無芸大食の秘密基地Ⅱ

いらっしゃいませ

ちょっと早いけど

2016-02-29 05:04:35 | 日記

ひな祭りは3月3日にやるところと4月3日にやるところがあるみたいです
こちらの方では 4月3日です

ですが やっぱり 3月3日には出すようにしてるので
約 1ケ月 お出ましになってます

と言うことで 昨日 朝から
ひな段の組み立てを無芸担当
飾り付けは母ちゃんと助っ人の次女の二人で

さすが 保育士さん 飾りつけが早いっ
以前は 母ちゃんと婆さん二人で半日かかって・・・

組み立てから 2時間掛からずで 終了~

さて 4年に一度の 2月29日
大事に使わないと 

いよいよ 桜祭り(4月3日)の準備も本格的に始まって
実行委員会(3部構成)も各部で詳細が決まり
準備に向けて忙しくなりそうです
イベント部(アトラクション出演団体との交渉~タイムスケジュール等の決定)
屋台部(屋台出店団体の選定・交渉・打ち合わせ・出店場所の決定等)
会場部(会場の整備・ステージ・屋台テント設定等)

無芸は会場部副部長となってはいますが
毎年公報係りもやってるので
ポスター作り 案内チラシ 当日のパンフレット作成なども兼務
でも 今年は ポスター作りと案内チラシ作りは助っ人がやってくれたので
少し楽に なった

と 思ったら
『桜並木復活への足跡』 のパネル展示
をお願いされた

今から約20年前に始まった 堤防への『桜並木復活』の大事業の記録写真
こちらの川土手には大正時代に植えられた立派な桜並木があったのだけど
昭和18年(1943年)の大洪水で全て流出
そして54年後 1997年 桜並木復活事業が始まった

↑昭和13年頃の桜堤

↑復活した桜並木

実は5年前の第1回桜まつりにおいて
無芸が事業終了記念誌作成に使用した膨大な写真の中から選別し
約70枚の写真パネルを作成して展示したんだけど・・・↓


3年前から写真が行方不明
もしかしたら 可燃ごみの中に混じって
後片付けの時に 焼却場に持って行ったのかもしれない・・・・・

で 桜並木復活の写真の復活作業を始める事になった
復活の復活 

写真データは残ってるので 桜が咲くまでには やっつけないとだけど・・・・
間にあうか?
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出動

2016-02-24 06:13:25 | 日記
一昨日
午前中支払いや
消防関係の事で市役所で防災係長と協議
その他いろいろ用事で出かけていて
お昼前に帰宅
丁度駐車場に停めようとしたら
真正面のはるか向こうにまっ黒い煙?
ん? 火事?
位置的には無芸の管轄の隣町
とりあえず 消防服に着替えておこうと思って
着替え中に 遠くでサイレンの音
続いて 携帯が・・・・防災の主任からだった
『無芸さん防災の ○○です・・・』
『火事ですね?場所は?』
『○○町○○音楽教室の裏手です』
『すぐいきます』
って事で 大家急ぎで着替え ヘルメット・長靴準備して急行

着いた時にはすでに地元消防分団と本部消防車両が放水を始めていたが
一階は火の海 既に二階の窓から炎が吹き出ていた
家の周り5個所から放水していたが
火勢が強い 放水による蒸気と煙で5メートル先も見えないくらい
さらに2階部分が崩れ落ちそうになり
少し後退して放水

隣のお家の方がいらしたので 家の人がいるかどうか確認
(70代の男性の一人住まいらしい)
『今日はデイサービスなので 居られないはずですが・・・・』
家の間取りを祖の方から聞き取りし
まず最初の捜索場所を決定(ただ とても入れる状態ではない)

無芸が到着して15分くらいして 2階部分が崩れ落ちた
その後 火の勢いは衰えてきた(燃えやすい部分が燃え尽きた)
出動連絡が来てから1時間ほどで 
鎮圧(火の勢いが衰えそれ以上火勢が増す恐れが無くなった状態)

しかし 70代男性はデイサービスをお休みしていることが解り
在宅だった可能性が大きくなった
連絡も取れない
外出する時に乗る自転車も倉庫にあるみたい

崩れそうな 部分をロープで引きずり倒し消火しながら
午後3時前 消防本部隊員が家の中に入り捜索開始
続いて警察官 
一番おられる可能性のある場所から捜索
崩れ落ちた土砂や屋根瓦・2階部分の骨組みや家具は
無芸達消防団員が離れた場所まで手渡しで搬出
30分後 やっと一階部分の床面(あちこち抜け落ちているけど)が現れる
少しずつ 手作業で焼けガラを取り除居ていた時
その場所から 
家の人らしきご遺体が発見されました
まだ家のあちこちがくすぶっていたけど
警察の検証とご遺体搬出の間 無芸達は遠巻きで見ているしかありませんでした
ご遺体搬出と現場の写真や発見現場周辺へのシートの覆いをするなど
1時間位かかって終了
本格的な出火原因などの検証は翌日ということになり
くすぶり続けている部分を念入りに消火開始
夕方5時前 鎮火 
無芸は後の指示
(残火監視・再出火した場合に備えてホースの延長・照明の設置等)を
地元分団長に指示してから帰宅しました
(地元分団が最終的に解散したのは午後10時過ぎだったそうです)

無芸が団本部に上がってから 
4件目の管轄地域内(6町)での火災
(林野火災2件 住宅火災2件)
そして 最悪の事態(犠牲者有り)

今年度は市内での火災発生件数が多い
とくにその他火災(林野火災)は例年の1.5倍

とにかく火の取り扱いには注意してほしいです


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間一髪

2016-02-19 06:24:17 | 日記
月曜日から取り掛かっていた
階段への手すり取りつけ工事
三階建てのお宅なので
二倍のお仕事
しかも回り階段なので 複雑に連結しないといけない
さらに元々下地が無い場所なので
下地を取りつけてからの作業
悪戦苦闘したけどなんとか
昨日は仕事が早めに終わり
午後から請求書の作成をやっつけてから
作業場の片づけ・・・・
作業場の裏側の窓の外を見ると 
向こうが見えないくらい煙が見える
畑を隔てた向こう側のお家の畑の付近を中心に
あちこちで 炎が見える
急いで駆けつけて見ると
枯れ草が少しずつ這うように燃え広がっている
隣の空家の倉庫のすぐ近くの芝生にも燃え移っている
通報するか自力で消し止められるかの判断だけど・・・・(数秒の思案)
(難しい選択
無芸は 自力で消せる範囲と判断し
火元の畑の所有者のお宅に裏からかけ込んで
声を掛けると 奥さんが 『何事?』ってビックリした顔で出て来られた
『裏でゴミをもやしてられますよね!? 隣の畑まで燃え広がってます!!』
ご主人がゴミに火をつけたまま出駆けたらしい
風で火の子が近くの枯れ草に移ったようだ
丁度傍に井戸と水道が有り 近くに会ったバケツに水を汲み
奥さんと二人でバケツリレー
(って言っても 行ったり来たり水を汲んでは掛ける)
延焼している 場所(火線)沿いに水を掛けて回る
※ こういう場合(這うように燃え広がっている状態)は
既に燃え終わりかけている中ほどの火は無視
燃え広がりつつあるラインに沿って燃え移る直前の部分を主に水掛けるのが効果的です
5分ほどで燃え広がるのが止まった  ふぅ 
 後は中ほどの燃え残りを消して回った
燃えてる範囲がまださほど広がっていなかったので
なんとか消し止めることができた
発見した時 通報していれば
本部や消防団が出動して来る頃
通報すれば 自力で消し止めたとしても
残火処理で 本部・消防団出動したことになり
調書を取られたり
火元の写真や火をつけた当人の顔写真を撮られたりする
延焼範囲の測量もあったりで1時間以上は根ほり葉ほり聞かれることとなる
まぁ 無芸も消防団員として 状況によっては
通報をしなければいけないんだけど
まぁ たいしたことにならなくて 良かった 良かった
夕方帰って来られたご主人が 丁重に お詫びに来られた
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土曜日から・・・

2016-02-17 06:03:16 | 日記
土曜日
次女一人で運転して山陽側へ
短大時代の友達4人と夜 友達のアパートに集結するらしい
初めての一人運転 市内は嫌だと言ってたけど
日曜日には 『楽勝 楽勝』と言って帰って来た

日曜日
蕎麦アレルギーの次女がいないので
母ちゃんと片道3時間かけて
蕎麦を食べに行って来た
昨年10月13日の日記に書いたお蕎麦屋さん
母ちゃんは蕎麦アレルギーの次女に付き合って
別のお蕎麦屋さんに入ったので
今回は一緒に行けた
家を出るのが遅くなって
着いたら午後2時前だったので
開いてるか心配だったけど 大丈夫だった

無芸は割子二段と山菜蕎麦のダブルで楽しめるセット
母ちゃんは山菜蕎麦の単品
でも 割子の一段は母ちゃんが食べたので
量は一緒 

帰りは 二か所の道の駅で買い物をしながら
山道を3時間かけて帰ってきました
竹○元首相の実家の酒屋さんの原酒買ってきました

チビチビ 飲んでます


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手紙

2016-02-11 05:13:21 | 日記
今年初めての帰省
二泊三日で帰って来た長女
あっという間に 一昨日 帰って行った
お休みは一週間あったらしいんだけど・・・・
昨夜夜行バスで今朝 長野入り
今日は山登り 北八ヶ岳へ
今夜は 山小屋泊まりだそうな

さて 本題 

長女が 小学校6年生の時の事
卒業記念に みんなで タイムカプセルを埋めた
中には 小学校の思い出の品物と 二十歳の自分に宛てた手紙を入れ
成人式の年に掘りだすことにしていたらしい・・・・
が なぜか そのまま 放置され
今年の正月に 地元に残っている者だけで
掘り出したんだそうだ

で 地元に残って保育士さんをしている親友が
保管しててくれて 先日帰った時に頂いてきた

中に入っていた物
自分宛の手紙/連絡帳/名札/スイミングスクールの認定書

しっかり密閉はしてたんだろうけど
湿気で クリップ・名札の安全ピンは錆びてボロボロになってた
手紙も少し穴が開いている
連絡帳は湿っていて 文字が滲んでるところもあったけど
ほぼ 読める状態

スイミングスクールでの最終級の認定書
100m個人メドレー(背泳ぎ 平泳ぎ バタフライ クロール)

これを見て 思い出した
小6の夏 市内小学校対抗水泳大会 最後の選手リレー
200メートル自由形リレー(4人×50m)
長女がアンカー
5チーム中 3位で飛び込み 中盤で 2位に上がり
残り10メートルで トップ そのまま ゴール
応援席で 校長先生以下先生と保護者達みんなで 万歳連呼

この時の 様子は今でもしっかり覚えている
懐かしいなぁ

自分に宛てた手紙    『』内は無芸のコメント

未来の○○さんへ    2000年3月10日

未来の○○さん 初めまして 何かちょっとはずかしいです
だって 自分が自分に手紙かいたんだから・・・
私よく思うんです 未来の自分にあってみたいって でもそんなの
ありえないんです 今の私は夢がいっぱいあります
『今じゃなく 看護師(かんごふさん)になりたいって言ったのは5歳の時じゃん』
未来の○○さんは夢がありますか? おしえてもらいたいんだけど
おしえ■■■■今の私は すごく 天然ボケ  『今もだろ!』
です ■■■■さんはどうですか  ○○小学校もうすぐ
卒業するんです 未来の○○さんには思い出みたいなもんです『たしかに!』
よね 私のよそうですが まだ仕事見つかってないですよね
今の私の将来の夢は 不自由な人のお世話をすることです
将来の○○さんの・・・家はどうなっていますか
妹、お■■■さん ■■■さん・・・『たぶん 無芸と母ちゃんの事だろな』

そういうことで 又会いましょう
この手紙と・・・・『だいぶ遅くなったけど会えたね(*^_^*)』

長女 この手紙見て 笑ってましたが
何度も読み返していました
写真を撮って帰りました

看護師をしている長女・・・・・ある意味 夢が叶ったのかな
配置換えは無く 来年度も ICU勤務だそうだ(3年目)
しっかり山で羽伸ばして 来週から又 頑張ってもらいたいな







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