世間との距離を考える一日

2007年11月05日 01時41分03秒 | 日記風
①MIAUの発起人である
白田秀彰サン「インタネットの法と慣習」を読む。速読で。

 速読なんで、
軽い口調とはそぐわぬ前提知識を要する内容と論理性
(わからんところは、わからんと言い切ったりする点も含めて)を擁す本書
きちんと吸収できたかはわからん。

 とりあえず、備忘のため列記。
・自力救済に関して、著作権に関する私的なクラッキングは
 自力救済の可能性がある点は注目。
・ネットワークの中での通称も含む「名」をさらす意義は注目。
 本人のMIAUの活動もこの流れか?
・でもネットワークで「名」を持ち、かつ、
 それを晒しても耐えるぐらいの技術的・思想的体力を持ちえる人って、
 一握りだと思う。
・「現実世界」と「ネットの世界」の2元論は無理がある。
 この書にも記されているように
 「現実」「ネット」にもそれぞれの組織が編成されているわけで、
 それが、「現実の世界」と区別する理由が少ないと思う。
・「権威」に強い意義を見出している点は同感。
・それと、中世の権威の薄い時代と、今のネット社会の類似性を
 本書で語っているが、現在の巨大な行政組織を有する国家至上の現状で、
 「名」もなきネットが強くなる可能性は、やはりメシアが必要になると思う。

・「ニート」等は、現在の社会に対して批判的な気持ちを有するも、
 議会(立法機関)にアクセスしたり、破壊したりする行動(革命権)も、
 デモや意見表明を行うことによって、批判を行うこともできないことによる、
 「サボタージュ」の一種なのではないか?という考えは面白い。
 でも、「ニート」のみなさまは、そこまで難しく考えていないと思う。
 少なくとも、立法府・行政府に楯突こうという輩は、
 自分で食っていくぐらいの精神的・技術的バックはあると思うのだが。

・HPからの抜粋本なので、章と章のつながりがみずらい。
ま、だらだらとこんな感じかな??

②川井憲次のコンサートに行く。
民謡のヒト(西山社中)の発声に感動したり、
打楽器やシンセを実際どのように使っているかを
目で見て、音を聞いてと楽しめたのは非常に有意義だった。
一発勝負のコンサートだっとので、
意識あわせが未熟な部分もあったけど、
「unnatural city」「log in」「謡」など
川井サンの代表曲を生音で聞けるとは、それは贅沢なものだよ。

 こういうコンサートにいくと、いつもモヤモヤした精神が
一瞬でも、スーッと楽になる快感がある。
久方ぶりのコンサートで興奮のオイラなのでした。
 


 でも、、、

その会場でオイラの横にいたデブにはハラタッタ。
手でドラムのまねしてリズムをとりながら、オイラにがつがつ当たってきたり。
(しかもリズムあってないし。)
場違いなところで騒いだり。
クラシックコンサートの会場で靴脱いでたり。
(しかも、なんか臭いし。。。)
もう、イライライラ。

 コンサートにお金を払っているのだから、当然、その人なりの
音楽を楽しむ権利を有するのだが、家でニコニコ見ているのとわけが違う。
 頼むから、世間との距離とか、場ごとのわきまえとか、
少しは考えてくれよな~、と思った。




③なんか、長文・ひどい乱雑な構成になってしまったんだけど。
結局のところ、
「場ごとのわきまえをしっかりしましょう。」
「人のふり見てわがふりなおせ。」
「『名』は大切。」
「生はいいよ。生は。」
こんなところでしょうか?

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1 コメント

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Unknown (民事再生法)
2007-11-05 01:50:10
世界との距離ですか・・・
ふかいですね。
勉強になりました。
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