無芸大食の秘密基地Ⅱ

いらっしゃいませ

お嫁ちゃん

2023-06-11 05:41:12 | 日記

甥っ子夫婦が来るってことでおふくろは朝からそわそわ

無芸のすぐ下の弟夫婦の一人息子がお嫁ちゃんを連れて初めての訪問

甥っ子は小さい時から 夏休みには一人で数日過ごしたりして何度も遊びに来ていた

結婚(籍を入れただけだけど)してからなかなか機会が無く 初めて二人でやって来る

土曜日お昼に仕事依頼(医療機器の修理)が入り夕方から取り掛かって

日曜日午前2時までかかったそうだ

6時には出発したらしいのでほとんど寝ていなかったようだ

弟夫婦も 時間調整(途中で合流)して自宅を出発

お昼前に 二組の夫婦が相次いで到着

お嫁ちゃんは 山陰が初めてなので

世界遺産の『石見銀山』と国宝の『出雲大社』へ行きたいらしかった

弟夫婦がケーキを買ってきてくれていたので みんなで ケーキを食べながらワイワイ

義妹が甥っ子の小さい時から 送ってくれていた 子育て&甥っ子の様子 の写真入りメール

(小学校~高校くらいまで)

無芸が全て 印刷して 親父とお袋に見せてやっていたけど

なんと 婆さん それを全てファイルに入れて保存していた

ファイル5冊分くらいあったかな?

それを開いて 甥っ子は 懐かしそうにみていた

お嫁ちゃんは 甥っ子の小さい時の写真見て 笑っていた『カァワイイ~』

結局婆さんそれを全部甥っ子に持たせて帰らせた

帰り際 甥っ子夫婦が.来るって知らせていたので無芸の末弟も来て

3兄弟 揃って みんなで 記念写真

到着が遅くなったので

結局『石見銀山』だけに行くことにしたらしく

ヒマなのでと 末弟も同行 夕方『石見銀山』を散策する二組の家族の写真を送ってくれた

 

レンタル自転車で間歩(銀の採掘する坑道)へ向かう二夫婦

江戸時代の街並みが残る道を行く

『石見銀山』の紹介↓

戦国時代後期から江戸時代前期にかけて最盛期を迎えた日本最大の銀山(現在は閉山)。最盛期に日本は世界の銀の約3分の1を産出したとも推定されるが、当銀山産出の銀がそのかなりの部分を占めたとされる。大森銀山(おおもりぎんざん)とも呼ばれ、江戸時代初期は佐摩銀山(さまぎんざん)とも呼ばれた。明治期以降は枯渇した銀に代わり、銅などが採鉱された。本項では石見銀山の概要と歴史、および2007年に登録された世界遺産

重要伝統的建造物群保存地区(種別 港町・鉱山町)として選定された。

 

夕方 実家に着いたよ~ って甥っ子からメールが届いた

又 ゆっくり いきま~す って

 

昨日は早めに材料加工も終わり 今日はのんびりしようと思う

明日は正副団長会議 週末は家内の検査結果聞きに病院

次の日曜日は消防署との合同訓練

仕事は後二日か三日で完了できそう

貴重な日曜日だなぁ

 

今朝 と言っても夜中 午前0時33分

枕元の携帯が 半分 ボヤ~としながら出ると

市役所防災担当者

『建物火災発生です』って

『〇〇町のカレッジの学生寮』です って

一度に目が覚め仕度 家内も起きて 着かえと装備のお手伝い(ヘルメットや手袋安全靴)

軽トラックに乗ってエンジン掛けて 出ようと思ったら 又電話

『非火災でした』って 

たぶん消防署が先に着いて 非火災 であることが判ったらしい

一安心だけど もぉ眠れず 結局 午前3時から 日曜日恒例の『ポテトサラダ作り』開始

3時間ほどの睡眠だけど・・・・眠気も吹っ飛んでしまった

でも 草刈り隊は出動するつもり

今日やれば一区域終了できそうだけど

最初に刈ったところはもぉ膝辺りまで伸びてるだろうな

 

心配事・・・・親ホタルの採取

毎年 この時期までには捕獲して産卵させるんだけど・・・・

会長から 捕獲作戦実施の知らせが来ない?

メンバーもさらに減ったし(始めたころは7~8人 今は3人)

3人の内体調悪いのが1人 いろいろ忙しくしている者が1人(無芸)

今年は 休憩 かなぁ? 

コメント (4)
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