相台万朗Sodaiブログ

和歌山からきて今は千葉県人に、東京銀座でウエスタンバンジョーの店を36年間やらせていただき、もっかしたずみしてます。

チャンスは災難から (連載―495)

2023年10月05日 | 経験・体験
幼い頃、砂場で磁石で砂鉄を集めた。砂鉄は磁石にくっつくから鉄の仲間だ。
どうしたら鉄のかたまりになるのか昔の人から教わった。

粘土の窯(かま)をつくり、炭に火をつけ、風をおくったら炭は赤々と燃え上がる。その炭の上に砂鉄を放り込む、絶えず隙間の穴から窯の中に風を送り、赤々と燃やし続ける。暫くして、窯の底に穴を開け、穴から炭と溶けた鉄が赤々と流れてくる。

 溶けた鉄を型に流して、村の鍛冶屋のように叩けば不純物も剥がれ包丁になる。水にさっとつければ切れる刄金(はがね)になるという。

日本の製鉄は「たたら」と呼ばれる製鉄技術を用いた。タタール人に伝えられたというから「たたら」と呼ばれたのだろう。
タタール人を日本では「韃靼」(だったん)と呼ばれた。

日本に鉄が伝わったのが3000年前のことというから、おかしいな、鉄は1500年前に中国、朝鮮から伝わったと聞いた。歴史は何を基準に決めているのかな。

 木を燃やすと500度に、炭に火をつけて、風を送れば炭は赤々と1000度になるという。私の72歳で知った製鉄技術、実績はないけど冥土のみやげになった。

私の日本は別名、ユーラシア大陸だ。ヨーロッパとアジアがウラル山脈を境につながっている。

日本は島国でほとんど単一民族だ。大陸というからほとんど陸続きだ。陸続きだから交流も多いし、いろんな考えの民族も多い。

 日本の北方には、モンゴル国がある。更にモンゴル国の上にはロシアがある。

昔、モンゴルから南ロシアにはデッカイ国があったとさ。

ユーラシア大陸の中央アジアからヨーロッパにつながる砂漠、オアシスのシルクロードとヨーロッパから南ロシアにつながる草原の道があった。

 ヨーロッパとアジアの交流の道として砂漠、オアシスのシルクロードと草原の道が使われた。
もちろん、シルクというからアジアの絹織物の取引も盛んに行われたのだろう。


  北はすぐシベリアで、寒くて農耕もできない。馬に乗って略奪するか他の民族を征服する弱肉強食の世界で無法の社会だ。

騎馬民族でめちゃめちゃ強いという。子供も女性も高齢者も見境なく征服していった。でないと復讐される。
他から征服されないためには、自ら征服者にならなければ、部族の存続はありえない。このことを、しっかと、見据えておかなければならない。

日本の時代では、弥生時代の頃だろうか。

 とにかく、モンゴル高原には大きな国があったことさえ知らなかった。
モンゴル国から南の国は北からの侵略を防ぐために長ーい長―い壁を作り、大きくなり過ぎないように適度に北の民族に干渉した。
さて、広いモンゴル高原には幾多の民族が絶えずにらみ合い戦いもおきた。

イラン系の「スキタイ」民族が馬の乗り方など騎馬民族のイロハを教えた匈奴(きょうど)という民族が現れた。

 匈奴も大きくなり、東西に分かれ、東の民族が生き延び、更に東は南北にわかれ、南が生き延びて北は西方に逃げて、ヨーロッパのゲルマン民族とか古代ローマ帝国に影響した。フン族と呼ばれた。

匈奴も落ちぶれ、トルコ族の突厥(とっけつ)が現れ、大きな国を作った。
突厥も東西に分かれ落ちぶれた。次に、ウイグル民族が現れ、中央アジアのキルギスなどで兵隊として使われ、トルコ人は中央アジアからシルクロードを通って、所では宗教もイスラム教に改新しイラン、イラクにも立ち寄り西進した。

長―い期間の末、トルコ共和国を築いた。
 トルコ人は中央アジアに住んでいた民族、モンゴロイドで日本人にもにている。トルコ人はアジアかヨーロッパか、首都のイスタンブールがヨーロッパに入るから念願だったヨーロッパに入っている。

 モンゴル高原にチンギス・ハンが現れ、部族を統一し、幾多の戦いにも勝ちモンゴルの大帝国をつくりあげ、モンゴルをまとめあげた。弱肉強食から、戦いのない、平和な国を願って、病に倒れ60数年の生涯を閉じた。

孫のフビライは、元という大きな国をうちたて、元が二度にわたり日本に攻めてきたのは、フビライの時代だ。

農耕民族は、城壁を築き、他民族の侵略から守り。
騎馬民族は、人間の塊(かたまり)で部族を強くして他民族の侵略から守る

日本人は農耕民族で定住型で、騎馬民族は牧草を探して移動しなければならないし、狩りも必要だ。
まあまあ、いつの世も頼もしい。

コメント
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