平成24年12月25日 火曜日
「迷わないために…2012」
人は人生の節目…、
例えば、次の進路とか、就職とか、何かを選択して判断する時に、どの道を行きたいのか、または行くべきか、最善の選択をするために迷いますね。
そもそも迷うのは、行ける道がいくつもあるからでしょう。
どの道を選ぶのか、分岐点があるから…迷う
最初から一本の道ならば迷うことはないですが、
しかしこれは、厳しい生き方ですね。
迷うことは戸惑うことです…人は躊躇するものです。
リスクをできるだけ、少なくしたいから…そんな道を探るのです。生きるための当然の選択でしょう。
生きる上でのリスクとは何でしょうか?
失うものを少なくしたいからでしょう
失うものを考えて行動することは、何かを手にするために…全力で行動することはできないでしょう。
歳を重ねると…失いたくない、守りたい大切なものができます。
ですから…若いときのように、全力で一途に駆けるように行動することはできません。
だから、一歩一歩を踏みしめて行動するようになっていくのでしょう。
それでも進む道は一本のはずです。
夢を目標にして、それを手につかむために、歩み始めたときから、
歳を重ねて、一歩一歩踏みしめて歩むようになってからも、その道は一本のはずです。
その先は、歩み続けることでわかるのでしょう
先のことは予想はできます。
しかしはっきりとは、わからないでしょう。
その道を選んで、正しかったのか…、誤りだったのか…、という問いかけは虚しい問いかけでしょう。
正しいと思い、その道を行くことを決断したのですから
あの時、別の道を選ぶべきだったと振り返ることは…虚しいだけです。
その道を選び、その道を歩み始めたからには…挫折することがあっても、
その道を選んだときの初心に立ち戻り、そのときの熱い想いを心に置くことでしょう…
分岐点に立っていると思うのは、自分自身です。
そこが分岐点だと思うのは、自分が達成したい事が…いくら歩み続けても、見えて来ないときか、
身体的に歩み続けることが困難になったときでしょう。
身体的に歩み続けることが困難になったときは、絶望の想いに深く沈むのだと思います。
本人以外、その辛い想いをわかることはできません。
それでも時間をかけてでも、新たに歩む道を選んでいきたいと思います。
さて、身体的に歩み続けることが困難になったとき以外のときに、
もう無理!…とあきらめるて、別の道を選ぶのは本人の自由ですが、
もう無理!とあきらめる、その心を…簡単に受け入れるか、否かは、
自分の初心の心と、今の心との葛藤なのでしょう。
答は…ありません。
。
ただどんな答であれ、後戻りする時間はないのです。
自分が行くと決断したから…、その道を歩み始める一歩を踏み出したこと
ですから、その途中で迷うことに思いわずらうことがおかしいのだと、気付く、自分であるべきなのでしょう。
頂上に向かって…歩み続けるしかないのです。
たとえ、下山しなければならないアクシデントがあったとしても、それは後に戻るのではなく、次に向かって、前を向いて下山するのです。
ですから、歩み出した時点で正解と思った道を…迷うことなく、歩み続けるのです。
とにかく、途中で休んでもいいし…、精神的に落ち込むことがあってもいいと思いますが、
一歩一歩、その道を歩んでいければいいのでしょう。
これは私が、自分自身に語りかけていることです。
「迷わないために…2012」
人は人生の節目…、
例えば、次の進路とか、就職とか、何かを選択して判断する時に、どの道を行きたいのか、または行くべきか、最善の選択をするために迷いますね。
そもそも迷うのは、行ける道がいくつもあるからでしょう。
どの道を選ぶのか、分岐点があるから…迷う
最初から一本の道ならば迷うことはないですが、
しかしこれは、厳しい生き方ですね。
迷うことは戸惑うことです…人は躊躇するものです。
リスクをできるだけ、少なくしたいから…そんな道を探るのです。生きるための当然の選択でしょう。
生きる上でのリスクとは何でしょうか?
失うものを少なくしたいからでしょう
失うものを考えて行動することは、何かを手にするために…全力で行動することはできないでしょう。
歳を重ねると…失いたくない、守りたい大切なものができます。
ですから…若いときのように、全力で一途に駆けるように行動することはできません。
だから、一歩一歩を踏みしめて行動するようになっていくのでしょう。
それでも進む道は一本のはずです。
夢を目標にして、それを手につかむために、歩み始めたときから、
歳を重ねて、一歩一歩踏みしめて歩むようになってからも、その道は一本のはずです。
その先は、歩み続けることでわかるのでしょう
先のことは予想はできます。
しかしはっきりとは、わからないでしょう。
その道を選んで、正しかったのか…、誤りだったのか…、という問いかけは虚しい問いかけでしょう。
正しいと思い、その道を行くことを決断したのですから
あの時、別の道を選ぶべきだったと振り返ることは…虚しいだけです。
その道を選び、その道を歩み始めたからには…挫折することがあっても、
その道を選んだときの初心に立ち戻り、そのときの熱い想いを心に置くことでしょう…
分岐点に立っていると思うのは、自分自身です。
そこが分岐点だと思うのは、自分が達成したい事が…いくら歩み続けても、見えて来ないときか、
身体的に歩み続けることが困難になったときでしょう。
身体的に歩み続けることが困難になったときは、絶望の想いに深く沈むのだと思います。
本人以外、その辛い想いをわかることはできません。
それでも時間をかけてでも、新たに歩む道を選んでいきたいと思います。
さて、身体的に歩み続けることが困難になったとき以外のときに、
もう無理!…とあきらめるて、別の道を選ぶのは本人の自由ですが、
もう無理!とあきらめる、その心を…簡単に受け入れるか、否かは、
自分の初心の心と、今の心との葛藤なのでしょう。
答は…ありません。
。
ただどんな答であれ、後戻りする時間はないのです。
自分が行くと決断したから…、その道を歩み始める一歩を踏み出したこと
ですから、その途中で迷うことに思いわずらうことがおかしいのだと、気付く、自分であるべきなのでしょう。
頂上に向かって…歩み続けるしかないのです。
たとえ、下山しなければならないアクシデントがあったとしても、それは後に戻るのではなく、次に向かって、前を向いて下山するのです。
ですから、歩み出した時点で正解と思った道を…迷うことなく、歩み続けるのです。
とにかく、途中で休んでもいいし…、精神的に落ち込むことがあってもいいと思いますが、
一歩一歩、その道を歩んでいければいいのでしょう。
これは私が、自分自身に語りかけていることです。