蕎麦彷徨

ひとりの素人が蕎麦について考えてきたことを書きしるすブログ

栽培 (72)

2007-01-26 | 栽培
では、「選抜目標」に従い選抜系統栽培し生産力試験を経て、具体的にどのような「ソバ」になったか。以下引用。

「常陸秋そば」は原種となった「金砂郷在来」と幾つかの点で同等であるとし、良くなった諸点を、「千粒重は『金砂郷在来』より重い。異形粒は『金砂郷在来』より少なく、粒揃いも良い。品質も良で『金砂郷在来』より良い。」と記述し、さらに「『常陸秋そば』は『金砂郷在来』に比べ生育収量性はほぼ同程度とみられるが、穀粒の外観品質の良いことが認められた。」と結論づけている。
ここから読み取れることを一言で言えば、「外観品質が良」くなったことである。

さらに、この論文には、めんとそばがきにした時の食味試験の結果が記載されている。その試験では、香り、風味、甘みの3項目について調査された。風味においては大差なく、甘みにおいては『常陸秋そば』が優れ、香りについては『金砂郷在来』が優れている。
蕎麦を食べる時、甘みにどんな価値があるのだろう。私は、全くないとは言わないが、香りの重要性と比べれば、遙に重要性は低い。「香りはないが甘みのある蕎麦だ。」などというのはどれだけピントはずれな言葉か。いい品質のソバのみが香りの高い蕎麦になる。つまり、香りがあれば甘みはついてくる。
香り、しかもいい香りを求めて蕎麦を食い歩くのは私だけではあるまい。味が判る蕎麦食いで、香りを軽視する者はいまい。

私のような価値観を持つ者からみれば、「常陸秋そば」は原種の「金砂郷在来」より後退している。これは品種改良ではない。
人は、「農家に見栄えがよく、良く売れる品種が提供できたのだからいいのではないか」と言うかも知れない。しかし、「外観品質」だけでなく、味の観点からも多くの蕎麦食いが求めるソバを開発しなければならないのではないか。

「香り」を品種改良の中心に据えなければ、うまい蕎麦が食べられることはなくなってしまうだろう。いい在来種の良い形質を「拡大」するような育種を、今、早急に進めなければならないだろう。
私は、「蕎麦界の展望」で、新しい地平を切り開くのは、食べる側、すなわちそばのいい味を求めることから蕎麦の世界に入り、ソバの栽培に途方もないエネルギー注ぐことができる若者しかないであろうと書いたが、「常陸秋そば」の開発過程をみるとその思いはより強くなる。


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