採集生活

お菓子作り、ジャム作り、料理などについての記録

天草・熊本旅行:天草下田温泉 旅館「湯の華」

2018-12-19 | +国内

天草で泊まったのは、「湯の華」というお宿。
今回の旅行はダンナサマの企画だったため、どうやって探したのかはよく分かりませんが、温泉、ということと、お魚料理が美味しそう、ということが決め手になったようです。

 

山形

場所はこの、赤いバルーンのあたり。
天草下島の外洋側で、このあたりは釣りスポットのようです。

熊本空港に昼につくと、夕方に着くためには、寄り道(道の駅)は3か所程度に留める方がいいかもしれません。
(しらみつぶしに寄りたかったけれど、時間が足りませんでした)
そこそこ距離があります。


それでは早速お料理を。
普通コースと、少しお値段が上がるお魚料理満足コース、があったようで、折角なので満足コースを予約しておきました。
食事の場所は一階で、個室居酒屋みたいな感じの個室で、掘りごたつ席になっていました。

 

山形

前菜盛り合わせ。
アジの南蛮漬け、えびサラダ、左はクラゲの酢の物だったかな。



 

山形

立派なイサキの塩焼き。
普通ならば、夜ご飯のメインディッシュになるくらいのものです。
宿のご主人(おそらく70代)と息子さん(この日は不在)は釣りが趣味とのことで、これは釣ってきたお魚。

我々のほかに、男性ひとり客が夕食をとっていました。
おそらく釣り目的ではないかしら。
釣りが好きならば、ご主人と話が弾みそうです。

 

山形

お刺身盛り合わせ。
タイまる一匹、アジ、カンパチ(?)、キビナゴ、あと向こう側に、もう一種類(カツオだったか?)あったような気がします。
ものすごいボリューム。
この写真ではお皿の大きさが伝わりませんが、レモンのサイズから想像がつくでしょうか?
4人前、十分ありそうです。
(誰かもう一人いてくれたら、と思うほどのボリューム感、以前南房総で泊まった宿を思い起こさせます・・・)

アジは、小さ目のアジとはいえ、半身まるまるがひときれ。ちまちま切ってなんかいられないわ、という豪快なスタンス。
ぱくっと一口で半身を食べてしまって、贅沢です。


 

山形

茶わん蒸しの中には、鶏肉とイカ。いいお味でした。
左は釣ってきたというイカと、タイの湯引き。
このイカも美味しかった・・・。

 

山形

実は道中の道の駅でウニを見かけて、持ち込んでしまいました。
北海道で食べたバフンウニは、海の味のする卵黄、という印象でしたが、天草のウニは、なんと、牡蠣みたいな味!
そして新鮮なので、ぷりんぷりん。
ウニには詳しくありませんが、全く違う味で驚きでした。

 

山形

揚げ物。
キビナゴ、太刀魚、いんげん、カリフラワー。
太刀魚は、子持ちでびっくりしたので、ぱかっと開いた状態で写真をとってみました。
カリフラワーは、衣にうっすらカレー味がついていて、好み☆

 

山形

本カワハギの煮つけ、クルマエビの塩焼き。
もうこのあたりでおなかはパンパン。カワハギは、あたたかいうちに少し味見して、残りは明朝に出して頂くことにしました。
クルマエビの塩焼きは、やっぱりあたたかいうちが美味しいと思うので夜のうちに頂くことに。
殻の中にぱんぱんに身が詰まっていて、殻が剥きにくいほど。すばらしいエビでした。
(クルマエビなんてめったに食べない高級エビです)

 

山形

ごはんを少しだけ、とお願いしたら、白いごはんに、アラが盛り上がるように入っているあら汁も。
おなかぱつぱつで、いつもならアラの隅々までほじくり出すのですが、2割くらい残してしまいました・・・。
お刺身を計画的にのこして、醤油漬けにして、明朝にまわせばよかったかも・・・。

 

山形

デザートは、りんごと、スイートスプリング。
スイートスプリングは、皮が緑のうちでないとおいしくないとの説明でした。
黄色くなっちゃうと、全然美味しくないのだそうです。

今回、道の駅や産直の柑橘も楽しみにしていたのですが、意外にも種類は少ないです。
この季節だからかもしれませんが、半分くらいがみかん、そして残りの大半は、スイートスプリング。
(わずかにレモンなども)
スイートスプリングがこんなにメジャーなのは、とても意外でした。
うちのあたりのスーパーでは、あまり売られていないですし、なんとなく、これといった特徴がなくて、柑橘の仲間では、マイナー格かなと思っていました。

 


おなかいっぱいで、夕食後にもうひと風呂、と予定していたダンナサマも、撃沈。
すぐに寝てしまいました。
気温は、茨城と同じくらい寒くて、夜はエアコンをつけっぱなしでもちょうどいいくらいでした。


早寝した分、朝は少し早起き。
折角の温泉なので、もう一度お風呂に。
レトロな感じのお風呂で、サウナなどの設備はないのですが、よくあたたまる、とてもいいお湯です。
海のそばの温泉って塩辛いことがありますが、こちらはそうではなくて、気持ちがいいお湯です。



朝ごはん、食べられるかしら、と思っていましたが、いろいろ並ぶとついつまんでしまいますね。

山形

わかめの酢の物、ひじき煮、黒ゴマ入りなます、かまぼこなど。
生タマゴは1個だけ、二人で分けて頂きました。
これに加えて、えぼ鯛?のみりん干し、昨晩残しておいたカワハギ煮つけ、ごはん、お味噌汁(こちらの味噌は麦味噌で大好き)など。

大満足☆☆
 


ご主人が「新しいマッサージ椅子を入れたのでよかったら使ってみて下さい」と言って下さって、私だけやってみました。
(ダンナサマはマッサージ系、超苦手)
ふくらはぎや、二の腕までむぎゅーっとしてくれる、最新型!
普段はご主人が使っているのか、それとも片足をちょっとひきずっていた奥様のために買ったのかなあ・・。

6部屋くらいある大きな宿なのに、老夫婦二人だけで?と心配になってしまいましたが、普段は息子さんがいるし、お客さんが多いときは手伝いの人を頼むとか。
ちょっと安心しました。


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サントリー美術館

2017-09-19 | +国内

デジカメが不調なのです。
シャッターボタンが効かなくて、そのかわり、電源を入れるとシャッターが自動的に切れる、という状態。
適当にカメラを構え、電源ボタンONで撮影したりしてますが、やっぱりすごく不便~。
修理に出そうと思っているところです。

新しい写真がなかなか撮れないので、ちょっと前の出来事を記事にしていきます。
7月、また母とサントリー美術館に行ってきました。

サントリー美術館

今回は、「神の宝の玉手箱」という企画。
修理後初公開の国宝「浮線稜螺鈿蒔絵手箱」がメインで、そのほかにもうっとりするような手箱(およびその中身)が沢山展示されていました。

化粧用品をおさめた箱が沢山ありましたが、不思議だったのは櫛が何個も入っているということ。歯の細かさが全部違うという訳でもないです。なぜ重複して?私なんかヘアブラシは1個しか持ってないです。
考え付いたのは、髪をとかす作業は、自分でやるのではなく、おつきの女官数人がかりの作業だったのではないか、という仮説。数人で手分けして作業するため、複数の櫛が必要だったのではないかしら?どうかな。

サントリー美術館

これが浮線稜という文様。
何パーツもの貝殻を切り抜いて、ひとつの丸い模様を作っています。

サントリー美術館

母が予約してくれて、ワークショップに参加してみました。
浮線稜文にチャレンジする、というもの。
本来ならば穴をあける場所が沢山あるのですが、今回は簡易版ということで、外側をハサミで切りぬくだけ。切り抜いたパーツを台紙に張り付けます。

サントリー美術館

意外と時間が足りません。
設定された時間ぎりぎりでようやく完成。
(左が母、右が私)
私の作品、貼りつける位置がイマイチだー。
小さい丸は、最初使うつもりはなかったのですが、後から無理やり貼りつけたのでした。
両方使うなら、もうちょっと配置を考えたのに・・。

サントリー美術館

何度も来ている六本木ヒルズですが、今回はじめてコレに気づきました。装飾品というか、オブジェというか。

サントリー美術館

よく見ると、和紙で出来ているようです。

アタのかご

帰り、駅の構内で気になるものを発見。
アタのかごです。
丁度、今使っているトウモロコシの皮を使ったバスケット(こんな感じのもの)が、崩壊寸前なのです。リサイクルショップで買ったため、どこで買えるのか分からず困っているところ(ホームセンターとニトリにはなかった。送料がかかってしまうけれど、ネットで買うしかないのかなあ・・・)。

とても高級なこちらは・・・35000円・・・。

アタのかご

このバスケットの一番の問題は、(値段ではなく)重さと固さ。
コーンバスケットは、とても軽くて適度に変形して、あちらの方が断然使いやすいです。
すごくきれいだとは思ったけれど、さほど未練もなく、諦めることができました。



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多摩川マルシェ(2017/7/2 武蔵新田)

2017-07-10 | +国内

7/2、蒲田から2駅のところにある武蔵新田(むさしにった)というところに行ってきました。
むさししんでん、と読むのかと思っていましたが、田んぼには関係なくて、新田(にった)氏にゆかりのある土地のようです。
 

武蔵新田七夕縁日(多摩川マルシェ)

ここは大田区内で、駅を降りると建物がみな背が低く、昔ながらの下町、という感じのところです。
駅から数分歩いたところに新田神社(にったじんじゃ)という14世紀半ばにつくられた由緒ある神社が。新田義興公(新田義貞公の第二子)にちなむのだそうです。

御神木は、背はさほど高くないけれど、ごつごつした樹形がとても素敵。沢山の木のおかげで、周辺にはしっとりしたうるおいがあります。

武蔵新田七夕縁日(多摩川マルシェ)

この神社の宮司さんはアニメやコスプレに寛容で、この日も(何かイベントがあったのかな?)コスプレーヤーのみなさんがぞろぞろ練り歩いていました(彼女たちの写真はこちらに)。
(コスプレって、コンゴのおしゃれ男「サプール」に少し通じるものがないかしら?)
写真を撮っていいものかよくわからず(アニメイベントでは禁止というところもあるそうですし)、私は撮影は遠慮してしまいました。最近のアニメにはうとく、何を演じているのかも知らないで撮るのも失礼かな、と思って・・

武蔵新田七夕縁日(多摩川マルシェ)

私が参加したイベントはこちら。
七夕縁日の一角に多摩川まるしぇが加わることになっており、そこに参加させていただくことになりました。

武蔵新田七夕縁日(多摩川マルシェ)

縁日準備風景。
新田神社前の細い道沿いに、びっしり模擬店が立ち並びます。

武蔵新田七夕縁日(多摩川マルシェ)

反対側。
子供向けの、スーパーボウル釣りなどなど、楽しい遊びがいろいろ出ていました。
おとなりのブースはお豆腐屋さん。

武蔵新田七夕縁日(多摩川マルシェ)

で、出来立ておぼろ豆腐を買っちゃいました。
あたたかくってほんのり甘みがあって美味しかった☆

武蔵新田七夕縁日(多摩川マルシェ)

あめ細工、なんていうものも。
初めて見ました。自分の店番がなかったらもっとずっと見ていたかったなあ。

武蔵新田七夕縁日(多摩川マルシェ)

私はニンニク屋さんのお店を広げてみました。
多摩川マルシェは、アットホームな集まりで、年に数回のみ参加の私なのですが、主催者の方があたたかく迎えて下さるので、すごくうれしくなります。
(お赤飯のおにぎりを御馳走になっちゃいました。私はカヌレを持参して食べて頂きました)

武蔵新田七夕縁日(多摩川マルシェ)

数個組にするにはやや不適な超大玉を大きな房に編んで、「ばら売り」としてみたところ、結構はけました。
男性が「3個」などと買って下さったりして、やってみてよかった!


私自身は、もともと大して売れるものではないので、こんなものかな(交通費出てよかった~)という売り上げでしたが、野菜販売は以外にも苦戦していた模様。
人通りはとてもたくさんあるものの、みんな子連れで、縁日のあそびが目的、という感じで、「人は多いのに野菜は売れないよ~」と野菜販売のお兄さんがぼやいていました。

椅子が借りられたのは助かりました。
とても蒸し暑い日で、ナマケモノのようにゆっくりしか動けず、おおかた椅子にへたりこむような状態。
でも、飲食店系の模擬店は元気なこと!
お店は呼び声かけまくりだし、
ずっと立って調理してたり試食をすすめたりするし、なぜこんなにパワーが違うの・・と驚嘆しまくりでした。若さ・・?

一番の嬉しいびっくりは、ブログ関連の方が二人来て下さったこと。

御一方は、小柄な、私よりやや年配の女性の方でした(上品な言葉づかいからして類推。私と同世代だと、もうちょいラフにしゃべる気がする)。

「今度コメントでも是非」と言ったら「いえいえいえ」と遠慮されてしまったので、これまでもコメントなどは書いていない方だと思われます。
「あたまがいい人なんだろうなー、と思って読んでいるんですよ」と嬉しいことを言って下さいましたが、実は全然機転の利かない私は「で、実物を見てみてどうでしょう?」と聞くのをすっかり忘れてしまいました。

ブログを読んでくれてる人、いるんだなあ、とすごく不思議な気分でした。
(リアル話相手は全然いないのに)
「またマルシェに出るときは事前にブログで予告してくださいね」、と言って下さいました。
(○○さん(お名前が分からないので呼びかけにくい)、よかったらコメント下さいね~)
このブログを読んで下さっているということは、色々な手作り、採集、(または破壊?)を自分でもやっていらっしゃるのではないかと思います。どんなものを作っているか、お話を聞きたいものです。


もうひとりは、「おもいつき」http://mayuge.btblog.jp/ というブログをやっているまゆげさん(男性)と、(まゆげさんのブログに頻繁に登場する)お友達のニケさん。
だいぶ昔からヤマドリタケモドキがきっかけで互いにブログを読んでいて、つい最近、コメント欄で自己紹介した、という間柄。
つくば在住なので、勇気を出せばどこかでお会いできるかも、と思っていましたが、初めて会ったのが、はるか彼方の武蔵新田だなんて。不思議・・・。
(寺社の御朱印集めが趣味で、その関係で今回も東京に出てこられたのだそう)
どんな人だろうなあ、とずっと思っていたのですが、予想よりずっとお洒落な方でした。白のターバン風?の帽子と、白の麻で白の刺繍がある紐ボタンどめのチャイナシャツ(帽子のせいかインドの雰囲気)。お似合いでした。
またお話する機会があるといいな。

初対面で、こちらの方はどういう印象だったかなあ。もうちょっとおしゃれ(+お化粧)していけばよかったかなあ。
でも、あの暑さじゃどうがんばってもあんなもんかな・・。


=====

次回の多摩川マルシェは、7/20(木)~22(土)、大森東口駅前広場とのことです。
出店者のみなさんはかなり遠くから、経費をかけて、頑張って来ているので、もし通りがかるようなことがありましたら、よかったら買ってあげて下さい。特に生野菜は、夏の陽気では売れ残ったら廃棄の可能性が高いです。切ないです。
(私は、今のところ7/21(金)に参加の予定です → 7/22(土)に参加させていただきます)

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2016島根旅行:出雲大社

2017-03-09 | +国内

9月に両親と島根に行ってきました。
父の企画なので、歴史文物めぐり、という比較的硬派な旅でした。

メインテーマのひとつ、出雲大社。
とっても広くて、運動になる場所でした。 

出雲大社

出雲大社はこんな感じの立地です。

出雲大社

奥に見えているのが正門鳥居。

出雲大社

大国主命の像がありました。

出雲大社

大国主命といえば、うさぎ。
出雲大社境内には30あまりもうさぎ像があるそうです。
うさぎ探しをするのも楽しいかも。 

出雲大社

これが拝殿。
出雲大社というと、この建物の画像が使われると思いますが、神様がいる場所ではなくて、拝むための場所のようです。 

出雲大社

拝殿の注連縄。
長さ6.5m・重さ1tだそうです。
神社の鑑賞ポイントはよく分かりませんが、このねじねじの注連縄ってボリューミーで綺麗だなあ、と思いました。
どうやって作るのだろう? 

出雲大社

拝殿に向かって左後ろに牛と馬の像があります(神馬神牛)。
牛のほうがカッコよかったです。
このそばに、大遷宮にあたっての寄進者リストの看板がありました。
企業名、個人名が沢山。
企業で筆頭に書かれているところは、いくらくらい寄進したのかしら。想像もつきません。何千万円のオーダー?もっと少ない?
そんなにお金に余裕があるなら、顧客や社員に還元しなくていいのかな。

個人の寄付で、山林三筆、などというものもありました。
出雲大社は、それを売ってお金の足しにしたのかな。いくらになったのかしらん。 

神聖でスピリチュアルな場所のはずが、富の不均衡について考えたりして、どちらかというとドロドロした気持になりました。 

出雲大社

屋根の檜皮葺の見本。
撤去された方の古い檜皮は、寄進してくれた人などに、お守りとして少しずつ分けているようです(多分まだいっぱい余ってる)。

出雲大社

拝殿の奥にある、八足門。
ぐるっと四角く囲われた範囲の、開口部になります。

出雲大社

奥に見えるのが、御本殿。
神道の場合、ご本尊の仏像があったりする訳ではないようです。

出雲大社

背の高い建物が御本殿。

出雲大社

御本殿の屋根にある、バッテンの形でとびだしているものは千木。
水平に置かれた丸太的なものは鰹木というそうです。
どちらも装飾で、構造上は特に役割を果たしていないもののようです。

出雲大社

本殿の左裏側にある彰古館。非常に古い木造に見えます。燃えやすそう・・・。
博物館のようになっていて、一階には大黒様の置物が多数。
骨董品屋さんの匂いがしました。

出雲大社

2階には神事に使われた道具(?)も。
明治天皇が1868年に即位した際、出雲大社御神前に供えた幣帛(へいはく)(供物)だそうです。 
檜の柳箱に入っているのは、真綿・苧麻(からむし)・木綿糸。
何百年か前からの慣習なのでしょうね。 

出雲大社

境内の西隣にある神楽殿。信者の方が集まって何かをする、イベント会場的な役割の建物のようです。
ここにも立派な注連縄があります。

出雲大社

これは日本一の大注連縄だそうで、長さ13.5m、重さ4.4トン。
迫力でした。 


出雲大社は、全貌が広大すぎて視界におさまらず、また拝殿は左右対称といえないデザインで、「荘厳さ」を建築から味わうにはやや大きすぎでした(歩き疲れてぐったりだったというのもある)。
このあと行った熊野大社の方が、スッキリして綺麗だなーと単純に思えました。

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東京へおでかけ

2017-02-27 | +国内

昨日はうららかな春の気温でしたが、今日は寒さが逆戻り。そうですよね、まだ2月です。

あたたかな昨日、タイミングよく母と東京にお出かけしてきました。 

東京へおでかけ

待ち合わせ場所は押上駅。
東京スカイツリーのふもとです。
高速道路からチラリと見たことはありましたが、こんなに近くからまじまじと見るのははじめて。
ほほーう。 こうなっているのか。
結構綺麗かも。
東京タワーやエッフェル塔は裾広がりで安定した形状ですが、これはとってもほっそりしています。 

東京へおでかけ

タワーの真下にはショッピングモールなどがあるようですが、今回はパス。(タワーに登るなんて思いつきもしませんでしたが、母は登りたかったかな?)

この地域は墨田区で、小さめの工場や製造所、会社などが集まった地域のようですが(印刷会社の看板をいくつか見ました)、日曜日は閑散としています。お店も全然ないです。

東京へおでかけ

お城みたいな和菓子屋さんがありました。
(森八というお店) 

東京へおでかけ

午前中の目的地は、たばこと塩の博物館の企画展「西アジア遊牧民の染織」。
1900年代以降くらいのアンティークの絨毯やキリム、塩入れなどの個人コレクションの展示でした。絨毯ってやっぱ綺麗だなー。
凸みたいな形のものが塩入れ。家畜が顔を突っ込んで舐めたりできないように、口を狭めてこの形状になっているそうです。何故房が沢山垂れているのか知りたかったのですが、解説にはありませんでした。

企画展はもちろん、常設展も見応えがありました。塩関連で一部屋。そしてたばこ関連でもう一部屋。タバコにまつわる器具やタバコ製造道具、そしてタバコの箱のデザインの変遷などなど。
人は少なく静かで、おそらく禁煙なのでたばこ臭くもなく、料金は安く(企画展込みでも300円)、くつろぐために行ってもいいくらい。

東京へおでかけ

博物館から少し歩いて、今度は東京マラソン見物。
墨田区ががんばって今年からルートが墨田区内を通るようになったのだとか。

東京へおでかけ

江戸東京博物館の中庭では、マラソン祭りが開催中。
物品販売や区のPRなどのブースがいくつか出ていました。
(来年はもっと増えそうな予感☆) 

東京へおでかけ

期待した食品屋台は少なめでした。
相撲にゆかりの両国、ということで、鶏塩ちゃんこを試してみました。
まあまあでしたが、煮詰まってきたせいか、つゆの味が濃くて飲みきれませんでした。

東京へおでかけ

大江戸線に乗って、両国から六本木へ。
次はサントリー美術館です。

個人コレクター二人からの寄贈品の展示でした。
ひとつはデルフトの焼き物、もうひとつはガラス。

撮影OKの展示だったので、いくつか撮ってみました。 

東京へおでかけ

デルフトの焼き物は、土としては陶器の種類だそうですが、中国や日本から輸入された磁器に触発されて、磁器風のものを製作しています。
オランダでは牛は大変な資産だったそうですが(今で言う車みたいなもの?)、馬はさらにその上の存在。
大切な存在である馬なので、焼き物作品も沢山つくられたそう。

私は特に馬好きではないのですが、この馬は足が短くてずんぐりして可愛いくて、つい撮ってしまいました。実際、こんな馬がぱかぱか働いていたのかも、と思わせます。 

東京へおでかけ

まるで青磁に青絵付け、のように見えますが、欠けたところを見ると土としては薄茶色の陶器っぽいです。
釉薬なども研究して、根性で青磁風にしたのだろうなあ、と思いました。 

東京へおでかけ

もうひとつのコレクション。
陶芸家だけれど、ガラスのコレクションも精力的にしていた方。
(60代になってからガラス制作も始めたそうです)

古代のガラスから現代のものまで、いろいろありました。
このカットグラス、いいなあ・・。



■参考情報
絨毯やテキスタイルなど遊牧民の周辺の染織品についてのブログ トライブーログ
 塩入れに関する記事 

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2016出雲:松江城

2016-12-20 | +国内

昨晩は、獅子柚子ママレード、ひと鍋分瓶詰めしました。
引き続き、柚子ピール作り、途中まで。 ぜーはー。

砂糖で煮る直前まで進めたので、今晩煮て、明日は干しはじめられるかな。

写真も撮らず一心不乱に作業していたので、ブログネタがありません。
そういうときは、旅行記事。
(つまんなくってすみません。)

====

出雲旅行で、2泊目は松江に泊まりました。
なので翌日は、松江城見学。
 

松江城

松江城。
別名千鳥城というそうです。
日本百名城のひとつ。
お城には全く詳しくありませんが、綺麗だなあ、とは思います。

父と私はお城の中まで行ってみることにしました。
階段が沢山あるということで、膝の痛い母は体力温存のため、ふもとで待機。

松江城

自分ひとりで松江をぶらぶらしていたら、きっとお城には入らなかったと思います。
でも、松江城の中は、かなり見応えがありました。
(入ってみてよかった)
過去の松江市の再現模型が、いくつもあるのです。
 
一番古いものは、旧藩時代。宍道湖畔の平らな松江で、お城のところだけぽっこり高いのが分かります。

街は道も広く、建物も詰んでおらず、スカスカ。 

松江城

これは、昭和34年頃だったかな。建物が詰んできていますが、高層建築はまだほとんどないです。

もっと後の時代のものもあって、模型を見比べるだけでも、かなり楽しいです。 旅行者の私でも面白いのだから、松江に土地勘のある人だったら、尚更だろうなあ。

松江城

宝物的なものもいろいろ。
これは螺鈿の机。

松江城

蒔絵の重箱、だったかな。

松江城

昔のしゃちほこ。

(全部お宝ではありますが、雑多なものが詰め込まれて、倉庫みたいですね) 

松江城

松江城は戦前までは国宝だったのですが、戦後、文化財保護法の改正で、重要文化財に格下げになってしまいました。
それというのも、築城年代に関する史料がないため。

ところが、平成24年に、松江神社で築城年代推定の助けになる祈祷札が見付かったのです。
それがこちら。「慶長拾六年正月吉祥日」と書いてあるのだそう。

松江城

この発見をうけて、平成27年に悲願の国宝(再)指定。

(黄ばんだ紙なので、戦前の国宝の指定書かと思っちゃいましたが、最近のものです)

松江城

どの部材がどのくらい古いのかな。
床は、大勢の観光客の足で磨かれて、ツルツルすべすべでした。

(足袋靴下は、湯上がり用ということで旅館のアメニティのひとつ。靴下がひとつ足りなかったので助かりました) 

松江城

天辺まで登ると、眺めがよいです。
模型のころとは大分違って、びっしり建物が建ち並んで、隙間がみえません。 

松江城

高層建築も沢山。

松江城

なだらかな山が、遠くに見えます。
(山陰では、山は南側、海は北側になります。なんか不思議な感じ) 

 

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2016出雲:荒神谷(こうじんだに)遺跡

2016-12-15 | +国内

出雲旅行の際、大量の銅剣類が出土した、荒神谷遺跡というところに行ってきました。
 

荒神谷遺跡

特にどうということはない谷あいに、荒神谷はあります。

荒神谷遺跡

ごく普通に見える斜面に重要な遺跡があるなんて、想像がつきませんよね。
1983年、広域農道(愛称・出雲ロマン街道)の建設に伴い、(恐らく単にルーティンとして)遺跡調査が行われたのだそうです。(もともと神庭と呼ばれる土地だったそうですが、特に期待はしていなかったのではないかな・・)

ここで調査員が古墳時代の須恵器の破片を発見したことから発掘が開始されたのだそうです。
掘ってみたら、、銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16本が出土する大発見!ということに。 

荒神谷遺跡

行ってみると、しっとり落ち着いた谷あい。

荒神谷遺跡

かなりの急斜面に段が作ってあり、そこに出土品が綺麗に並べられていたのだそうです。

荒神谷遺跡

びっしり、交互にならべられた銅剣。
(発掘当時の様子を再現してあります) 

荒神谷遺跡

こちらには銅鐸と銅矛。

荒神谷遺跡

どれも、実用品というよりは、まつりごとの道具だったとのこと。

荒神谷遺跡

なお、発掘される青銅製品は緑青が出て渋い色合いになってしまっていますが、鋳造直後および埋納時は金色だったそうです。
ふむ。
ピカピカの金色なら、なんか有り難みがある気がする。

荒神谷遺跡

発掘関係者は大興奮で、マスコミにも随分と取りあげられたそうです。
最終的に出土した銅剣358本というのは、それまでに全国で発掘された銅剣の総数を超える数なのだとか。
 
出土品は、島根県立古代出雲歴史博物館に展示されています。 

荒神谷遺跡

じゃじゃーん!

再現模型は、金ぴかに輝いており、しかも大量にあって壮観です。
(錆びてレースみたいになってしまった実物は下段に)

荒神谷遺跡

銅矛と銅鐸も、昔は金色だったようです。

荒神谷遺跡

これら銅製品の製作年代は、弥生時代前期末から中期中頃、製造地は北九州と考えられているようです。 

荒神谷遺跡

(写真がひどくてすみません)
埋納された時期については定説はないとのこと。
何かの勢力争いがあって、負けている側が、将来の再起を誓って宝物を隠した、という説があるそうです。で、未明もしくは夕暮れ時の薄闇の中、宝物を隠す様子の模型が展示されていました。


このほかにも、出雲のあちこちに、まだ宝物が埋まっているのかも?
歴史のことはサッパリですが、宝探しはワクワクします。
観光途中も、爪先で地面を蹴りながら歩いたりしてました・・・・。


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2016出雲:風土記の頃の市場

2016-12-14 | +国内

島根県立古代出雲歴史博物館の中に、市場がありましたよ!

といっても風土記の時代の市場の再現。
出雲の国風土記は733年完成だそうなので、奈良時代、ですよね。

この風土記は、地方の文化風土や地勢等を国ごとに記録編纂して、天皇に献上させた報告書なのだそうです。
神話・伝説も書かれていますが、その土地の産物も記録されていたようです。
それに基づいた市場の想像図が模型で再現されていました。 

古代出雲歴史博物館

これは薬草屋さんかな。
干した朝鮮人参みたいなのがありますが、これは、輸入品かも?(日本では育たないですよね?)

古代出雲歴史博物館

魚屋さん。
広大な宍道湖があるので、魚介は充実していただろうなあ、と思います。波もなく、無限に沸くように魚や貝がとれただろうなあ。
湖畔の人は誰でもさぞかし豊かな食生活だっただろう、と思いますが、プライベートビーチ(?)とか入漁権が当時からあって、貧乏人はやっぱり苦しかったのだろうか・・・。

古代出雲歴史博物館

手前の大きなザルはアワビ。干しアワビのように見えます。その左は生のナマコ。
このほか、エビ、コウイカ、シジミ、塩、サザエ、牡蠣、クロダイ、ハマグリ、カメノテ、ボラ、フグ、マグロ、ワニザメ、スズキ、鴨、マダコ。
すごい美味しそう。
海洋汚染もなく、今より美味しい魚貝だったのでは、と母が言っていました。
タイムマシンがあったら、美味しい魚介を買いに行きたい!(あ、この頃ってもう貨幣経済?)

あと、台湾の市場を見た経験から、これら全部が1件の店に並ぶことはないんじゃないかと思います。
湖のもの、海のもの(磯・沖)、あと乾物類は別の人が売っていたのではないかな。

 

古代出雲歴史博物館

八百屋さん。
すごく寂しいです。ヤマブキ、カブ、セリ、ジュンサイ、タケノコ、くらいです。
(ジュンサイは多分シジミとかと一緒に売られていたのでは) 

本当は、もっと色々並んでたのだろうと思います。
少なくとも一人の人が運べる限界までは、商品を並べたのではないかな。 

古代出雲歴史博物館

風土記を書いた人、野菜には興味なかったのかなあ。珍しい野菜だけ書いたのかな。調査した時期が早春で、品揃えが悪かったのかも。

当時は果物はあまりなかったのかな?
(何かしらあったと思うけど)
あとキノコも、季節にはとってきて売る人がいただろうなと思います。 
 

古代出雲歴史博物館

宍道湖の、当時の漁法。(見学していたおじいさんが、ちょっと前までこうやって漁をしていた、と言っていました)
巨大な竹箒みたいなのを湖に立てておいて、それを魚礁にするのだそうです。

古代出雲歴史博物館

で、それをさっと引き上げると、竹箒に沢山の魚が挟まれて、つかまえることが出来るのだとか。

古代出雲歴史博物館

漁具もいろいろ展示してありました。
植物系の採集は好きですが、狩猟・漁労はほとんど経験なし。なので見ても、ふーん、という印象しか持てず、でした。

古代出雲歴史博物館

この小屋は、玉作りの工房の再現。
遺跡では、碧玉や瑪瑙などのクズが100kg以上出土したそうです。
もしこの時代に生まれたら、玉造工房に弟子入りしたいかも(子供の頃、石が大好きでした)。

この頃は、漁師の子は漁師、職人の子は職人、と将来が決まっていたのだろうか。 ある程度適性によって選べたのだろうか・・・。


奈良時代、庶民の暮らしはどんなだったのでしょう。
忙しかったのか、意外とのんびりしていたのか・・。
便利な機械はないし、店で買えるものも限られているし、ヒマな訳はないよなあ、とは思います。
でも母によると、「子供が学校に行かないならば、結構な労働力になるわよね」と。
ふむ。なるほど。確かに。
子守もするだろうし、おかずになる魚をとってきたり、薪を拾ってきたり、色々役に立ってくれそうですね。
(母が子供の頃くらいまでは、子ども達が結構仕事してたかも)

豊かな宍道湖周辺では、少なくとも、食べるだけでカツカツ、ではなさそうです。
だから権力者が生まれて、特に役にも立たない古墳や、巨大建造物を造る余裕があったのだろうなあ、と。
 

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2016出雲:古代出雲歴史博物館~古代の出雲大社

2016-12-07 | +国内

9月初旬に、両親と私、3人で出雲旅行に行ってきました。
父が歴史に興味があるので、史跡や博物館系を念入りに見てきました。
中でも、島根県立古代出雲歴史博物館は見所満載でした。

ボランティアガイドの方が各コーナー、数人ずつ待機していて、希望すれば(しなくても?)必ず解説してもらえます。さーっと流して見る訳にはいかない状態で、かなり長時間楽しむことが出来ます。
(足が棒になります)

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展示品は沢山ありますが、古代の出雲大社の再現模型があったので紹介します。 

古代出雲歴史博物館

これが今の出雲大社。
平成12~13年(2000~2001年)に行われた発掘調査で、スギの大木3本を束ねた柱が発見されました。 
(手前、穴があいているところ) 

古代出雲歴史博物館



3本あわせた直径は約3m。
鎌倉時代前半の宝治2年(1248年)に造営された本殿を支えていた柱である可能性が高いそうです。

古代出雲歴史博物館



出雲大社の発掘跡地は、こんな風に、柱の位置が分かるようになっています。

古代出雲歴史博物館



この柱の構造、その他、各種古文書等をふまえ、5人の研究者が古代の出雲大社を想像してみたのがこちら。
家のような部分のサイズ感は似ていますが、高さや階段の角度(長さ)がかなり違います。 


それぞれ写真を撮ってきたのでご紹介します。
左側、小さい方から・・・。 

古代出雲歴史博物館

三浦正幸博士案。
高さ約27m。
階段角度45度。

古代出雲歴史博物館

一部の史料にある高さ16丈(48m)という説を否定して、元本殿とほぼ同じ、棟高8丈(24m)と推定しているようです。
階段角度45度というのは、現存する最古の大社造本殿の例の、神魂神社を参考にしたもの。


古代出雲歴史博物館

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古代出雲歴史博物館



浅川滋男博士案。
高さ41m。階段角度55度(登るのはともかく、降りるのは命がけよね!?)。
 

古代出雲歴史博物館

ほかのに比べて地味な茶色ですが、これが出土史料の成分分析に基づいた色なのだそうです。
3案をCGで復元し、ある史料の絵図面と近いプロポーションの案を模型で再現してみたとのこと。
絵図面って、 縦方向が強調されている感じがありますが、階段角度が55度なのはそのせいかも。

古代出雲歴史博物館

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古代出雲歴史博物館



黒田龍二博士案。
高さ約44m。階段角度45度。 

古代出雲歴史博物館


16丈(48m)は信憑性に欠け、現実的に考えるとこの規模だろう、という考え方のようです。

古代出雲歴史博物館

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古代出雲歴史博物館



宮本長二郎博士案。
高さ48m、階段角度17度。
全長127m。 

古代出雲歴史博物館

高さ16丈(48m)説を積極的に採用。

ゆるやかで長いアクセス部分は、「金輪御造営差図」に基づいたもの。
ここは階段ではなくスロープなのだそう。
本殿造営時の工事用足場の機能も想定。
(なるほど、階段よりスロープの方が、いろいろ運びやすいですね。) 

古代出雲歴史博物館

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古代出雲歴史博物館



藤澤彰博士案。
高さ48m、階段角度16度、全長約130m。
(社殿の色彩は省略) 

古代出雲歴史博物館



高さ16丈(48m)説を積極的に採用。
ゆるやかで長い部分は、「金輪御造営差図」に基づいたもの。
中心の柱1組以外は、裾広がりの構造になっています。

古代出雲歴史博物館


鎌倉時代というと、そんなに昔でもないようにも思います。
それなのに、こんなに意見が分かれるなんて。
今後新たな史料が発見されたりして、真相が解明されるときは来るのでしょうか?

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なお、3本組の柱が発掘される前、1980年代にも1/10の復元模型が製作されており、それもまだ展示されていました。
故・福山敏男 京都大学名誉教授が戦前に作成した平安時代の本殿を想定した設計図を元に、1980年代に入って株式会社大林組の復元プロジェクトで部分修正し、製作されたものだそうです。
 

古代出雲歴史博物館


太い木3本と、そして束ねたときの窪みを埋めるようにやや細い材3本を組み合わせて、外見上は丸い柱にしています。
3本柱が発見されたときは、「ああやっぱり!」と思ったのかな、「3本束ねるだけで丸めないでよかったのかー、ちぇ」と思ったのかな。 

古代出雲歴史博物館

アクセス部分は、ゆるやかタイプ。
スロープではなくて階段になっていますね。

こちらのサイトに詳しく解説があります。
(この写真もお借りしました) 

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古代には土地は十分有り余っていただろうに、特に役に立つでもない高い建物をわざわざ建てて・・・とつい思ってしまいます。
(信仰に無縁で、しかも貧乏性なのでついこういう発想に・・・)
豊かな社会で、各階層の生活が十分安定していたから出来たのだろうなあ。 

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2016出雲:出雲キルト博物館

2016-09-15 | +国内

9月8~10日、島根県の出雲方面に旅行に行ってきました。
両親と私、という組み合わせ。
父が歴史に興味があるため、出雲大社と、あと足立美術館にも行ってみたい、というので、母と私も便乗させてもらいました。

主に歴史関係の博物館や神社を巡ったのですが、途中、女性陣の希望でこちらにも。
 

出雲キルト博物館



見渡す限り田んぼが広がるような場所のなかに・・・

出雲キルト博物館



立派な和風の建物が。これが出雲キルト美術館です。
築200年の古民家を改装したものだそうです。 

出雲キルト博物館



ガラスの向こう側にはディスプレイが。

出雲キルト博物館



ちょっと寄ってもう一枚。分かるかな。
稲穂が吊り下げられています。
実物はもっと素敵でした。

出雲キルト博物館



入り口。
墨色の壁に「森羅万象」という文字が見えます。

出雲キルト博物館

この美術館は、八幡垣睦子さんという、世界的なキルト作家の個人美術館です。

和服素材を使った、素晴らしいキルト作品でした。 

出雲キルト博物館

館内は、作品以外は撮影可とのこと。
空間全体が何とも緊張感のある美しさで、あちこち撮らせていただきました。
これはいろり。

出雲キルト博物館

いろりに座ると低い窓が開いていて、ここから中庭が見えるのですが、ここにも非日常的なディスプレイが。

出雲キルト博物館

稲穂がこんな風につり下がっています。
中庭で、ほとんど風はないのですが、ごくわずかに動く姿に、思わず見入ってしまいそうになります。
稲穂の下は水面。
水の中は白と金の砂利で、日の丸風になっています。

出雲キルト博物館

掛け軸(キルト作品)の下にも稲穂の飾り。

出雲キルト博物館



とても広いガラス窓。
もともとこういう構造だったのか、それとも改装して窓を大きくとったのかは不明です。

出雲キルト博物館

白い磁器の洗面ボウルの、空豆みたいなかたちが可愛かったです。

出雲キルト博物館

喫茶室があり、デッキにも出られるようになっています。

出雲キルト博物館

抹茶と生菓子のセットを頂きました。(700円。生菓子だけだと250円。お母さんへ:ごちそうさまでした)


近くを通りがかったので、カーナビで検索して立ち寄った場所でした。
(父はやや渋い顔。中には入らず近くを散歩して、喫茶室で合流)

作品と、そして建物自体の美しさで、非日常的な空間になっていて、見応えがありました。
キルトだけでなく、インテリアに興味がある人にも面白いかも。
でも美術館というのは生活の場所とは全く違うので、具体的な参考にはならないかもしれません。 

コメント (2)
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