バスケ青春の詩

平成25年12月22日をもって33年9か月ほど勤務した仕事を定年退職をしました。これを機会にまた想いを綴ります。

迷わないために…2012

2012-12-25 06:00:03 | やっぱりミニバス!
平成24年12月25日 火曜日
 
「迷わないために…2012」


人は人生の節目…、

例えば、次の進路とか、就職とか、何かを選択して判断する時に、どの道を行きたいのか、または行くべきか、最善の選択をするために迷いますね。


そもそも迷うのは、行ける道がいくつもあるからでしょう。

どの道を選ぶのか、分岐点があるから…迷う

最初から一本の道ならば迷うことはないですが、

しかしこれは、厳しい生き方ですね。

迷うことは戸惑うことです…人は躊躇するものです。

リスクをできるだけ、少なくしたいから…そんな道を探るのです。生きるための当然の選択でしょう。

生きる上でのリスクとは何でしょうか?

失うものを少なくしたいからでしょう

失うものを考えて行動することは、何かを手にするために…全力で行動することはできないでしょう。

歳を重ねると…失いたくない、守りたい大切なものができます。

ですから…若いときのように、全力で一途に駆けるように行動することはできません。

だから、一歩一歩を踏みしめて行動するようになっていくのでしょう。

それでも進む道は一本のはずです。

夢を目標にして、それを手につかむために、歩み始めたときから、

歳を重ねて、一歩一歩踏みしめて歩むようになってからも、その道は一本のはずです。

その先は、歩み続けることでわかるのでしょう

先のことは予想はできます。

しかしはっきりとは、わからないでしょう。

その道を選んで、正しかったのか…、誤りだったのか…、という問いかけは虚しい問いかけでしょう。

正しいと思い、その道を行くことを決断したのですから

あの時、別の道を選ぶべきだったと振り返ることは…虚しいだけです。

その道を選び、その道を歩み始めたからには…挫折することがあっても、

その道を選んだときの初心に立ち戻り、そのときの熱い想いを心に置くことでしょう…

分岐点に立っていると思うのは、自分自身です。

そこが分岐点だと思うのは、自分が達成したい事が…いくら歩み続けても、見えて来ないときか、

身体的に歩み続けることが困難になったときでしょう。

身体的に歩み続けることが困難になったときは、絶望の想いに深く沈むのだと思います。

本人以外、その辛い想いをわかることはできません。

それでも時間をかけてでも、新たに歩む道を選んでいきたいと思います。


さて、身体的に歩み続けることが困難になったとき以外のときに、

もう無理!…とあきらめるて、別の道を選ぶのは本人の自由ですが、

もう無理!とあきらめる、その心を…簡単に受け入れるか、否かは、

自分の初心の心と、今の心との葛藤なのでしょう。

答は…ありません。


ただどんな答であれ、後戻りする時間はないのです。

自分が行くと決断したから…、その道を歩み始める一歩を踏み出したこと

ですから、その途中で迷うことに思いわずらうことがおかしいのだと、気付く、自分であるべきなのでしょう。

頂上に向かって…歩み続けるしかないのです。

たとえ、下山しなければならないアクシデントがあったとしても、それは後に戻るのではなく、次に向かって、前を向いて下山するのです。

ですから、歩み出した時点で正解と思った道を…迷うことなく、歩み続けるのです。

とにかく、途中で休んでもいいし…、精神的に落ち込むことがあってもいいと思いますが、

一歩一歩、その道を歩んでいければいいのでしょう。

これは私が、自分自身に語りかけていることです。