110123.sun.
①猿谷要先生
昨日22日の朝日新聞に、
猿谷要先生が3日に逝去されていたことが掲載されていた。
87歳だったという。
米国史研究の第一人者で、東京女子大学名誉教授。
猿谷先生の「国際関係論」の授業をうけていたのは
もう30年も前のことで、
教室の2階の窓から見えるキャンパスの芝生が
青々としていた光景を不意に思い出した。
学年の最後に「優」の成績をもらうと
猿谷先生から直々にお手紙をいただけるということで
張り切って勉強したあの頃。
奥様のことを「パートナー」と呼ばれていた先生。
あの当時、それがずいぶんとスマートでカッコよく見えたのだった。
実家の部屋の机の引き出しには
猿谷先生からいただいた葉書が眠っているはず。
今度帰省したら、探してみようかな。
どうぞ安らかにお眠りください。
ご冥福をお祈りいたします。
②皆川睦雄氏
14日、野球殿堂入りされた故・皆川睦雄さん。
6年前に69歳という若さで亡くなられたときは驚いたが、
このニュースを知って、ああよかった、と。
南海時代の同僚だった野村克也さんも、
授賞式のときに目を潤ませていたと聞いた。
皆川さんを取材したのは、これまたふた昔も前のこと。
プロ野球名球界のそうそうたる面々にお話を伺っていた頃である。
皆川さんはその頃、大阪で野球解説者をされていて、
長身にダブルのスーツがよくお似合いの、紳士然とした方だった。
「僕はね、ビースなんですよ」
「???」
「杉浦がいたからね。エースの次、つまりビースなんです(笑)」
こんな会話から、取材が始まったことを妙に覚えている。
子どものころは貧乏で、学校にお弁当も持っていけず、
お昼の時間になると家に食べに帰るふりをして、
いつも土手に座って時間をつぶしていたんだと話してくれた。
昭和10年生まれの皆川さんをはじめ、
後のスーパースター達は皆似たような環境で少年時代を過ごしており、
その境遇が彼らにプロ野球への道を拓いたのだった。
取材の後、ご自分が経営する串揚げ屋さんへ連れて行ってくれた。
おいしいと言って食べる私たちを見ていた優しい眼差しが蘇る。
よかったですね、皆川さん。
安らかにお眠りください。