goo blog サービス終了のお知らせ 

蕎麦彷徨

ひとりの素人が蕎麦について考えてきたことを書きしるすブログ

栽培 (17)

2006-10-12 | 栽培
③  EM菌のEMとは Effective Microorganismsの頭文字で、日本語では「有効微生物群」と訳し、作物生産に有効な80種以上の微生物群を培養した液であるという。その培養液の中心をなすのが、光合成細菌である。これを単体で用いるのは有効ではないことは、今では判るのだが、この光合成細菌をソバ栽培に利用しようと考えた。

『現代農業』で、愛知県の「さとう研究所」がこの菌を頒布しているのを知り、買い求めた。リン酸分がソバ栽培上有効ではないかと考えていたので、鶏ガラや魚の骨も入れ、この液を拡大培養した。これを500倍に希釈して、6回の葉面散布を行った。
2a程のソバ畑への散布も楽な作業ではなかったので、次のような方法で散布を行った。ドラム缶で500倍に希釈し軽トラックに積載運搬し、傾斜した畑の上方に止めた。そのドラム缶からホースを引き、サイホンの原理を利用して散布したのである。

④  酒粕もいわば微生物の塊であり、この酒粕を畑に入れたらどうかとも考えた。友人のENさんのお宅で、造り酒屋の若主人に会った。若主人の話によれば、日本酒を作る最終工程で不純物を濾過するために活性炭を使っており、そこには酵母菌などが無数に付着するという。酒粕よりも生きた微生物が大量に存在するというのだ。そのときの話し合いから、この貴重な濾過した活性炭がいただけることになった。後に、この活性炭を2箱いただき、畑の一部に入れソバを栽培してみたのである。

栽培 (16)

2006-10-11 | 栽培
EM菌への取り組みを契機に、微生物をソバ栽培に利用する他の方法も試みた。

①  EM菌を始めてしばらくして、『発酵肥料のつくり方・使い方』(薄上秀男著)を手にした。微生物農法に最も関心が強い時であったので、この方法にも取り組んでみた。EM菌の拡大培養の経験も多少あったので、一応の発酵肥料はできた。一部の畑で、2シーズン程使用してみた。
また、この書物を読んで、様々な微生物を利用しようと考えた。山の高、中、低地の東西南北の12箇所から腐葉土を採取してきて拡大培養も行ってみた。

②  前著と相前後して、『土着微生物を活かす』(趙漢珪)を入手した。この書物で紹介されている方法でも微生物を採取した。米のとぎ汁で乳酸菌を集めたり、ご飯をつめた折詰を、山の腐葉土がたくさん積もった中に数日間埋めておき「土着微生物」を採取した。そして、その書物に従い、拡大培養を試み畑に入れた。ただし、こちらは本当に良い微生物が採取できたか判断できないので、この書物を多少なりとも活かすことができたかどうか判らない。  

栽培 (15)

2006-10-06 | 栽培
1993年秋から、EMボカシを作り始めた。
ボカシとは、周知の如く、目標とする特定の微生物を「エサ」となる基質を与え発酵に導き、拡大・培養するものである。これを畑に入れ、「肥料」としての役割をはたさせようというものである。

私達が作り始めた時期が悪かった。冬に向かって作り始めたのである。
後になって、次第に判ってきたのだが、微生物を発酵に導くには、温度、水分、空気に対する好嫌という重要な3つの要素があった。冬に向かう時期に始めた上、温度の大切さが判っていなかったために、温度に対する気配りが不足していた。さらに、当初は首尾よくできているかどうかも判断できず、作る毎に車で1時間程離れている師匠と決めたYDさんに判定して頂いた。そして、何回かの失敗を重ねた。YDさんの指導と東京都小平市で開かれたEMボカシ作りの講習会に出席し、やっと作れるようになった。それは次の年の5、6月のことであった。

このEMボカシとそれをまぶし発酵させた生ゴミを、1994年のソバ栽培から利用し始めたのである。

栽培 (14)

2006-10-04 | 栽培
栽培第2期 1994年から97年 微生物農法に取り組んでいた時代

この期間には微生物農法だけを試みていたわけではなく、単肥でソバの味を決定的に変えるものはないかいう指向は抱き続け、その試みも続けていた。しかし、微生物を農業に生かそうという農法にとりわけ高い関心を抱いていた時期である。

1993年秋、当時ある意味で日本を席捲しつつあったEM農法に出会う。これは、比嘉照夫氏が光合成細菌を中心とする微生物群を発酵・合成し、農業や環境問題に生かそうと提唱した考え方である。比嘉氏の『微生物の農業利用と環境保全』は、私には実に新鮮で、強い衝撃を受けた。

同年10月には、千葉で開催されたEMの研究会に参加した。その会の内容についてはあまり理解できるものではなかったが、最後に、EM農法を実践している大根生産者が、大きいが中もしっかり詰まったずっしりと重い大根を披露した。そして、東京の市場で最高の等級がつくと言った時、これはやらねばと考えた。

帰ると、EM菌によりボカシ肥料を作ることに取り組んだ。しかし、これが簡単なことではなかった。

栽培 (13) 

2006-10-02 | 栽培
1993年の栽培については次の結果が残っている。

各区画の結果を、区画、使用肥料、施肥量( /10a)、生育状況、草丈(cm)、香り、収穫量( /10a)の順で記す。
P区  大豆  83   C  73  C  50
Q区  無        B  76  C  61
R区  落葉       A  80  B’ 83
X区  生ゴミ       C  75  C    
Y区  米の精  40  B  76  B  62
Z区  骨粉   200  C  73  A  34
  生育状況と香りは、良い方から順にA,B’,B,Cとした。

私達は、何よりも「香り」を最も重視しているが、この観点からすれば、骨粉区が最高であった。骨粉は、途方もない量を入れているが、これが生育状況を悪くしていたと思われる。しかし、骨粉に含まれるリン酸分が蕎麦の香りを高めたと考えられる。
落葉区の香りは、評価Aと評価Bの中間であった。それゆえ、B’とした。ちなみに、記録には、香りは信濃一号や常陸秋ソバを少し上回る程度だと記載してあった。この区の生育状況と収穫量は、実に良いものであった。
また、生ゴミ区の収穫量にはなぜか記載がなかった。収穫出来なかったのかもしれない。

私は、落葉とリン酸にはとりわけ強い関心を持ち続けるているが、この年に得られた結果がその原点となっている。



                 

栽培 (12)

2006-09-29 | 栽培
1993年にはもうどの品種を栽培すれば美味いソバが得られるかを考える必要はなくなった。在来種だけを栽培すればよかった。そこで具体的には、美味いソバを栽培するにはどのような肥料、有機肥料を使えばよいかが課題と考えた。

この年、NBさんの1つの畑を6分画し、各区に次の肥料すなわち大豆、落葉、生ゴミ、とぎ汁成分、骨粉を入れ栽培した。残りの1つは対照区として無肥料区とした。
大豆は、肥料としていいのではないかというのが理由であるが、「山のソバ」がきな粉の香りがしたからという短絡的な考えもかすかにあった。
落葉は、やはり「山のソバ」が腐葉土の成分が、たらふく溜め込まれた畑から収穫したからではないかという考えから使用した。NBさんと山に行き、落葉だけでなく、その下の腐葉土までも集めてきた。
生ゴミは、今考えれば、作物の栽培にはそのままでは絶対使用しないことが判っているのだが、有機の肥料でなければダメだという当時の考えから使用したものであった。このことからもまだ稚拙であったことが判る。
骨粉はリン酸の成分が多く、実にはこの成分が多く必要であるということを、書物で読んだゆえに使用した。
聞き慣れない「とぎ汁成分」をなぜ使用したかについては、少し経緯がある。

1993年1月12日付けの朝日新聞に米のとぎ汁成分を利用し、うまいコメができたという記事が掲載された。東洋精米機製作所なる会社がこのとぎ汁成分を米の栽培に利用し、中級品種をコシヒカリ並みの味にしたというものであった。この記事を読んだので、同社に電話をした。美味い蕎麦を作ることを目指している旨担当者に話すと、「米の精」と呼ぶそのとぎ汁成分を提供して下さるということになったのである。

こうした肥料を使った1993年の栽培結果については、次回書き記したい。

栽培 (11)

2006-09-27 | 栽培
ソバ栽培の先達に、在来種を栽培し続けることと育種・品種改良の大切さを教えて頂いたのだが、当初は前者のへの関心を抱くだけであった。

今考えれば、明確な意識はなかったがそれには理由があった。1991年の「山のソバ」が圧倒的に美味かったからである。育種に向かうことなど思いも及ばなかったのだ。ただ、美味い在来種を栽培すればいいと考えていた。私達の意識の中で最大の関心事は、在来種を他の品種と交雑させないことであった。信濃一号や常陸秋ソバさらには美味しくはないかも知れないこの地域の他の在来種とも交雑することを恐れたのである。だから、1992年から自分達で収穫した在来種だけを栽培することにし、現在までこれを栽培している。

ちなみに、NBさんは、交雑しないようにソバを栽培する方には種子を無料で配っている。我が町の役場の担当課も、この在来種の普及を振興している。実に重要な施策であると思う。

1992年の新蕎麦試食会の結果については資料が残っていない。「今年は全て在来種を播種した」という内容の新蕎麦試食会の案内状が残っているにすぎない。従って、次は、1993年の活動について書き進めたい。

栽培 (10)

2006-09-25 | 栽培
栽培を始めた当初、私達は、いかなる品種が最も美味いソバなのかを特定することが最優先であると考えた。しかし、これが大きな問題を含んでいることを知ったのは,一つには、先達の教えを受けたからだ。

私は、栽培を始めてから、私の住む県の農業試験場に、栽培について伺うために電話をした。蕎麦担当のWBさんには、その後も含めて、様々な貴重なお話を伺った。氏とは、その後何年もしてから偶然お会いする機会があり、感慨深いものがあった。WBさんからは、県の農業試験場で長くソバの栽培の研究に従事された方が、何と私の町内に住まいしていると教えて頂いた。こうして私が勝手に栽培の師と仰ぐMGさんに会えたのである。このMGさんからは、ソバに関して様々な御教示を受けた。残念ながら、初めてお会いしてから約1年半後に他界されてしまった。

そのMGさんからは、本当に色々なことを教えて頂いたのだが、今となって振り返ってみると、育種のことが最も伝えたかったのではないかと思う。「この地域のソバは小粒で、丸みを帯びたいい在来種である。だから、それを育て上げ品種登録すべきだ。」とよく話されていた。さらに、「それには、めざましく進歩している品種改良の技術などいらない。選抜淘汰の方法で、いい品種が固定できるはずである。」と述べられていた。
愚かなことに、私が、この育種への関心を具体的に抱き始めたのは、これから遙かに後のことである。

在来種がいいということについては、私が最も信頼している蕎麦店の御主人からも伺ったことがある。いつのことだが定かではないが、次のようなことを話されていた。
「日本の幾つかの地域には本当にいい在来種が残っている。この在来種を作付し続けることが大切である。この店の近くにもいい在来種がある。だから店をここに移したのだが、この辺りも信濃一号が次第に多く栽培されるようになってきている。もう在来種は半分近くになっている。残念なことである。」こう御主人は述べられていた。

まずは、いい在来種を作付し続けることが大切だと思う。
師のMGさんは、「いい在来種の種子は、そのものが貴重な文化である。」と表現されていた。

栽培 (9)

2006-09-21 | 栽培
栽培2年目の1991年の「山のソバ」については、私達にとって特別なソバであったので、栽培の冒頭に書いた。書き残したことがあるので、追記しておきたい。

先日、NBさんと「山の畑」のことについて、かすかな記憶を手繰りながら話をした。
肥料には発酵鶏糞を用いた。使用量については手がかりになる記憶はなかった。さらに、カリ肥料として木灰を利用した。これは、近くの製材所から端材を入手し、これを畑で燃やしカリ肥料としたのである。私は、この年の夏をイギリス、アイルランドで過ごしていたので、この作業には参加しなかった。NBさんの話によれば、夏の暑い日であったために、過酷な作業であったという。当時栽培に関して師と仰いでいた方は、熱さのために具合が悪くなり、NBさんが作業の途中で家まで送ったとのことであった。こうした努力が、特別な自然条件と相まって、美味い蕎麦をもたらしたのであろう。

「山の畑」には、在来種を手に入れて播種したのだが、他の畑には初年度と同じく幾つかの品種の種子を同一の畑に作付けした。これがどのような帰結をもたらすかについては何も知らなかった。この年、初めてソバが虫媒花のために交雑しまい、大切な形質もなくなってしまうことを知ったのである。ソバの栽培でこれより大きな過ちはない。今では、大いに反省をしている。

栽培 (8)

2006-09-19 | 栽培
栽培第1期 1990年から93年  手探りでソバを栽培していた時代

友人のNBさんは、決断力が速く、何事もまず行動し持ち前の直観力で軌道修正を繰り返しながら、物事の本質を究めてしまう。だから、NBさんは、蕎麦に取り組むと、すぐに栽培も始めてしまった。私達・蕎麦仲間が、それを手伝う形で栽培は開始されたのである。

栽培初年度の1990年は、NBさんの約7アールの畑に、4種類のソバを作付した。栽培したのは、信濃1号、信州大ソバ、「一茶庵」系の蕎麦店から分けて頂いたソバ、タスマニアのソバの4種類である。8月1日に播種、10月11日刈り取った。

新ソバの試食会を、11月26日に行なった。その会で、自分達で栽培した信濃一号の二八蕎麦と十割蕎麦、常陸秋ソバ、地元の製粉業者の蕎麦を、食べ比べてみた。ちなみに、常陸秋ソバは、栽培の名人と言われる方から直接譲り受けたものである。
試食会に参加した25名のアンケート調査によれば、2つの信濃一号の評価が高く、常陸秋ソバがそれに続き、さらに地元業者のソバの順であった。そのため、私達の評価からすれば、信濃一号が最もよい品種であるということになった。なお、自分達で栽培した信州大ソバなど3種類については、仲間と食べたに違いないのだが、メモもないのでどのような感想を抱いていたのか今となっては判らない。おそらく、私たちの印象に残っていないところから判断するに、平凡な味の蕎麦であったに違いない。

ところで、この1年目のソバ栽培は、稚拙であり大きな問題を含んでいた。