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ことばを鍛え、思考を磨く 

長野市の小さな「私塾」発信。要約力、思考力、説明力など「学ぶ力」を伸ばすことを目指しています。

辞書に頼る前に~推測力~

2006年09月13日 | ことば・国語
英文を読んでいて知らない単語に遭遇したとき、前後の文脈から判断してたぶんこんな意味だろうと推測できる力は大切である。

絵本から始めて英語を楽しみながらたくさん読む、という多読学習法を実践していた頃は、特にそれを感じたものだ。
SSS多読学習法では、「辞書は引かない」「わからない所は飛ばす」「つまらなくなったら(その本は)やめる」が三原則である。

単語の意味一つにいちいち立ち止まっていては、流れが途切れてストーリーが楽しめない。
物語上重要な単語は何回も出てくるので、類推によっておおよその意味はつかめるはず。
どうしても気になる単語は辞書を引いてもいいが、できれば一冊読み終わってからにする。

こんな読み方を2年ほど続けていたため、今でも読んでいる最中にはめったに辞書を引かない。
読んだ後に確認するときと生徒の質問に答えるときくらいだ...。

その場で意味を確認した方がスッキリすると思われる方も多かろうが、とりあえず保留にしておいて、もやもやを抱えながら読み進むうちに「あっ、もしかして!」とひらめいたときの快感は格別である。
あとで辞書で確かめて、「当たらずと言えども遠からず」レベルなら万々歳だ。

多読で読んだ本には、ネイティブの幼児や小学生が読む本も多かったのだが、これが馬鹿にできない。
日本の教科書英語ではお目にかかれないが、彼らにとってはごく日常的で易しい単語がどんどん出てくる。
特に感情や性格を表す形容詞が難しい。
次の2つは、しょっちゅう出てくるのに意味をつかむのに苦労した代表である。

She was cross.
They were fed up.


こういう読み方ができるためには、もちろんある程度の単語力が必要であろう。
学習者の語彙と読む文章のレベルによる。
1ページに10も20も知らない単語があるのでは類推どころではない。

SSS学習法では、そういう場合は本のレベルを下げるよう指導している。
1ページに2、3文しか書いてない絵本なら、中学生でも「意味を推測する楽しみ」を味わえるのではなかろうか。
1語1語教科書の末尾を見て意味を確認し、無理やり不自然な日本語を構築する学校英語よりずっと楽しいはずである。
使い方のニュアンスも身につきやすい。

この推測力は、日本語の文章を読む上でも重要である。
「勉強」では、わからない言葉は必ず辞書で調べろと言われることが多い。
その結果子どもは、難しい言葉に出くわしたら無視して放っておくか、あるいは考える間もなく辞書を引く、大人に訊くという行動を取ることになる。

そのまま放っておくのは論外として、安易に正解を得るというのも如何なものかと思う。
英語と同じように文脈から類推する努力をするべきである。
「努力」と言うより、その楽しみを放棄するのはもったいない...。
日本語では、漢字からある程度の意味を推測できるという武器があるのだから尚更である。

自分なりに意味を推測した後で辞書を引けばいい。
日常生活では「だいたいこんな意味かな」で終わらせてしまうことが多いが、自分の推測がどの程度合っていたのか確かめることで、より実践的な語彙を獲得することができるのではないか。

この推測力をさらに広げると、先の記事にも書いた「文の背景を読む」ということになる。
5W1Hのうち、文章に表れていないものを推測する。
文脈から今後の話の展開を予測してみる。
英語、日本語を問わず、長文を読むときには大いに役立つ力であろう。


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必要悪?

2006年09月06日 | 学習一般
今や中学生の通塾率は7割と聞く。
もちろん「塾」の中身は様々だろうが、学校に通いながら何らかの「塾」にも行っている子が一般的ということになる。
大都市圏では、小学生の通塾率も相当な高さになっていることだろう。

広義にとらえれば、「教育」は本来家庭で行われべきものである。
日常生活で不自由しない、人間としてまっとうに生きて行く、というレベルまでの教育は家庭の責任であろう。

それ以上の「学問」は、かつては限られた層のものに過ぎなかった。
ところが時代が進み、庶民の間にも「読み・書き・そろばん」などのいわゆる「学力」を子どもに身につけさせたいという親が増えてきたのだ。

親に学があれば、それでも家庭教育で対処できたであろうが、そうでない親たちは寺子屋を始めとする外部教育機関に子どもを預けることとなった。
それがやがて学校に発展していく。

育児放棄や不登校などが増加しているとはいえ、現代の日本では100%に近い子どもが義務教育を受けている。
要求される学力を授業料無料の学校だけでつけることができれば、他の教育機関は不要のはずであった。

ところが大学進学を頂点とした「受験戦争」によって、「学校だけでは不十分」という不安が広がり始めた。
いわゆる「進学塾」がその不安をあおった面も多かろう。
一方で、マンモス学級による「新幹線授業」について行けなくなった子どもたちを対象に「補習塾」も登場する。

私が中学生の頃は、大都市はいざ知らず、地方都市では「塾」に通っている子などほとんどいなかった。
それが今では、小さな町にまで何らかの「塾」がある。
かつては敵視していた学校側も、共存を提唱しているところが珍しくなくなってきた。
学校の先生の子どもが塾に通っているという例も多いと聞く。

今や塾は必要悪なのであろうか?
進学塾にしろ補習塾にしろ、学校が改革されればなくてもいいものなのだろうか?

これにはYESと答える人が多いと思う。
学校ですべて事足れりとなれば、所得格差による不平等も生じないし、塾など不要になる...。

本当にそうだろうか?
塾など所詮それだけのものなのだろうか?
いつまでも日陰産業の域を出ないのだろうか?


むろん、そうである塾も多かろう。
しかし、学校教育がどれだけ充実しようが、親がお金を払ってでも子どもを通わせたい、あるいは子ども自身が通いたいと思うような塾もあるはずである。

進学に関する独自の情報網を持っている、各教科の知識が飛び抜けている、どんな子どもに対しても意欲を引き出すのがうまい...。
要は、学校が簡単にはマネのできない強みをどれだけ持っているかであろう。

私もそんな「必要善」としての塾を作っていきたい。
ただ、強みをどこに置くかは、上に書いたようなものと少し方向が違う。

キーワードは「学ぶ力」「教養」「研究」の3つ。
このうち要約力、論理的思考力、説明力などの「学ぶ力」については、このブログでも繰り返し述べてきた。
残りの2つについては、近いうちに記事を改めて言及したいと思う。
乞うご期待!


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子どもに好かれたい?

2006年08月30日 | 学習一般
先日、昔の全日本男子バレーボールチームの物語をテレビでやっていました。
東京五輪で銅メダルに終わってから、ミュンヘンで金メダルを獲るまでの一大プロジェクトの話です。

まだ「プロジェクト」という言葉自体も浸透していなかったあの頃、実に綿密に構築された計画のもとに悲願の金メダルを掴んだのだということがよくわかりました。
そう言えば「ミュンヘンへの道」というアニメ番組がありましたが、あれもプロジェクトの一環だったようです。

その番組の中で、当時の全日本代表監督だった松平康隆氏がこんなことを言っていました。
長期的な見通しで選手を育てていた氏は、その場でいい顔をして選手を甘やかすのではなく、たとえどんなに憎まれても後になって感謝されるような指導をしたといいます。
それこそ、鬼になって選手に接したのでしょう。

こういう、いわゆる「シゴキ」についてはいろいろ問題もあると思いますが、氏は上記のことを親子関係にもたとえて語っていました。

「今、いい親と思われたい」という気持ちで子どもに接していてはダメで、子どもの将来を考えて厳しくすべきところは厳しくする、「クソオヤジ!」と思われても譲れないところは絶対譲らない...。
そんなことの大切さを説かれていました。

今の世の中の親子関係を見ていると、この辺りのタガが緩んでいるように見えて仕方ありません。
ここで叱ったら反感を持たれるのではないか、あまり厳しくするのも可哀想...などと、子どもの顔色を窺い、変に「物わかりのいい親」になっている例が多いのではないでしょうか。

まだ必要ないと思っていても、「みんなが持っているから」と言われれば中学生にも携帯電話を買い与える。
勉強もきちんとしてほしいと思っていても、部活で疲れて眠ってしまえば「好きなことに打ち込んでいるんだから」と放っておく。

子育てとか教育についての確固たる信念が持てない、自信がないということもあるでしょうが、「子どもに嫌われたくない」と安易に迎合している面も少なくないと思います。

いつだったか、何の話の時だったかは忘れましたが、長男に「そんなこと言ってるから子どもに嫌われるんだよ!」と言われたことがあります。
私はすかさず言い返しました。
「子どもに好かれようなんて、これっぽっちも思っていない!」

核家族化が進み「ニュー・ファミリー」という言葉が出てきた頃から、「友だちのような親子関係」が一つの理想とされ、「親の威厳」とか「頑固オヤジ」などは時代遅れであるかのような風潮が広まったのだと思います。

もちろん私も親にはさんざん反抗したし、戦前の家長制度のような、有無を言わさぬ独裁制を支持するものではありません。
それでも、ここだけは譲れない、これだけは筋を通すというケジメだけは大事にしたいと思っています。

今はどう思われても将来のことを考えて...。
これは教育関係者にも求められる思想ですね。
「友だちのような先生」「和気あいあいとした楽しい塾」というだけでは、子どもたちは決して伸びないと思います。

ただ最近、「厳しくしてくれ」という親が減ってきているのも感じています。
自分たちが厳しくしていないから、子どもが耐えられないと思っているのでしょうか?
かくして、甘やかされた王子様、王女様が次々と世に送り出されることになります...。


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文武両道

2006年08月23日 | 学習一般
私は野球が好きだ。
若い人にはサッカーの方が人気があるようだが、相撲にも共通するあの「間」は野球ならではの魅力である。
打者と投手の心理の読み合い、駆け引きなどが興味深い。

4点差、5点差くらいでは、最後まで何が起こるかわからないというのも野球(特に高校野球)の醍醐味であろう。
ゴールがなかなか決まらず、入っても1点ずつ、しかも時間の制約があるサッカーではこうはいかない。

また、ルールは複雑で多岐にわたるが、これが実に良くできている。
たとえば無死で1塁に走者が出ても、送りバントだけでは本塁まで帰って来られない。
2塁に走者がいるとき、1アウトが2アウトになるとチャンスがしぼんだように思えるが、その一方で走者は思いきったスタートが切れるので、ヒットが出れば得点の可能性が高まる。
野球のルールは知れば知るほど面白い...。

高校野球も、いろいろ批判もあるし私なりに問題点も感じてはいるが、いざ始まると夢中になってしまう。
長男が高校球児だったこともあり、地方大会にも結構通う。
子どもたちの母校が負けても、決勝戦は夫婦で観に行ったりするのだ。

今年は阪神が不甲斐ないので、その分高校野球に力が入っているかも...。

さて、前置きはここまで...。

今年の夏の高校野球はいつも以上に面白かった。
終盤に逆転で決着がつくゲームが多く、決勝戦は再試合にまでもつれこんだ。
仕事の都合上、夜のプロ野球はほとんどテレビ観戦できないのだが、朝からやっている高校野球なら結構見られるので、ずいぶん楽しませてもらった。

優勝した早実の斉藤投手は、大人気で家にも帰れないようである。
確かに素晴らしい投手だった。
真夏の甲子園で延長も含んで4連投し、なおあのスピードとキレ、コントロール...。
今すぐにでも阪神に欲しいくらいだ。

おまけにあの顔立ちとクールな振る舞い...。
女性ファンが放っておくわけがない。
昔の坂本や荒木、松坂以上のフィーバーぶりも納得が行く。

さらに、忘れてはならないのが早稲田実業の生徒だということ。
失礼ながら、私が都立高校を受験した頃の早実は、偏差値的には今よりずっと低かったのではないかと思う。
私の中に「実業」という校名に対する偏見があったのかも知れないが、早稲田高等学院に比べたら容易に入れるというイメージがあった。

それが、30年経って様相が大いに変わったらしい。
国分寺市に移転し、男女共学になり、商業科を廃止し、新しい早実に生まれ変わった。
中等部まででき、高校の受験偏差値は今や高等学院を上回るそうだ。

野球部の生徒も、スポーツ推薦で入学した者だけでなく、一般入試の難関をくぐり抜けてきたつわものも少なくないという。
斉藤投手も、受験時の評定(中学での)は平均4.4だったという記事を読んだ。

入学してからも学業優先という校風があるようだ。
野球部も試験休みはしっかり取るし、テストの成績が悪ければ練習に参加できないという。
斉藤も夜中の3時まで勉強してテストを乗り切ったそうだ。

まさに文武両道!
甲子園にはときどき「進学校」としての実績を持つ高校が出てくる。
以前の国立(西東京)小松(石川)慶応(神奈川)、今回も出場した今治西(愛媛)、今回初出場の福岡(富山)などなど...。

長野県予選でも、県立のいわゆる「進学校」が上位に残ることは多い。
練習環境の整った私立の強豪に負けて甲子園までは届かないことも多いが、これこそが高校野球のあるべき姿ではないか。

先日部活の功罪についての記事を書いたが、要は勉強と部活の切り替えが如何にうまくできるかである。
「部活のせいで」「勉強のせいで」というのは言い訳に過ぎない。
両立できる生徒にこそ部活をやる資格があるのであり、両立できないなら学業を優先すべきであると私は思う。


しかし、斉藤投手は文武両道に加え、ルックスまで良いのがシャクの種ではある。
神は三物を与えたか...。


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効率的な勉強法?

2006年08月16日 | 学習一般
「ウチの子は勉強の仕方がわからないようだ」
「時間をかけて勉強しているのに成績が伸びない」
...生徒の親からこんな声をよく聞きます。
だから、効率的な勉強法をアドバイスしてほしいということです。

私は本来、勉強の仕方は万人に共通するものはなく、ひとり一人が自分に合った方法を模索しながら身につけていくものだと思っています。
誰かから「はい、この通りにやりましょう」と言われてそれに従って、それだけでみんなが効果が出るほど、甘いものではないはずです。

それでも最近あまりに上記のような声が多いため、「勉強の仕方」という栞を作って中学生に配布しました。
学校での授業の受け方やノートの取り方、家庭での学習法、塾の活用の仕方、そして国・数・英の具体的なポイントなどにも一応言及していますが、最も量を割いているのは<原則>の部分...。
こんなことが書いてあります。

1:人に頼るな!
2:「わからない」を楽しめ!
3:間違いをおそれるな!
4:「めんどくさい」は禁句!
5:「覚える」のではなく「理解する」!
6:たくさんやろうとするな!


つまりは、このブログでもずっと話題にしてきたような内容を生徒向けにまとめたものです。

中には「総論はどうでもいいから、もっと具体的な勉強法を教えてほしい」という生徒や親がいるかも知れません。
でも先にも書いたように、これらの原則の上に、あとは自分で工夫してほしいのです。

金儲けもそうですが、「どこかにもっとうまい方法があるはずだ」「楽に成功できる方法を知りたい」と、幻想ばかり追いかけている人間が増えているように思います。
少ない努力であまり苦労せずに効果が上がる勉強法などあるはずないし、仮にあったとしても、安易にそれを与える塾にはしたくありません。

学校や塾に、何かを与えてくれることを期待しているだけでは絶対に伸びません。
理解できないと先生の教え方のせいにする、家庭ではうまく勉強できないから塾に頼る...。
特に親がこういう考え方を持っていると、ちょっと通って効果が確認できないとすぐに塾を変わる、いくつもの塾を渡り歩いてどれも中途半端...という状態になりがりです。

はじめから「効率的な勉強法」を与えることばかり考えていては失敗します。
まずは家庭での学習習慣をつけること、そしてコツコツ努力することを惜しまない姿勢を育てることが大切ではないでしょうか。
根本にそれがあれば、やがて自分なりの工夫で効果的な学習法を見つけ出すはずです。
学校や塾に頼るのではなく、逆にどう利用するかという主体性が大切なのだと思います。


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