ペーパードリーム

夢見る頃はとうに過ぎ去り、幸せの記憶だけが掌に残る。
見果てぬ夢を追ってどこまで彷徨えるだろう。

ぜんまい間道+栗繭の帯

2011-01-23 18:42:32 | きものがたり
110122.sat.



あざみ野で「未来」歌会。

ぜんまい入りの間道(縞)柄の紬に栗繭の名古屋帯。
お太鼓の柄は柘榴。
豊穣を意味する柘榴の柄は、この季節にも合う。

栗繭とは、桑の葉ではなく、栗の葉を食べる野蚕の繭から採れる絹糸。
軽くて素朴な風合い。

1月22日(金)のつぶやき・魚介の七福神

2011-01-23 16:57:25 | 美味いただく
20:07 from モバツイ


銀座は滝八で、某編集部の新年会。
怒涛のように仕事をこなしておりましたが
今夜はひといきついて(?)もう一度、お正月気分です。

これはふろふき大根のお舟に乗った七種類の魚介類。


越前産勢子蟹(セコガニ)は外子も美味。


締めは蛸入りの小豆粥。


by quu75 on Twitter

追悼

2011-01-23 16:04:57 | 暮らしあれこれ
110123.sun.

①猿谷要先生

昨日22日の朝日新聞に、
猿谷要先生が3日に逝去されていたことが掲載されていた。
87歳だったという。
米国史研究の第一人者で、東京女子大学名誉教授。
猿谷先生の「国際関係論」の授業をうけていたのは
もう30年も前のことで、
教室の2階の窓から見えるキャンパスの芝生が
青々としていた光景を不意に思い出した。

学年の最後に「優」の成績をもらうと
猿谷先生から直々にお手紙をいただけるということで
張り切って勉強したあの頃。

奥様のことを「パートナー」と呼ばれていた先生。
あの当時、それがずいぶんとスマートでカッコよく見えたのだった。

実家の部屋の机の引き出しには
猿谷先生からいただいた葉書が眠っているはず。
今度帰省したら、探してみようかな。

どうぞ安らかにお眠りください。
ご冥福をお祈りいたします。


②皆川睦雄氏

14日、野球殿堂入りされた故・皆川睦雄さん。
6年前に69歳という若さで亡くなられたときは驚いたが、
このニュースを知って、ああよかった、と。
南海時代の同僚だった野村克也さんも、
授賞式のときに目を潤ませていたと聞いた。

皆川さんを取材したのは、これまたふた昔も前のこと。
プロ野球名球界のそうそうたる面々にお話を伺っていた頃である。
皆川さんはその頃、大阪で野球解説者をされていて、
長身にダブルのスーツがよくお似合いの、紳士然とした方だった。
「僕はね、ビースなんですよ」
「???」
「杉浦がいたからね。エースの次、つまりビースなんです(笑)」
こんな会話から、取材が始まったことを妙に覚えている。

子どものころは貧乏で、学校にお弁当も持っていけず、
お昼の時間になると家に食べに帰るふりをして、
いつも土手に座って時間をつぶしていたんだと話してくれた。

昭和10年生まれの皆川さんをはじめ、
後のスーパースター達は皆似たような環境で少年時代を過ごしており、
その境遇が彼らにプロ野球への道を拓いたのだった。

取材の後、ご自分が経営する串揚げ屋さんへ連れて行ってくれた。
おいしいと言って食べる私たちを見ていた優しい眼差しが蘇る。

よかったですね、皆川さん。
安らかにお眠りください。