「猿」の事を「エテ公」と言いますが、これは
「猿」が「去る」を連想させるために縁起が悪いと
いう事で「エテ」=「得て」に言い換えたんですね。
結婚式などで「別れる」や「切れる」を言わない
ようにしたり、「終わる」を「お開きにする」と
言い換えるのと同じ「忌み言葉」と言われる物です。
言霊と言う言葉があるように、昔の人々は縁起が悪い
言葉を使うと悪い事が起きると信じていました。
そのために、日頃からそのような言葉を使わない
ようにしたり、良いイメージの言葉に置き換えて
使うようになったんです。
言い換えの例としては他にも、
「するめ」は「金を擦る」、「財布を掏る」を連想
させるので「あたりめ(当たりめ)」と言い、
同じく「すり鉢」を「あたり鉢」と言ったりします。
床屋で髭を剃る事を「顔をあたる」と言いますが、
これも「顔をする」と言う地方があるからです。
(「当たる」というのは「食当たり」という悪い意味
にも取れますが、これはどうなんでしょうね。)
また、植物の「葦(悪し)」を「よし(良し)」、
「梨(無し)」を「あり(有り)の実」と言う事が
あります。
この辺はちょっと考えすぎな気もしますが・・・。
(ちなみに、東京の「亀有」は中世の頃は「亀無」、
「亀梨」と呼ばれていたそうです。)
「シネラリア」を「サイネリア」と言い換えるのは
もちろん「死ね」を連想させるからですが、これは
近年になって花屋さんが使い始めたそうです。
カナリア諸島生まれの花だそうですが、昔は無かった
でしょうからね。
「するめ」の例もそうですが、忌み言葉には商売や
興業関係の方が縁起をかついで使い始めたものが
多いようです。
さて、この忌み言葉。
今の時代に縁起を担ぐなんて馬鹿馬鹿しいし
無くしても良いのではないかと思う事もありますが、
昔から続いてきた慣習は大事にして変えるべきでは
ないとも思います。
言葉に魂があるかどうかは分かりませんが、
悪い言葉を聞いて心に良くない影響を及ぼす事は
あるでしょう。やはり、悪い言葉を聞いたり使ったり
していると気分も悪くなります。
そう考えると、気分良く生活していくための生活の
知恵として現代でも有用な気がします。
「猿」が「去る」を連想させるために縁起が悪いと
いう事で「エテ」=「得て」に言い換えたんですね。
結婚式などで「別れる」や「切れる」を言わない
ようにしたり、「終わる」を「お開きにする」と
言い換えるのと同じ「忌み言葉」と言われる物です。
言霊と言う言葉があるように、昔の人々は縁起が悪い
言葉を使うと悪い事が起きると信じていました。
そのために、日頃からそのような言葉を使わない
ようにしたり、良いイメージの言葉に置き換えて
使うようになったんです。
言い換えの例としては他にも、
「するめ」は「金を擦る」、「財布を掏る」を連想
させるので「あたりめ(当たりめ)」と言い、
同じく「すり鉢」を「あたり鉢」と言ったりします。
床屋で髭を剃る事を「顔をあたる」と言いますが、
これも「顔をする」と言う地方があるからです。
(「当たる」というのは「食当たり」という悪い意味
にも取れますが、これはどうなんでしょうね。)
また、植物の「葦(悪し)」を「よし(良し)」、
「梨(無し)」を「あり(有り)の実」と言う事が
あります。
この辺はちょっと考えすぎな気もしますが・・・。
(ちなみに、東京の「亀有」は中世の頃は「亀無」、
「亀梨」と呼ばれていたそうです。)
「シネラリア」を「サイネリア」と言い換えるのは
もちろん「死ね」を連想させるからですが、これは
近年になって花屋さんが使い始めたそうです。
カナリア諸島生まれの花だそうですが、昔は無かった
でしょうからね。
「するめ」の例もそうですが、忌み言葉には商売や
興業関係の方が縁起をかついで使い始めたものが
多いようです。
さて、この忌み言葉。
今の時代に縁起を担ぐなんて馬鹿馬鹿しいし
無くしても良いのではないかと思う事もありますが、
昔から続いてきた慣習は大事にして変えるべきでは
ないとも思います。
言葉に魂があるかどうかは分かりませんが、
悪い言葉を聞いて心に良くない影響を及ぼす事は
あるでしょう。やはり、悪い言葉を聞いたり使ったり
していると気分も悪くなります。
そう考えると、気分良く生活していくための生活の
知恵として現代でも有用な気がします。