歩かない旅人

 彼がなした馬鹿げたこと・・・彼がなさなかった馬鹿げたことが・・・人間の後悔を半分づつ引き受ける。ヴァレリー

【紅い浸入 一帯一路の陰で(下)】

2018-01-16 11:59:19 | 産経新聞の記事から抜粋

 

  

  昨日の続きの記事です。チャイナの嫌がることを書き続け、特集記事を連発するのは、新聞では産経新聞くらいです。チャイナは独裁国であり怖いもの無しのように見えますが、国内で8回目の暗殺未遂に合っているとも言われています。

  こういうニュースは日本のメディアは伝えませんから、習近平政権は盤石で、「思想」という肩書まで党大会でしましたから、まさに敵なしのように見えますが、何の成果も無しにこの肩書はチャイナ共産党員に認められない状況にあります。

    

  日本も国内に敵は多くいますが、チャイナでは国の7割くらいが共産党政権を支持してはいないでしょう。自分たちの生活がちっとも豊かにならず、一部の特権階級が富裕層ででたらめな贅沢をし放題の、今のチャイナの状況は貧困層が10億人超えていると言います。

  いくら隠してもチャイナの情報は、ネット界隈では溢れかえっているのですが、日本のメディアは特定アジアの味方なのです。チャイナの都合の悪いことは隠しているのです。しかし漏れ出し始めても居るのです。そういう時代がやっとやって来ました。

 

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【紅い浸入 一帯一路の陰で(下)】

カンボジア経済特区に積極援助 良港の街、拠点化に躍起


  人口増が続くカンボジアの首都プノンペン。市街地と郊外のベッドタウンはトンレサップ川に隔たれ、全長約700メートルの「チュルイ・チョンバー橋」が結ぶ。通称は「日本友好橋」。

  日本が1960年代に完成させ、一度は内戦で破壊されたが94年に修復した。たもとには日本の援助を記す碑文も建つが喧噪(けんそう)に埋もれ、誰も見向きすらしない。

    プノンペンのトンレサップ川に架かる「日本友好橋」と奥に並行して架かる「中国友好橋」。相互通行で利用されていたが、昨秋から大規模改修のため日本友好橋は閉鎖された=昨年9月(吉村英輝撮影)

   プノンペンのトンレサップ川に架かる「日本友好橋」と奥に並行して架かる「中国友好橋」。相互通行で利用されていたが、昨秋から大規模改修のため日本友好橋は閉鎖された=昨年9月(吉村英輝撮影)


  その日本橋が昨年10月、約2年間の大規模改修のため閉鎖された。現在、市民が頼るのはすぐ横に架かる「中国友好橋」だ。中国が2014年に完成させ、たもとには中国国旗が入った看板が輝く。

  日本橋と中国橋はともに2車線で、それぞれ下りと上りの専用道として運用されてきた。当面は中国橋が片側1車線の対面通行で、大動脈を一手に担う。

  カンボジア支援では日本が伝統的に存在感を示してきた。だが、援助額では中国が10年に日本を抜いて1位となり、影響力を増している。

  カンボジアへの国別投資認可額の累計(1994~2016年、日本貿易振興機構資料)でも、中国が122億ドル(約1兆3600億円)と首位で日本はその8分の1にすぎない。ある日本政府関係者は言う。

  「援助か商売か実態は不明だが、地方の水力発電や道路整備でも中国からの投資は圧倒している。金額やスピードで張り合える状況では、もはやない」

  「第2のマカオ」

  先月、中国の習近平国家主席が北京でカンボジアのフン・セン首相と会談したときのことだ。中国は70億ドルの支援を発表し、カンボジアの取り込みを図った。

   

  今月10日には、中国の李克強首相がメコン川流域5カ国との首脳会議のためプノンペンを訪れ、「カンボジアと開発戦略を深める用意がある」と秋波を送った。南西部シアヌークビル港経済特区に言及し、さらなる技術移転や観光開発を約束した。

  シアヌーク前国王にちなみ命名されたシアヌークビルは、1960年代に開発された行楽地。再開発が進み、中国は工場などに積極投資した。

  李氏は中国と前国王の歴史的な友好関係にも触れながら「中国から100社以上が参加し、2万人以上の雇用を創出した」と誇示する。

  ロイター通信によると、人口25万のうち中国人は数万人ともみられる。市内には中国語の表示があふれ、中国人向けホテルやカジノが建設され、「第2のマカオ」との異名も。中国の援助で、プノンペンからの高速道路も計画されている。

  中国がシアヌークビルにこだわる理由は、この地がカンボジア唯一の深水港を擁することにある。隣国ラオスからプノンペンを経由しタイ湾に抜ける要衝でもある。現代版シルクロード経済圏構想「一帯一路」を推進するため、影響下に置いておきたい拠点なのだ。

  進む“米国排除”

  30年以上権力の座にあるフン・セン氏は、今年7月の総選挙を前に「今後も10年間は首相にとどまる」と豪語している。中国寄りの姿勢とともに独裁色を鮮明にし、昨年6月の地方選で躍進した野党カンボジア救国党を解散させるなど基盤固めに躍起だ。

    

  一部メディアや団体も閉鎖に追い込んだが、「狙われたものの多くは、米国と何らかのつながりがあった団体や個人だった」(英誌エコノミスト)という。

  米国は報復措置として、入国ビザ(査証)発給制限などカンボジアへ制裁措置を連発。昨年11月には、プノンペンの「カンボジア地雷対策センター」(CMAC)へ、年間200万ドルの支援打ち切りも通告した。

  米国の援助打ち切り通告から数日後の11月中旬、フン・セン氏は中国側から地雷除去支援の申し出があったと発表した。米国が支援に後ろ向きな態度を見せれば、中国がすぐさま取って代わろうとするのだ。

  ただカンボジア内では、中国への傾斜に警戒も強まる。調整役として期待されるのが日本だ。

そもそもCMACは内戦時代に埋設された地雷などの除去に当たる政府組織で、日本が1992年に初めて国連平和維持活動(PKO)として派遣した陸上自衛隊の活動を受け継いでいる。

  中国が圧倒的なヒトとカネでカンボジアへ“浸入”すればするほど、フン・セン氏は強権化する。日本が民主主義のもとで「質」や「信用」を武器に「自由で開かれたインド太平洋戦略」をどう展開するのか。その手腕が問われている。

   

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 この連載は、佐藤貴生、矢板明夫、森浩、吉村英輝が担当しました。

 

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  ウイクペディアでカンボジアの概略を調べました。大変な苦労をしてきた国であると分かりますし、映画にもなりました。ハリウッド映画「キリング・フィールド」だと思いますが私は見ていません。

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  カンボジア王国(カンボジアおうこく、クメール語: ព្រះរាជាណាចក្រកម្ពុជា)、通称カンボジアは、東南アジアインドシナ半島南部の立憲君主制国家ASEAN加盟国、通貨はリエル、人口1,513万人、首都はプノンペン1970年カンボジア王国が倒れてから勃発したカンボジア内戦を経て、1993年に誕生した。

  南はタイランド湾に面し、西はタイ、北はラオス、東はベトナムと国境を接する。国民の90%以上が、クメール語(カンボジア語)を話し、仏教上座部仏教)を奉ずるクメール人カンボジア人)である。国歌は素晴らしき王国である。

  1975年4月17日、極端な共産主義を掲げるクメール・ルージュポル・ポト書記長がクメール共和国を打倒し、民主カンプチアを樹立した。クメール・ルージュの権力掌握から1979年1月6日の民主カンプチア崩壊までの3年8カ月20日間のポル・ポト政権下にて、原始共産制の実現を目指すクメール・ルージュの政策の下、旱魃飢餓疫病虐殺などで100万人~200万人以上とも言われる死者が出た。

   

  この死者数は、1970年代前半の総人口は700~800万人だったとの推計の13~29%に当たり、思想改造の名の下で虐殺が行われた。教師医者公務員資本家芸術家宗教関係者、その他良識ある国民のほとんどが捕らえられて強制収容所に送られた。生きて強制収容所から出られたのはほんの一握りであった。

  それ故、正確な犠牲者数は判明しておらず、現在でも国土を掘り起こせば多くの遺体が発掘される。なお、内戦前の最後の国勢調査1962年であり、それ以後の正確な人口動態がつかめておらず、死者の諸推計に大きく開きが出ている。

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  チャイナは、世界を狙っています。チャイナの流儀を世界に押し付けようと言う、お由想像することさえ難しい、勝手な言い分を持っていて、その言い分がいかに世界に通らないいい加減なものかさえ分かろうとしません。

  【紅い侵入】は他人事ではありません。世界の最貧国を狙って影響を強くし、ターゲットはあくまで日本なのですから。


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