9月初旬に、両親と私、3人で出雲旅行に行ってきました。
父が歴史に興味があるので、史跡や博物館系を念入りに見てきました。
中でも、島根県立古代出雲歴史博物館は見所満載でした。
ボランティアガイドの方が各コーナー、数人ずつ待機していて、希望すれば(しなくても?)必ず解説してもらえます。さーっと流して見る訳にはいかない状態で、かなり長時間楽しむことが出来ます。
(足が棒になります)
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展示品は沢山ありますが、古代の出雲大社の再現模型があったので紹介します。
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これが今の出雲大社。 平成12~13年(2000~2001年)に行われた発掘調査で、スギの大木3本を束ねた柱が発見されました。 (手前、穴があいているところ)
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3本あわせた直径は約3m。 鎌倉時代前半の宝治2年(1248年)に造営された本殿を支えていた柱である可能性が高いそうです。
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出雲大社の発掘跡地は、こんな風に、柱の位置が分かるようになっています。
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この柱の構造、その他、各種古文書等をふまえ、5人の研究者が古代の出雲大社を想像してみたのがこちら。 家のような部分のサイズ感は似ていますが、高さや階段の角度(長さ)がかなり違います。
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それぞれ写真を撮ってきたのでご紹介します。
左側、小さい方から・・・。
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三浦正幸博士案。 高さ約27m。 階段角度45度。
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一部の史料にある高さ16丈(48m)という説を否定して、元本殿とほぼ同じ、棟高8丈(24m)と推定しているようです。 階段角度45度というのは、現存する最古の大社造本殿の例の、神魂神社を参考にしたもの。
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浅川滋男博士案。 高さ41m。階段角度55度(登るのはともかく、降りるのは命がけよね!?)。
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ほかのに比べて地味な茶色ですが、これが出土史料の成分分析に基づいた色なのだそうです。 3案をCGで復元し、ある史料の絵図面と近いプロポーションの案を模型で再現してみたとのこと。 絵図面って、 縦方向が強調されている感じがありますが、階段角度が55度なのはそのせいかも。
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黒田龍二博士案。 高さ約44m。階段角度45度。
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16丈(48m)は信憑性に欠け、現実的に考えるとこの規模だろう、という考え方のようです。
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宮本長二郎博士案。 高さ48m、階段角度17度。 全長127m。
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高さ16丈(48m)説を積極的に採用。
ゆるやかで長いアクセス部分は、「金輪御造営差図」に基づいたもの。 ここは階段ではなくスロープなのだそう。 本殿造営時の工事用足場の機能も想定。 (なるほど、階段よりスロープの方が、いろいろ運びやすいですね。)
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藤澤彰博士案。 高さ48m、階段角度16度、全長約130m。 (社殿の色彩は省略)
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高さ16丈(48m)説を積極的に採用。 ゆるやかで長い部分は、「金輪御造営差図」に基づいたもの。 中心の柱1組以外は、裾広がりの構造になっています。
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鎌倉時代というと、そんなに昔でもないようにも思います。
それなのに、こんなに意見が分かれるなんて。
今後新たな史料が発見されたりして、真相が解明されるときは来るのでしょうか?
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なお、3本組の柱が発掘される前、1980年代にも1/10の復元模型が製作されており、それもまだ展示されていました。
故・福山敏男 京都大学名誉教授が戦前に作成した平安時代の本殿を想定した設計図を元に、1980年代に入って株式会社大林組の復元プロジェクトで部分修正し、製作されたものだそうです。
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太い木3本と、そして束ねたときの窪みを埋めるようにやや細い材3本を組み合わせて、外見上は丸い柱にしています。 3本柱が発見されたときは、「ああやっぱり!」と思ったのかな、「3本束ねるだけで丸めないでよかったのかー、ちぇ」と思ったのかな。
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アクセス部分は、ゆるやかタイプ。 スロープではなくて階段になっていますね。
こちらのサイトに詳しく解説があります。 (この写真もお借りしました)
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古代には土地は十分有り余っていただろうに、特に役に立つでもない高い建物をわざわざ建てて・・・とつい思ってしまいます。
(信仰に無縁で、しかも貧乏性なのでついこういう発想に・・・)
豊かな社会で、各階層の生活が十分安定していたから出来たのだろうなあ。