ペーパードリーム

夢見る頃はとうに過ぎ去り、幸せの記憶だけが掌に残る。
見果てぬ夢を追ってどこまで彷徨えるだろう。

1月29日(土)のつぶやき・三菱一号館美術館

2011-01-30 02:21:59 | 暮らしあれこれ
16:29 from モバツイ
いま「カンディンスキー展」を見てきたところ。
予想以上によかったです。夜明け前の力強いエネルギーと色彩に当てられた感じ。

三菱一号館美術館はやっぱりいい。
開館当時から感じていたことだが、
展示品のどんな時代背景をも包み込む深さがある。
外観もまた然り。
巨大な近代的高層ビルを背景に、この堂々たること。




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1月28日(金)のつぶやき・潮州料理

2011-01-29 02:36:10 | 美味いただく
21:18 from モバツイ
東京国際キルトフェスティバルにて取材のあと、
荻窪の名店、中華の潮州にてF嬢と食事。
前菜は青森産帆立のXO醤煮、美味~…


大根餅は絶品です! カリッとした表面に、中はふわふわ。


牛ほほ肉と大根の煮込み土鍋、潮州風田舎豆腐、ピータンと豚肉のお粥・・・
ガールズトークといえばコイバナ(笑)
食か話かどちらがメインだったのだか・・・食べて飲んでは話し、話しては飲んで食べ・・・
10年もの紹興酒もくいくいっと・・・

デザートは杏仁豆腐。杏の種から作るという本格的なもの。
とろっとろで、なんともいえない深いお味。


また食べにいきたいです~。


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サバイバー

2011-01-28 03:20:59 | 歌を詠む
110125.tue.

午後、大手町で、
乳がんピンクリボン運動をしているNPO法人J.POSHの事務局長、松田さんに会う。
http://www.j-posh.com/
別件の打ち合わせではあったが、同席されることを事前に知らされていたので、
ピンクリボンのピアスをつけていった私。

「あなた、サバイバーなのね! 元気そうね! よかったわ!」

私があけぼの会と聖路加のボランティアをしていることもあり、
すぐに打ち解けた雰囲気になる。
とてもパワフルな活動的なおしゃれな女性で、
乳がんの啓蒙活動についてそれはもう熱心に語るわ語るわ・・・。
子どもが母を亡くすこと、夫が妻を亡くすことの辛さ、
乳がん検診の受診率がまだまだ低いことを訴え、
10月の乳がん月間に向けて、
日曜日でも検診をしてくれる病院を募っているのだという。
日々、ここまでの活動をされている姿勢には頭が下がる。


打ち合わせの後、版元のS嬢に
「すごいパワーだったね~。いやー、圧倒された(笑)」
と言うと
「kikkoroさんもパワーありますよー。私、いつも元気もらってます」
だって。へへへ、そう?
こんなパワーだったら、いつだってあげるわよん。(笑)


   <サバイバーとふ勇ましき名に呼ばれ去りし治療の日々を思えり>

京紅型+琉球絣帯

2011-01-28 02:48:00 | きものがたり
110125.tue.



大手町で取材→五行歌麹町歌会。

黒地の京紅型に
大城廣四郎の絣の名古屋帯。
半襟は淡いグレーの縮緬、帯締めは黒、
帯揚げは濃灰色地に白の水玉でちょっぴり可愛く。
長襦袢と草履は赤。足袋はベージュ。
今季初、輪奈織のロングコート。

まだ1月、麹町の初歌会ということで、こんな小紋を着用。
普段は圧倒的に紬派の私だが、やわらかものもいいですね。
なんだか優しい気持ちになれるみたい。




海鼠の思い出

2011-01-24 16:12:53 | 歌を詠む
110123.sun.
録りおきしていたNHK俳句を見たら
今回は「海鼠(なまこ)」が季題。
4年ほど前、こんな句をつくったことを思い出した。


    初海鼠一直線に刃(やいば)入る


仲間内からは「男らしい!」と大評判(笑)

長崎の夫の実家に毎年お正月に帰省していた頃(20年ほど前かなあ)、
いまは亡き祖母から海鼠のさばき方を教わった。
山国育ちの私には初めての挑戦だったが
意外にはまってしまって、それ以来、私の役目に。

そのとき、海鼠をさばきながら祖母が
海鼠腸(このわた)をささっと口に入れるのを発見。
「どうしてうちは海鼠腸が出てこないんだろう」と
いぶかっていた夫の疑問もここで解決(笑)
だからでしょうか(?)、肌艶のいい元気な祖母でした。
94歳で亡くなる前の日まで商店街を散歩していたくらい・・・。

今年はまだ海鼠を食べてないなあ。

1月22日(金)のつぶやき・魚介の七福神

2011-01-23 16:57:25 | 美味いただく
20:07 from モバツイ


銀座は滝八で、某編集部の新年会。
怒涛のように仕事をこなしておりましたが
今夜はひといきついて(?)もう一度、お正月気分です。

これはふろふき大根のお舟に乗った七種類の魚介類。


越前産勢子蟹(セコガニ)は外子も美味。


締めは蛸入りの小豆粥。


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追悼

2011-01-23 16:04:57 | 暮らしあれこれ
110123.sun.

①猿谷要先生

昨日22日の朝日新聞に、
猿谷要先生が3日に逝去されていたことが掲載されていた。
87歳だったという。
米国史研究の第一人者で、東京女子大学名誉教授。
猿谷先生の「国際関係論」の授業をうけていたのは
もう30年も前のことで、
教室の2階の窓から見えるキャンパスの芝生が
青々としていた光景を不意に思い出した。

学年の最後に「優」の成績をもらうと
猿谷先生から直々にお手紙をいただけるということで
張り切って勉強したあの頃。

奥様のことを「パートナー」と呼ばれていた先生。
あの当時、それがずいぶんとスマートでカッコよく見えたのだった。

実家の部屋の机の引き出しには
猿谷先生からいただいた葉書が眠っているはず。
今度帰省したら、探してみようかな。

どうぞ安らかにお眠りください。
ご冥福をお祈りいたします。


②皆川睦雄氏

14日、野球殿堂入りされた故・皆川睦雄さん。
6年前に69歳という若さで亡くなられたときは驚いたが、
このニュースを知って、ああよかった、と。
南海時代の同僚だった野村克也さんも、
授賞式のときに目を潤ませていたと聞いた。

皆川さんを取材したのは、これまたふた昔も前のこと。
プロ野球名球界のそうそうたる面々にお話を伺っていた頃である。
皆川さんはその頃、大阪で野球解説者をされていて、
長身にダブルのスーツがよくお似合いの、紳士然とした方だった。
「僕はね、ビースなんですよ」
「???」
「杉浦がいたからね。エースの次、つまりビースなんです(笑)」
こんな会話から、取材が始まったことを妙に覚えている。

子どものころは貧乏で、学校にお弁当も持っていけず、
お昼の時間になると家に食べに帰るふりをして、
いつも土手に座って時間をつぶしていたんだと話してくれた。

昭和10年生まれの皆川さんをはじめ、
後のスーパースター達は皆似たような環境で少年時代を過ごしており、
その境遇が彼らにプロ野球への道を拓いたのだった。

取材の後、ご自分が経営する串揚げ屋さんへ連れて行ってくれた。
おいしいと言って食べる私たちを見ていた優しい眼差しが蘇る。

よかったですね、皆川さん。
安らかにお眠りください。



辻が花小紋+獅子袋帯

2011-01-22 01:25:38 | きものがたり
110120.fri.

浅草新春歌舞伎を鑑賞。

水色の縮緬に立て涌と辻が花染めの小紋。
帯は、獅子の柄のモール織の袋帯。



扇の帯留は、着物友だちのおばさまからの頂き物。
彫刻家だったというその方のご尊父が
戦後の生活が苦しかったときに
細かいものを作って売っていたうちのひとつなのだとか。
普段の私のコーデには正統派すぎて(笑)
なかなか合わせる機会がなかったのであるが、
今回はちょうどぴったりの組み合わせでした。