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蕎麦彷徨

ひとりの素人が蕎麦について考えてきたことを書きしるすブログ

栽培 (7)

2006-09-15 | 栽培
「山のソバ」は私達に余りにも大きなエポックメイキングな出来事であったので、[栽培」の冒頭に書いたのだが、少し長くなってしまった。私達は、このソバの前年すなわち1990年にソバの栽培を始めた。従って、現在まで16年間ソバを栽培してきたことになる。

長期の指針を設定して栽培を進めたわけではなく、毎年この方法がいいのではないかと、いわば、場当たり的に栽培を続けてきたにすぎない。しかし、便宜上、16年間を、次の3期に分けて書き進めたい。
第1期  1990年から93年   手探りでソバを栽培していた時代
第2期  1994年から97年   微生物農法に取り組んでいた時代
第3期  1998年から現在    現代の栽培技術に関心を持ちつつ依然模索の段階

次回から基本的にこの順に書き進めたいが、統一した方針があったわけではないので、時を前後しても、折にふれて試みてきたことをまとめながら記述していきたい。

  

栽培 (6)

2006-09-13 | 栽培
⑤  「山の蕎麦」の香りをどう表現したらよいか逡巡しているうちに、友人のNBさんは「きな粉」の香りがする蕎麦だと言い表わした。そこで、きな粉は大豆を炒って粉にするものだから、④とは逆にソバを過乾燥にすることも試みた。
ある年、ソバを約1ヶ月間もハサ掛けしたままにしておいた。その結果はよくなかった。長期間、夜露にさらされたりで、品質はむしろ劣化してしまった。
ソバを穂から落としてから、よく乾燥させたこともある。これは、簡単だ。ソバを天日干しすれば、容易に乾燥する。天日乾燥は、不注意にしているとすぐに過乾燥になってしまう。乾燥率12%前後のものは数度試した。この試みも特段の結果は出ていない。

あまりにも短絡的な考えだが、きな粉の香りということから、畑に大豆も入れた。組成構造が何回も変換されるのだから、大豆の持つ成分が、そのままソバの種子まで進むはずはない。
なお、大豆は肥料として有効性が高いと思われるので、今までに様々な使い方で試してきた。いずれ現在まで用いてきた肥料については、改めて肥料の項で記述していく予定であるが、そこで大豆についても触れたい。

「山の畑」は、私達に多くのことを考えさせた。美味くした要因を抽出しなければ、栽培には生かせないと考え、様々な試みを進めてきた。しかし、今では、1991年の「山のソバ」は幾つもの複合的要因によって、特別の美味さが賦与されたのではないかと考えている。いずれ、腐葉土、地形、長期間の無栽培地などの条件を満たしている畑で、そばを栽培してみたい。

また逆になるが、この肥料あるいは資材を使えば、間違いなく美味くなるというものも追求したい。私は、好んでジャコメッティの彫像をみる。彼は、本質を求めて、極限まで彫像をそぎ落とす。すでに書いたように、私は、蕎麦は蕎麦粉と水だけでいいと思う。つゆも、醤油、味醂、昆布、鰹節(入れても隠し味的に使う塩)のみでいいと考えている。栽培にも、これだけでよいというのがなにか発見できないかと考えている。

栽培 (5)

2006-09-11 | 栽培
③  すでに書いたように、上側が雑木林でその腐葉土の成分が長年畑に流れ込み、蕎麦を美味くしたのではないかというのが、私達の推測であった。それゆえ、腐葉土あるいは落葉については、様々な取り組みをしてきた。ここで、それについて述べるとあまりにも長くなるので、後に改めて関説したい。

④  美味いソバが収穫できた1991年は、特異な天候の年であった。9、10月と雨がよく降った。通常の考え方からすれば、ソバには最悪の年であった。ほとんど全てが倒伏し、再度立ち上がった先端に種子をつけたのである。だから、収穫したときにも、黒く熟した実の割合は、かなり少なかった。
そこで、まだ青い実が多く含まれているうちに刈り取ってしまう方がよいのではないかと考えた。それで、その後、早刈りを何度も試した。作期が60日未満のものも試してみた。しかし、「山の蕎麦」のようなものに出会うことはなかった。

ところで、単に作期を短くすれば、ソバは美味くなるとは限らないが、作期は長いよりも短い方が、蕎麦は美味いと私は考えている。それは、蕎麦は香りが最も大切であり、早い収穫の蕎麦の方が香りが高いからである。
ちなみに、現在、私の地域の秋ソバの作期は、67日あるいは68日がベストではないかと考えている。有機肥料は化成肥料よりも、無限花序のソバの花の開花を長びかせ、葉や実を秋深く青々とさせる。私は有機で栽培している。だから、作期の67,8日は長くはなくむしろ短いのである。

栽培 (4)

2006-09-08 | 栽培
極上の蕎麦をもたらした「山の畑」は、以後、私達のソバ栽培の原点となった。満足のいくソバが、容易にできるものではないことを次第に認識するようになるにつれ、「山の畑」から何が読み取れるかを考えるようになった。

①  まず、何年も作物を作っていない畑は、ソバに合った地力を備えているのではないかと考えた。私は、現在自宅の庭先で、家庭菜園的広さで、ソバを栽培しているが、ここを含めると今までに5ヶ所で栽培をしてきた。1ヶ所でいいソバが、1度だけ出たが、それとて「山のソバ」には到底及ばない。
友人のNBさんは、私など遠く及ばない。ほぼ毎年、全く新しい畑で栽培を試みている。トラクターが転倒しそうな斜面の畑なども含めて、「山の畑」をヒントに栽培を続けている。そう簡単に食べられないようなソバが収穫できてはいるが、「山のソバ」に匹敵するソバにはまだ出会っていないと言う。

②  次に地形である。すでに書いたように、「山の畑」は、上方に雑木林があり、その腐葉土の有効成分がすべて流れ込むような地形をしており、下側が鋭い斜面になっている。私は、標高約700mの山の斜面を開墾し、2年間ソバを作付けした。ここは、雑木を伐採したところであり、真黒な腐葉土が30cmも堆積していた。その上側が雑木林であった。下は急斜面。地形ばかりでなく、腐葉土からも標高からも、間違いなく美味いソバが採れると考えたのだが、3年目も作ろうとする気にはなれない蕎麦だった。今でもこれ程のいい条件が揃い、美味い蕎麦が採れなかったのが不思議に思えてならない。

私が住む地域は、盆地である。5万分の1の地図を6枚貼り合わせると、この盆地はすっぽり入り込む。私は、ソバ栽培には南東向きの斜面がいいと考えていたので、その地図を携え車で、山間部にいたる幾つもの細い道を上りあげ、「上が雑木林、下が急斜面」の畑を捜したことがある。1ヶ所理想的なところがあった。所有者と話し合ったが、借用にはいたらなかった。地元の「有力者」の口添えなどが必要なようだ。

この「上が雑木林、下が急斜面」という条件は、美味いソバが採れる絶対的必要条件の1つと、私は今でも考えている。

栽培 (3)

2006-09-06 | 栽培
[山の蕎麦」は、掛け値なしに本当に美味い蕎麦であった。その後私達が栽培したどんな蕎麦よりも、どんな有名蕎麦店の蕎麦よりも、遙かに美味い蕎麦であった。今でも私の中で、まるで巨星のようにそびえ立つ蕎麦である。

この「山のソバ」は、その後の私達の蕎麦栽培に、光と陰を投げかけた。このソバとの出会いは、幸運な出会いと言えるかもしれないし、不運な出会いと言えるかも知れない。

このソバで、栽培しさえすれば、容易に極上のソバに出会えるのだと、「なめた」思いこみを抱いてしまった。「山のソバ」との出会いの後、1年に1回しか訪れない栽培は、期待と大きな落胆との連続であった。しかし、栽培を諦めようとはしなかった。それは、私達がとてつもない蕎麦があり得るという紛れもない事実に遭遇していたからである。毎年、落胆しながらも、工夫を凝らして栽培を続けている。

翌年、この見事な味の蕎麦を作り出した畑は、間違いなく再びいいソバを作り出してくれるに違いないと考えて、畑の半分にソバを蒔いた。しかし、期待に反して平凡な味の蕎麦であった。2年後、楽しみに温存しておいた残りの半分に、ソバを栽培した。これにも、目立った特徴は現れなかった。それ以後も、結果は同じであった。そして、数年間の栽培の後に、そこでのソバの栽培を諦めてしまった。

これが、ソバ栽培の困難さを認識するスタートとなった。

栽培 (2)

2006-09-04 | 栽培
前回、ソバ栽培の重要性を認識するようになったのは、1つには、自分達で栽培した蕎麦が美味しかったからだと述べた。このソバについて少し述べておく必要がある。

このソバを作り出した畑は、山間部にあり、正確なところは判らないが標高は450m前後。寒暖の差は相当にあると思われる。西向きの斜面。上が雑木林。その腐葉土の成分をすべて受けとるような中央が低くなった畑。下側は細い道路を挟みさらに急な斜面(絶好の水はけ)。十数年間利用していない桑畑。広さは10a強。

NBさんを中心に数人で桑の木の取り除きと栽培を行った。桑は根が意外に長く、しっかりしているため引き抜きは大変で、SKさんが小さな建設機械を用意してくれた。斜面のため今にも機械が転倒しそうな中で、運転に長けたNBさんやTNさんらが、数日かけて桑を取り除いた。

91年の秋に、私の親戚から譲り受けてきた在来種を播種。その年は9,10月と雨が多く、ほぼすべてが倒伏。倒れたソバが頭をもたげ、それに実をつけた。実は少なく、収穫は取りやめることも議論したが、ともかく刈り取りを行った。収穫量は10a以上ある畑なのに、たった8kg。
このソバは、私達の住んでいるところから、車で20分ほど山に入るので「山のソバ(蕎麦)」と呼ぶことにする。

その年の暮れ、蕎麦打ちを始めたばかりの私達が、町長はじめ蕎麦の味に精通している30名程の方に案内を出し、新蕎麦の試食会を開催した。「山の蕎麦」やNBさんの畑で栽培した蕎麦などを4種類を食べ較べた。

NBさんと私は、この「山の蕎麦」を口に入れ、1,2回噛むと口が止まり、顔を見合わせた。何も言わずほくそえんだ。今でもそのときの蕎麦の味と彼の表情を、私は鮮明に覚えている。

栽培 (1)

2006-09-01 | 栽培
この蕎麦に関する文章を書き始めて、今までのメモや資料などを捜し、調べていく中で、様々なことが判明してきた。ソバの栽培を始めたのは、1990年のことであった。従って、今年で17年めのシーズンとなる。試行錯誤の16年を振り返って今後のソバ栽培の参考にしたい。

当然のことながら、当初は、美味い蕎麦という観点から、蕎麦打ち、石臼、栽培の3者をどのように位置づけべきかなど考えてもみなかった。ただ蕎麦打ちのみにこだわっていたのでは美味い蕎麦は、味わえないだろうと考えた。というのは、栽培2年目にとてつもないソバに出会ったからである。その蕎麦は、どう形容したらいいのかしばらく考えるほどであった。しばらくして、友人のNBさんは「きな粉の香りがする蕎麦」と表現した。このソバとの出会いがあったから、ソバ栽培の重要性が認識できたし、その後、16年も栽培を続けてきたことになる。

もう1つ、栽培の重要性は、蕎麦界の発展を考えることからも、私には認識できるようになった。片倉さんや高橋さんから今後のソバの発展には、いい玄ソバがなくてはならない。そのいい玄ソバは、栽培法を追究しなくて不可能である。ソバを栽培し、いい玄ソバが手に入れば、美味い蕎麦が味わえるはずである。