蕎麦彷徨

ひとりの素人が蕎麦について考えてきたことを書きしるすブログ

釜前仕事 (3)

2006-07-03 | 釜前仕事
② 水切りについて

一般の家庭でも、沸騰が止まらない程度に蕎麦の量を制限し投入すれば、一応蕎麦の茹で基準には達していると、私は考えている。問題なのは、その後である。すでに書いたように、今まであまり論じられず軽視されてきた「水切り」の問題である。

今はないが、東京神田の2つの老舗蕎麦店のすぐ近くに「いし井」という蕎麦店があった。御主人が蕎麦を茹で上げ、水切りをするときに、ザルか何かで数十回もトーントーンと強く鋭く振って水を切っていた。それが水を切るための行為だということは直ぐに理解したが、重大な意味をもつことはその時理解できなかった。その蕎麦は細打ちでいいコシがあり、驚いたことに豊かな香りがあった。納得できる蕎麦店がない東京では、例外に属する蕎麦であり、今まで東京でこれ以上の蕎麦を食べたことがない。

その後しばらくして、ある名の通った蕎麦店で蕎麦を食べているときのことである。相手がいたので話しをしながらゆっくり食べていると、香りがぐっと強く感じられる一瞬があった。水が切れると、香りがたつことに、この時気づいたのである。「めん」の表面が水でコーテングされた状態では、香りは感じられない。この水が切れなければ、蕎麦の香りは味わえないと判ったのである。

あの「いし井」の御主人は、香りを出すために水を振り切っていたのである。

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