ことばを鍛え、思考を磨く 

長野市の小さな「私塾」発信。要約力、思考力、説明力など「学ぶ力」を伸ばすことを目指しています。

俳句の限界?

2005年10月04日 | 日々雑感
タイトルは大袈裟ですが、何も俳句の芸術的な限界という文学的な話をするわけではありません。
実にくだらないことですが、以前から折に触れ思っていることです。

俳句は言うまでもなく世界最短(?)の定型詩であり、極限まで無駄を省いた描写が最大の魅力です。
ただ、短いが故の宿命も当然負っているわけで....。
それは、いつか俳句がそれ以上作れなくなる日が来る、つまり作品数の限界が最も早く訪れるということです。

五・七・五で合わせて17字。....たった17字です。
字余り、字足らずや自由俳句についてはここでは考えません。
また、口に出して読むときのことを念頭に置いて、字数ではなく「17音」と捉えます。

さて、日本語の「音」の数は清音から濁音、半濁音、拗音まで入れて約100。
ということは理論上100の17乗、100溝(こう)までですべての音の組み合わせが終わってしまう....。
つまり、どうあがいても 新たな俳句はできなくなる ということになります。
(注:「溝」は「兆」の5つ上、10の32乗からの読み方です。)

これは計算上のことですから、100溝の中には「んんあ」とか「きゃぴご」のような意味を成さない組み合わせも数多く含まれています。
それを考慮すると甘く見積もっても1万分の1、すなわち10の30乗=100穣(じょう)で俳句の限界が来ることになります。

俳句人口を500万として、1人が1日に1句詠むと年間で18億句。
これで計算すると....?....??
....出ました、
俳句は約6垓(がい)年=600京(けい)世紀で終わりです!
....人類の滅亡や太陽系の終わりの方が断然早そうですね。

ところで、同様のことは音楽にも言えます。
ときどき、メロディーの一部がある曲にそっくりで盗作じゃないかなどと話題になる作品がありますね。
私が一番記憶に残っているのは「上を向いて歩こう」とベートーベン「皇帝」の出だしの部分です。

このくらいの長さ(4小節)だと音符の数が精々10いくつで、音階も1オクターブに収まるほど。
組み合わせの数を考えると、半音まで入れても俳句より0の数が10個くらい少なくなりそうです。
おまけに音楽に言葉は要りませんから、毎日世界中で作られるメロディーの数も俳句とは桁違い....。

ま、それでも何億年は作り続けることができますから心配ありませんが....。
ただ、その中でも耳障りでない曲、心地よいメロディーはある程度限られてくるでしょうから、似た曲が偶発的に出てくるのは必然かも知れませんね。


※応援してくださる方はクリック(↓)をお願いします!
にほんブログ村 教育ブログへ