ペーパードリーム

夢見る頃はとうに過ぎ去り、幸せの記憶だけが掌に残る。
見果てぬ夢を追ってどこまで彷徨えるだろう。

長野善光寺~松代へ 4

2020-03-10 19:05:13 | ふるさとまわり
2020.01.12.sun.

町の散策後、先生のおうちにお邪魔する.
5年ぶりにお会いする奥様がパンを焼いて、おでんを仕込んでくださっていた。
おやきもたくさん!
そして、目に入れても痛くなさそうな小2と中3の可愛いお孫ちゃん二人も一緒に、
いただきまーす♬



その場で焼いてくれた長芋のお好み焼きもめっちゃ美味しい〜♬
(おでんの写真はなぜか撮り忘れ・・・(;^_^A)



「先生の畑で作った大根入れてー」と、お変わりのお皿が次々と差し出されて、
たまたま鍋の前に座ってしまった男子は終始おでん係にσ^_^; ごめんよ〜(笑)
小2のMちゃんとトランプに興じた後、腹ごなしの散歩に土手まで案内してもらう。



土手の向こうが千曲川かと思ったら、
そこから見下ろす平地には元は果樹園や野菜畑が広がっており、その先に川が流れているのだと。
昨秋の台風で千曲川の流れは堤防を越えて、平地を呑み込み、
この土手ギリギリまで上がってきたのだそうだ。
ここを越えたら、先生の家のある一帯も被害に遭っていたわけで、、、不意に足下が揺らぐ気がした。
先生の育てていた杏の木もかろうじて立っているものの、
畑は全滅。近くに転がっている木は上流から流れてきたもので、
薪にするため片付けないでいるのだそう。
新たに畝が作られていたが、他の土地は、皆流されて片付けられたままほとんど手付かずの状態。
年齢を考えてこのまま借地を返す人も多いようで、なんだか胸が痛くなった。
春になれば、杏や林檎の花が咲いて緑に覆われる豊かな河川敷だったはずなのに。。。
大きな被害に遭わなかったから、むしろ逆に気を遣うことも多いようで、それもねえ。
その身になってみないとわからないことですけどね。。。
右手遠くに見える飯綱スキー場も今シーズンで閉鎖というニュースを聞いたばかり。
なんだかね。。。

 

さて、家に戻ると先生、納屋からたくさんの白菜や長芋を出して、私達13人に「持ってけ」と。
私は新幹線で帰るので長芋を半分だけいただきました。奥様からは松代の特産、杏の手作りジャムも♬
実家に戻ったみたい。嬉しいなあ。ありがとうございました。



地元へ帰る車2台を見送って、長野駅まで先生に送ってもらい、新幹線で大宮ー新宿まで。
この日の夕方、未来短歌会の編集会議があったので参加してから帰宅。

翌日、奥様が作ってくれた長芋のお好み焼きを作ってみたのは言うまでもありません。
ベーコンにネギ油とすりおろし生姜で隠し味。美味♬



幼馴染みのmちゃんはチーズをかけたってLINEで情報交換。
うん、今度はそれやってみよう。
というわけで、以上、充実の二日間でした。
(なので長くてごめんなさい ^^; )

<おまけ>
魁夷館で売ってた白馬のクッキー♪

長野善光寺~松代へ 3

2020-03-10 18:04:01 | ふるさとまわり
2020.01.12.sun.

2日目は、先生の案内で松代探索。
 

松代は大河ドラマの舞台に何度もなっている歴史のある町だ。
蔵と泉水路の廻らされた城下町を歩いて、まずは象山地下壕跡へ。
第二次世界大戦末期、本土決戦に備えて大本営を移すべく、
ここ松代の舞鶴山、皆神山、象山を掘削したのだという。

 

 

現在見学できるのは象山に掘られた地下壕。
皆、ヘルメットを被って中に入ると、まるで広大な蟻の巣のよう。
内部は暖かく(夏は涼しいらしい)、突貫工事とはいえ、立派なもの。

 

固い岩を粉砕したという削岩機ロッドの跡も生々しい。
短期間でこれだけの施設を作るために、日本人はもとより
大勢の朝鮮の人たちの強制労働があったわけで、
戦争遺跡に行くと日本中こんな話ばかりです。
出てから、慰霊碑に黙礼。


象山といえば佐久間象山先生(県歌「信濃の国」でも歌われている)。
この明治維新の志士らの師をはじめ、
松代の三山(鎌原桐山、山寺常山)といわれた学者、思想家を輩出している松代です。
地形的にもこの土地に住む住人の人柄を考えても、
大本営を移すのに適していたのでしょうかね。

 

次は六文銭の家紋の誉高い真田宝物館。
大河ドラマの真田丸より、お父さんと長男の方がここではメイン。
江戸に行くのに中山道を通ったとか、
ただいま五街道の本を作っているのにタイムリーな資料もあったりして。

   折り紙のコマ

そのあと松代城跡へ。
 

天守閣はないが、
大小組み合わせて質実剛健といった感のある石垣がどーんと迫ってくる。

  

 

戦国時代は海津城と呼ばれていたそうだが、
この辺りは海沼地区とか海野さんとか海のつく地名や苗字が多い。
海無し県なのになぜ? 安曇野は博多から安曇氏が移り住んだから、
穂高神社は海の神様を祀り、船の祭りや海藻の食べ物があるのは知っていたけれど、ここは? 
どうやら湖のことを海とも呼んだらしいと、
最初の赴任先が小海だったというS君情報を後から入手しました(^^;;

 

 

城下町松代には、家々の庭園ををつなぐ泉水路があり、
全国でも珍しい存在らしい。
生活用水だったのか、その用途はわからないが、
お屋敷の白壁や板塀に沿ってゆるゆると流れる泉水は静かだ。
島原の町を流れる湧水には華やかな錦鯉が泳いでいるのだが
松代の泉水路の鯉は黒。(たまたまか?)
同じ城下町でもこのあたりからして違うようだ。やっぱり質実剛健。

 

さて、ランチは奥様の待つ先生宅へ。
(この項、さらに続く)

長野善光寺~松代へ 2

2020-03-10 17:58:01 | ふるさとまわり
2020.01.11.sat.-12.snn.



さて、今回の目的は松代ロイヤルホテルでの中学校の同級会。
校長職を退いた担任の先生が松代に戻られでいるためと、
先生宅が昨秋の千曲川氾濫の被害を免れたのは幸いでしたが、
そのお見舞いも兼ねての集合となりました。



5年ぶりに顔を合わせる、ほとんどが小学生のころから一緒の同級生たち。
和やかな宴会の後は、当然部屋呑みです。
車で来られている先生、烏龍茶を飲みながら、
バカな思い出話に興じて次第にわーわー騒ぎだす男子と
それに突っ込む女子達を見守ってくれて、、、
すみませんーーいつまでたっても先生の前では中学生の子どもです(^^;;
温泉入って、今度は女子部屋でお喋り。
いかん、止まらん。寝るよ、と電気を消す。

 

翌朝、ホテルの両側から眺めた松代の山並みの違いの興味深いこと。
すぐ目の前の松代の町は、深い霧に覆われて水墨画のよう。
手前にどーんと座すひらべったいお尻のような山が皆神山というらしい。
ネーミングがすごい。Everyone god!?パワー満載って感じ?
(恩師は英語の先生だから、どう言われるかしらん?^^;)
左端の急峰が尼飾山、奥隣が奇妙山という1099mの山だ。
標高350mに立つホテルの5階から見ても迫ってくるよう。

片や北アルプス側は遠くに雪をかぶった鹿島槍、五竜、唐松、遠くにうっすら戸隠山も。
右にいくと黒姫、飯綱、スキー場っぽい筋も見える。
我がふるさと南信州になぞらえば、
目の前の迫るようにあるのが駒ヶ岳連峰、遠く遥かに臨むのが南アルプスって感じかな。
あとで先生に聞いたら「皆神山を見ると、故郷に帰ってきたなあ」と思うのだそうで。
私達にとっての風越山のようなふるさとの山がここにもあることが、妙に嬉しかった。
  (この項続く)

長野善光寺~松代へ1

2020-03-10 14:14:09 | ふるさとまわり
2020.01.11.sat.

浅間山、あ、軽井沢過ぎたら、長野まであっという間!
車内も構内も外国人多し💦



1月11日。
長野新幹線で長野まで。
善光寺山門で高校の同級生M君と待ち合わせ。
2年前に東京から長野に戻って県庁勤めのM氏はちょくちょく東京にも出てくるが
こういうときは頼りになる。
さっそく腹ごしらえの善光寺蕎麦。



次に、M君おススメの
八幡屋礒五郎で KIYOKOオリジナル七味唐辛子をブレンドしてもらう。
(大鹿村の塩を入れてもらった。洋食にも合う七味です)

 

そしてお詣り。
「善光寺」という字にはどんな動物が下記れているでしょう?
なんていうM君の「観光客にはテッパン」のネタ話など聞きながら境内をまわる。
一刻も早く衆生を救わんと片足を出している地蔵菩薩様、
濡仏様たちの蒼天に晴々としたお顔がますます神々しい。
それに負けないほどのいいお天気です。

 

 

いよいよ、本日の最初の目的です。
年のはじめにありがたや〜
善光寺で御本尊の分身といわれる御印文を頂戴しました。

  
 
本堂下をぐるりと伸びる行列を見てやや怯むも、
欄干の上から
「順調に進んでおりますで、
寒いけど日向ぼっこしながら待っとってな」
という声をかけられて、皆なごみます。
まもなく順番が回ってきて、ささやかにお布施をした後、
僧正様から錦に包まれた御印文を頭にぎゅうっと押していただきました。
かなりの圧力(笑)

7日から15日まで期間限定、極楽往生を祈る行事です。
M君、教えてくれて一緒に行ってくれてありがと♬

故郷には、もともと御本尊を祀っていた元善光寺があって、
一箇所だけだと片参りといわれてしまいます。
あ、この間せっかく帰省したのに、元善光寺に行かなかった。
しまった!と思ったのは後の祭りでしたが(^^;;

 

去年改修が終わったという東山魁夷館を3年ぶりに訪問。
「かいい
 さいかい」
ね。なるほど (^^;;

「人はみな旅人だ。この寂しい一本道こそ私の心の道である」
うろ覚えだけど、画家は生前こんなことを言っていた。

後年の作品に登場する白馬が妙に浪漫的すぎるように思えて、正直、馴染めないのだが、
生い立ちや思想を鑑みると、あれは画家自身の姿。なるほどそうか〜とも思う(
毎度同じこと思ってる気がする ^^;)
東山ブルーは相変わらず美しく寂しく、まるで墨色のようにあらゆるものを含む青だ。
「描くことは祈ること」
絶筆の「夕星」を眺めていたら、涙が出そうになった。

ここが好きなのは、谷口吉生の建築だからというのも大きい。
金沢の大拙館、酒田の土門拳写真館。
水と風の揺らめきと作品とが一体化する空間。

 

ここで、教委に勤めている小中高の幼馴染みS君と合流。
M君の案内で善光寺雲上殿へ向かう。
市内を一望できる高台から、ギリギリ夕焼けが下界を照らす瞬間が見られた。

 

あーーなんかもうすっかり長野を満喫!した気持ちですが、
今回の目的はこれから。
S君の車で松代に向かいます。   
               (この項、続く)