この三連休に 孫ちゃんの顔見に行く予定だったけど・・・・
中止にした
一昨日は 5ケ月目の検診で 順調ですとの 結果だったそう
昨夜は 地区の会議
新年度の役員選出
3つの班の班長が順番に回ってくるので
その3人の中から一人が自治会長となる
新年度の班長は3人のうち二人が前にも自治会長しているので
まだ やった事のない人が自治会長をやる事に決まった
そして 懸案となっている 秋祭りの 笹竹の事について
秋祭りには 事前に各家家の周りに筒竹を立て 幣を飾りつけ
神輿の順回路に張りめぐらせるのだけど
毎年 竹切りの準備をしないといけない
高齢者が多くなり 竹切りがしんどくなったので
どうするか? という問題
秋祭りらしく 町内に笹竹が立ち並び ロープを笹竹伝いに張り巡らし
幣を飾り 神様を迎える準備をする
近年 笹竹の調達がなかなかできなくなり 取りやめたところもかなりある
無芸の地区では 有志の人が協力して なんとか続けて来たけど
限界ではないか?と 議題に上がったのだが・・・・
無芸としては この秋祭りの風景を途絶えたくなく
大変だけどもうすこし続けましょう と言ってはみたが・・・
止めようという意見が多く 結局笹竹は新年度は止める という事になった
ただ 幣を飾るロープ張りは やるのだが・・・
じゃぁ そのロープは 何にくくり付けるのか?
くくりり付ける物が無いところはどうするのか?
竹を立てたい者は 各自でやる では やりたいけど高齢で出来ない家はどうするのか?
そういった問題がでるけど 良い案は出ない・・・・
無芸は 賛成派なので 自分の所だけは やろうと思っているので
反対派の人が 困ってても し~ぃらない っと
笹竹を立てんと いけないの? 幣は何のため? 要るの?
って いう人もいたけど(若い人ではなく 年配の人でも知らない人がいる)
なぜ 祭りには こういう事をするのか 知らなくて
ただ 大変だから もぉ止めよう
お宮の行事だから 竹はお宮で準備してほしいとか
勝手な事言って
止めよう って簡単に決めちゃうけど
これって どうなん?
笹竹を立てるのは 古来から
まっすぐに伸び天を指し示すように伸びる笹竹は
神様を迎える印として神聖な場所を区切る為に
使い始めたと聞いた事がある
幣は 神様に対しての 神饌物で 祓い清める意味もあるそうな
最初は 紙吹雪のように 切った小片を撒き 神様にお供えしたもので
幣(へい/ぬさ)と言ったそうな
百人一首の 菅原道真の歌
このたびは ぬさもとりあえず たむけやま
もみじのにしき かみのまにまに
という歌の ぬさとは この幣の事
神様に手向けるための幣(ぬさ)の準備も出来ないまま 出かけたので
手向け山の紅葉を代わりに神々にお供えするので どうか神様お受け下さい
という意味らしい(無芸の解釈だけど)
そもそも 秋祭りは 神様が決めたわけではなく
収穫も無事終わり 感謝の気持ちを込め
町の人がやろうって決めたのだと思うけど
(何100年前からかは知らないけど)
神様を迎える準備は 町民が
いろいろ考えて今のスタイルになったのだと思う
神様を信じるとか信じないとかではなく
神聖な物を大事にする気持ち
文化を伝承していく気持ちが大切なのだと思う
自らを戒め 畏怖と尊敬の気持を心に思い
(悪い事をすると 神様の罰 ばち が当たるよ
って言うこの畏怖と敬神の気持ちが人としての善行を促せるのだと思う)
年に一度 準備も大変だけどお宮の行事に参加協力をする気持ちは
反対する人が多数でも 無芸は無くしたくないなぁ