
河内地方では、小学校の社会科の地域学習では
中 甚兵衛さんの大和川の付け替え事業をかなりの時間かけて勉強しています。
江戸時代から続いた河内地方のワタの栽培、河内木綿も明治時代になって、外国からのワタなどの輸入により衰退していきました。
大阪も今朝は涼しかったです。
ついつい朝寝坊してしまいました。
ワタの花、美しいですね!
ワタの原産地はインドや中南米ですが、メキシコなどの乾燥しているところのワタが上向きに咲くのでしょうね。
中河内地方では、歴史的なこともあって、ワタの種の配布が同じようにあります。
そのためたくさんの家庭の花壇や公園でもワタが多く見られます。
以前、白い綿が付いた一枝を頂いたことがありますが
綿の花は初めて見ました
芙蓉の花に似ていますね
私も和綿と洋綿があることを初めて知りました
貰ったことがあります。
でも、洋ワタと和ワタの違いや
成長の過程は初めて知りました。
花はムクゲにも似ていますね。
洋ワタでした…上がはじけたから。
わたの栽培場面で思い出すのは映画「風と共に去りぬ」です。
丹念にお追いかけられていて、綿ができるまでのプロセスがよくわかりました。
大和川には、このような歴史があったのですね。
嘆願書を読むと、双方の言い分はもっともだと思いますが、
現代において、川の流域に氾濫などの被害がないということは
付け替えは先見の明があったということでしょうね。
綿には、和ワタと洋ワタがあることを初めて知りました。お恥ずかしい限りです。
日本人が綿製の衣類を着るようになったのも江戸以降でしょう。明治時代には、メリヤス(莫大小)というものが普及します。
元々、英国での産業革命の始まりは綿の織機工程だったはずです。
その出発点のメンには和と洋があるのでうすか・・また一つ賢くなりました。
こちら、やっと涼しくなりましたよ~
でも、日中は相変わらず35度近く
あります
これは我が家でも綿の中から種を
取り出して植えましたが、
どんな事になってるんだか!
こういう状態で綿になるとは・・・ね
形状は「芙蓉の花」のようですが
珍しい花を見せて戴いて有難う
御座いました(^^♪
雨の多い日本では、コットンボールが下向きなんですね。
本当に植物って、よく考えて?いると、感心することが多いですよね。
長野と大阪いいですね。
木槿のような花が咲きました。
実も勿論生り、弾けるまで待ってから切って
他のドライフラワーと一緒に活けて楽しみました。
思っていたより大きな花でした。
懐かしく拝見しました。
綿の歴史、江戸時代からだったんですね。