無芸大食の秘密基地Ⅱ

いらっしゃいませ

えっ? そっち?

2024-02-29 06:49:38 | 日記

少し前に かかりつけの病院で精密検査をと 言われ

検査した叔母(無芸のおふくろの姉妹の三女)

生涯独身で10年ほど前に都会から 無芸の住む町に

お袋のすぐ下の叔母と無芸の従妹の姪二人住まいの家で余生を送っている

精密検査を受けたときに 従妹の母子には 乳がんだと言われていたけど

本人には伝えてなかった

家族の同意があれば本人に伝えるそうだけど 叔母の家族はいない

一緒に暮らしているのは姉と姪

結局 本人にガン告知することになったけど・・・・

叔母は

無芸が7年間関西の建築会社に勤めてた頃は よく遊びに連れて行ってもらった

(競馬場やパチンコ屋さんだけど ・・・笑 笑)

娘たちが小学生の頃一度家族で関西旅行(京都・大阪)で遊びに行き泊めてもらったことも

治療は

手術はしないで薬物療法するって(糖尿病やリウマチがあるので)

副作用とか 転移とか いろいろ心配するだろうな と思っていたけど

叔母は案外あっけらかんとしていて

なったものはしゃぁ~ないわぁ・・・って

(何十年も関西でくらしていたので 完璧な関西弁(笑)

告知されてすぐに医師に聞いたのは・・・・

本人が一番心配していたのはガン保険がどれくらい 出るのか だったらしい

えっ ? そっち?

 

まぁ 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

33年&80年

2024-02-26 06:51:09 | 日記

今日は 無芸の祖父の33年目の命日

という事で昨日は お寺さんに来てもらい家族(我が家の4人)と無芸の末弟そして叔母だけで

法事

一昨日が叔父(親父の兄)の80年目の命日(南方で戦死)でもあったのであわせて法要をしてもらった

無芸の祖父は明治30年生まれ 明治~大正~昭和~平成の時代を建築業一筋に生き抜いた

無芸が今この仕事(建築大工)をしているのも祖父の影響が大だった

(まぁ おふくろの方の祖父も元々指物大工~建築業だったけど)

先日 おふくろの米寿記念に昔の事いろいろ調べてみたら

祖父の昔のことが初めていろいろと分かった

代々続く農家の二男として生まれたけど

大工の道へ 20代前半に祖母(16才)と巡り合い 駆け落ち同然で二人で九州の炭鉱のある町へ

そこには 当時無芸のおふくろの祖父母(祖母の両親)家族が住んでいたので

それを頼って行ったのであろうとおもわれる

無芸の曽祖父(おふくろの祖父)は明治5年生まれで

四国 愛媛県の方で染物屋の御用聞き(営業マン?)してたことが

最近判った 四国中国九州地方をいろいろと廻ってたようだ

 

↑駆け落ち?した後の写真かな?無芸の祖父母(おふくろの養父母・・・・養母は叔母にあたる)

(養父は無芸の親父の叔父にあたる)

やがて 子供に恵まれなかった祖父母は無芸のおふくろを実質的に養女として育てたみたい(4歳頃から)

(おふくろは結婚するまで祖父母の戸籍に入っているとばかり思ってたらしいけど そうではなかったらしい)

(戦前~戦時中 お袋の父親は戦地に召集され幼子を3人抱えたおふくろの祖母は大変だったようだ)

終戦後 祖父母とおふくろを連れて3人で故郷に戻り 祖父は地元で建築業に

(夜逃げ同然で故郷を後にして たので 帰った時は親父の父親である兄にずいぶん世話になったらしい)

やがて町の大工さんや左官屋さんをまとめる棟梁に

本家から親父を養子に取りおふくろと結婚

(本当はおふくろを本家の6男である親父のところに嫁に欲しいと言われてたけど

お袋が嫁に出ると祖父母だけになってしまうので 親父が婿養子となったようだ)

というわけで 無芸達3人の孫を可愛がってくれた祖父

 

↑たぶん無芸が2歳頃の祖父

90歳頃まで 現役で建築業やってた

無芸が保育園児だった頃は 保育園の送迎は祖父がやってたみたい

直ぐに家に帰らず 祖父が請け負った工事現場で遊んでたらしい

(実際は職人さんの邪魔してたと思うけど ずいぶん職人さん達から可愛がってもらったらしい))

こんな感じのオートバイの前に立ち乗りして祖父と行き帰りしてたのを覚えている

(当時は警察に捕まらなかったのか?)

無芸が高校で建築を学ぶことになった時は 喜んでいたそうだ

図面を描く 機械も買ってくれた

↓こんな機械

故郷に帰った無芸とは一緒に現場に出ることはほとんど無かったけど

自宅の作業場の一つは祖父の使ってた小屋でいまだに使っている

無芸の次女が1歳の時に 自宅で家族にみとられて96歳の人生を終えお浄土に還っていった

(臨終のときは親父は単身赴任中だったので おふくろと無芸と家内そしてひ孫の長女次女で見おくった)

県外にいた親父は直ぐに帰れなかったので 葬儀の手配は無芸がしたなぁ

 

一緒に法要をしてもらった叔父は太平洋戦争がはじまると満州(今の中国)で召集され

(親父の兄3人は当時満州今の中国の鉄道で働いていたそうだ)

あちこちを転戦 結局昭和19年2月24日付で戦死通知がきてたようだ

24才

場所は日本のはるか南の諸島 記録ではほぼ玉砕だったようだ

↑叔父が戦死した場所 南海のサンゴ礁

 

さぁてと 2日間ぼと雨が降らなかったけど

週初めも又雨 いやぁ よく降るなぁ

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

毎日毎日

2024-02-23 05:18:17 | 日記

今週は 毎日毎日雨降り

仕事の予定は全然見通せない

作業場で 悶々と過ごす毎日

今日から 世間は三連休

普通はこんなこと無いけど

無芸も三連休か?

連休利用して 短大時代の友達4人で各地から集まって食事会予定していた次女

昨夜帰って来て・・・・『友達の一人がコロナになって 中止になった』と

数年に一度しか会えないのに 残念

一昨日以前から 展示用が下がってきてるので見てほしいと頼まれていたお宅へ行こうと

電話して都合を聞いたら・・・『娘がコロナになって 今ダメなんです』って

ありゃま

そういえば

咳がなかなか収まらない家内も病院で一応検査してもらってた

駐車場で待っていると 隣の車に 乗ってる人が 検査受けてたなぁ

まだまだ コロナの心配し続けないとだな

一昨日夜数年ぶりに自治会の会議が有ったけど

マスクしてるのは1/3くらい

用心用心 無芸はちゃんとマスクして行ったけど

 

今日から地元の消防団が2泊3日の親睦旅行に出かけるそうだ

無芸にもお誘いがあったけど 断った

無芸も地元分団にいる時は2年に一度の旅行を楽しみにしてたけど

本部に上がってからは一度お誘いを受けて京都へ行ったきり

それ以来無いなぁ

コロナでなかなか行けなかった親睦旅行 約半分の団員が行くそうだ

なので もしかのとの対応として両隣の町の消防分団に出動を指令することに決めてある

まぁ 楽しんで行って来て下さいな

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一日運転手

2024-02-20 05:06:39 | 日記

昨日は天気も荒れ模様なので

自宅でPC作業してたら

お袋が眼科へ薬を貰いに行きたいと

8時半からの診察だけど

1時間前に出発 早めに順番取って後は待ってると

1時間後『終わったよ~』と電話があったので 迎えに

午後はおふくろとおふくろの実家へお米の調達へ

叔母(年が離れていないので 姉さん って呼んでるけど)と従弟夫婦がいた

やっぱり天気が悪くて作業場でゴゾゴソしていた従弟(大工)

今年も 苗注文したから 作るよ~(お米) って

30分程いろいろ近況お話して帰路へ

帰り道に有るコイン精米へ 寄ったら 先客が・・・・

軽トラっの2台に4つも大きな袋が積んであり 今精米始めた様子

30分はかかりそうなので あきらめて出た

道の駅でトイレ休憩をし 帰宅

帰ったら 家内が病院へ行きたいというので連れて行くことに

昨日朝の内にかかりつけの病院へ行ったんだけど

先生が体調悪く診察出来ない と 帰って来たので

(丁度病院に着いたら数台の車が止まっていたけど みんな次々帰って行くので おかしい?なと思った)

やっぱり 違う病院で見てもらおうということになった

インフルとコロナの検査してもらったけど どちらも陰性

ただの風邪でしょうという事で薬だけ貰って来た

熱はないけど 咳が出て鼻声程度 感染症にはきを付けてと 言われているので

念のため受診したけど まぁ 良かったかな

 

今日は 昨日出来なかった 精米 しに 山奥の町へ ざっと30分ほどだけど

行ってこなくっちゃ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

またぁ?

2024-02-19 05:35:39 | 日記

穏やかな日曜日

予定もなく 朝から の~んびり

お袋が 畑仕事に使う 一輪車を新しくしたいって言うので

軽トラックに乗っけて ホームセンターへ

少し高いけど アルミ製のかる~いのを購入

後は

灯油の買い出しと次女の車の給油に行ったくらいで

何処にも行かず 午前中は折り紙細工などしながら ユーチューブ見てた

午後から 買い物に行くって言うので乗用車出して 待機してたら・・・

119出動メールが  隣町だ!

添付してある地図アプリで 場所確認

着かえて 軽トラックで現場へ 5分で到着

消防車両2台が 消火栓から放水中だった

斜面から杉林にかけて黒く焼けた後が見えたけど

炎は見えず 煙もさほどがってはいない様子

ほぼ 消し止められてる?

丁度地元の消防分団員も数名やってきた

管轄地域なので義弟もやって来た

団員にホースの移動の補助をするように指示して

放水個所へ登っていくけど 放水により斜面はぬかるみになってて

ずるずるすべり 登りにくい やっとこさ 放水場所にたどり着き

消防署員に様子を聞いたら

杉林の中は消火完了したけど 廃屋に少し火が入っているので確認しながら放水中です

とのこと

4~5年前にも 同じ場所(出火場所は10メートルくらいしか離れていない)で火災があった事を思い出した

あの時はまだ建っていた廃屋は 崩れ落ちてた(自然に)

その時も斜面の下の方で草焼きしてて 藪に燃え移っていたけど

その時は廃屋の手前で消し止められた

今回は崩れた廃屋の一部も焼け焦げている

なので 崩れた廃屋に なんとか進入して放水している状態

足元が悪く 更に崩れそうなので慎重に放水していた

現場に到着してから約1時間半 で鎮火確認

念のため地元消防団員は数名が再燃監視を午後6時まで行うことになり

準備をさせて 帰宅することにした

 

今回の火災・・・・同じ場所であった4~5年前の火災の時と

火を点けたのは 同じお年寄り・・・・またぁ!もぉ!

帰ったら午後4時過ぎ 買い物へは次女と言ったみたいで家の中は誰もいなかった

 

晴天が続き 風も穏やか

平穏だなぁ と思っていたここ数日だったけど

今年最初の火災出動 同じ場所 同じ人 困ったものだ

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする