風雅庵の日々

園芸、屋上、近所の散策を中心に記録します

東慶寺

2012-08-05 11:00:09 | 鎌倉33観音

第32番 松岡山・東慶寺(臨済宗円覚寺派)【聖観音】

開山は北条時宗の夫人・覚山尼、1285年の創建です。
霜月騒動で滅ぼされた安達泰盛は、覚山尼の兄にあたります。
覚山尼は、時宗とともに、安達一族を弔ったことでしょう

後醍醐天皇の皇女・用堂尼が5世住持となり「松ヶ岡御所」と呼ばれるようになりました。
江戸時代には、20世住持の天秀尼が「縁切寺法」永続を家康より得ました

鎌倉尼五山の第二位の尼寺でしたが、1903年より男僧の禅寺になりました。
中興の祖とされる釈宗演が復興、弟子の鈴木大拙は禅を世界的に広めました。
そのため墓苑には、鈴木大拙のほか、西田幾多郎、小林秀雄、高見順などの文化人の墓が多い


本堂「泰平殿」、本尊の釈迦如来が安置されてます。

札所本尊は木造聖観音立像、宝蔵に安置されてます。
かつては西御門の廃寺・太平寺の本尊、鎌倉時代後期の作、土紋装飾があります
里見氏に持ち去られたのを、東慶寺の要山尼が取り返したというすごい観音様。
この像を安置していた仏殿は、円覚寺の舎利殿、今では国宝になってます

中国風の水月観音も有名ですが、ちょっと怖い顔。そんなにいいかな?


なでしこが咲き乱れてます



20世住持の天秀尼は、浅井、豊臣、徳川と込み入った関係があります。
浅井長政とお市の方には、3姉妹、茶々、初、お江がおりました。
お江は、徳川秀忠の側室となり、長女の千姫、家光・忠長など2男5女を生みました。
茶々(淀殿)は、豊臣秀吉の側室となり、長男の鶴松、二男の秀頼を生みました。
豊臣秀頼は千姫を正室としましたが子供がなく、側室の間に男女を儲けました。
男児は国松、夏の陣後に京都六条河原で処刑、
女児は奈阿姫、千姫の願いによって助命されます。千姫の養女となり、
19世瓊山法清に師事、天秀法泰尼と称し、20世住持天秀尼となったのです。
徳川秀忠の娘という養母・千姫の後ろ盾により、伽藍を再建、縁切寺法を守りました


金仏さん


ルドベキアかな


赤紫蘇ジュースをいただきました。
豊後梅のジャムやジュースは売り切れですが、梅パウンドケーキがありました


夏の1日でした


いただいた御朱印です

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 梅干し | トップ | レノボ修理 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

鎌倉33観音」カテゴリの最新記事