バスケ青春の詩

平成25年12月22日をもって33年9か月ほど勤務した仕事を定年退職をしました。これを機会にまた想いを綴ります。

我が子の思いと親の想い…2012

2012-12-05 06:25:42 | やっぱりミニバス!
平成24年12月 5日 水曜日
 
「我が子の思いと親の想い…2012」


人それぞれにそれぞれの性格があり…譲れない価値観もあるでしょう。

それで周りの人の心を傷つけても、自分のことだから「私に聞きもしないで、勝手なことをしないで!」ということは、

ややもすれば…親子の間では、しょっちゅうのことなのでしょう。

親にとって、我が子は、我が子なのです。

我が子が、何を考え、何をしようとしているのか…全てを知りたいと思うのは、

親心としていつの時代でも、そういうものだと思います。

子供は成長し、自我を持つようになるのも世の常です。

親に干渉されたくないという、我が子の気持ちは、自立している証ですから嬉しいことですが、

子供にとって日常が、日常どおりに過ごせることを当たり前と思うことは普通なのでしょう。

それは健全な気持ちに間違いありません。

一方で、今のような世の中だから、日常を誰かのお陰であると想う心を持って欲しいと願うのです。

そういう心は、人生を考えられる齢(ヨワイ)を重ねることで芽生えて来るのでしょうか。


親は、我が子のことを知りたいし、

美しく…、たくましく…、育った我が子を微笑ましく自慢したいと思うのは、親として、自然の気持ちなのです。

それは、親であるが故のわがままなのでしょうが…それが親なのだと思います。

我が子に対する親の想いは…、そういうものだということを考えて、親の想いを理解し、思いやることができる心を持つ我が子であって欲しいと心底思うのです。

それはまた、親の身勝手に違いないでしょうが…。

我が子からすれば、その親心は子供にとって迷惑ですよね。

特に、成人し大人になった我が子にしてみれば…

しかし、それを言葉にすることは、その思いやりのない一言が親心を傷つけることを知って欲しいのが、またひとつの親心なのです。

特に、女親である母親にとっては、我が子はまさしく、分身ですから、我が子の何気ない一言に深く傷つくこともあれば、優しい言葉に涙します。

要は、自分の想いを伝える言葉なのです。言い方なのです。

親への感謝の念を持っていると言うならば…

その心を傷つけるような言葉ではなく、優しく語って欲しいのです。

それが、親想う子ごころだと思います。

それが、親心なんです。

安らげるところは母親の親心だと思います。

親心に心を預けて思いっきり泣いて、新たな未来に進んで欲しいと願います。