英文を読んでいて知らない単語に遭遇したとき、前後の文脈から判断してたぶんこんな意味だろうと推測できる力は大切である。
絵本から始めて英語を楽しみながらたくさん読む、という多読学習法を実践していた頃は、特にそれを感じたものだ。
SSS多読学習法では、「辞書は引かない」「わからない所は飛ばす」「つまらなくなったら(その本は)やめる」が三原則である。
単語の意味一つにいちいち立ち止まっていては、流れが途切れてストーリーが楽しめない。
物語上重要な単語は何回も出てくるので、類推によっておおよその意味はつかめるはず。
どうしても気になる単語は辞書を引いてもいいが、できれば一冊読み終わってからにする。
こんな読み方を2年ほど続けていたため、今でも読んでいる最中にはめったに辞書を引かない。
読んだ後に確認するときと生徒の質問に答えるときくらいだ...。
その場で意味を確認した方がスッキリすると思われる方も多かろうが、とりあえず保留にしておいて、もやもやを抱えながら読み進むうちに「あっ、もしかして!」とひらめいたときの快感は格別である。
あとで辞書で確かめて、「当たらずと言えども遠からず」レベルなら万々歳だ。
多読で読んだ本には、ネイティブの幼児や小学生が読む本も多かったのだが、これが馬鹿にできない。
日本の教科書英語ではお目にかかれないが、彼らにとってはごく日常的で易しい単語がどんどん出てくる。
特に感情や性格を表す形容詞が難しい。
次の2つは、しょっちゅう出てくるのに意味をつかむのに苦労した代表である。
She was cross.
They were fed up.
こういう読み方ができるためには、もちろんある程度の単語力が必要であろう。
学習者の語彙と読む文章のレベルによる。
1ページに10も20も知らない単語があるのでは類推どころではない。
SSS学習法では、そういう場合は本のレベルを下げるよう指導している。
1ページに2、3文しか書いてない絵本なら、中学生でも「意味を推測する楽しみ」を味わえるのではなかろうか。
1語1語教科書の末尾を見て意味を確認し、無理やり不自然な日本語を構築する学校英語よりずっと楽しいはずである。
使い方のニュアンスも身につきやすい。
この推測力は、日本語の文章を読む上でも重要である。
「勉強」では、わからない言葉は必ず辞書で調べろと言われることが多い。
その結果子どもは、難しい言葉に出くわしたら無視して放っておくか、あるいは考える間もなく辞書を引く、大人に訊くという行動を取ることになる。
そのまま放っておくのは論外として、安易に正解を得るというのも如何なものかと思う。
英語と同じように文脈から類推する努力をするべきである。
「努力」と言うより、その楽しみを放棄するのはもったいない...。
日本語では、漢字からある程度の意味を推測できるという武器があるのだから尚更である。
自分なりに意味を推測した後で辞書を引けばいい。
日常生活では「だいたいこんな意味かな」で終わらせてしまうことが多いが、自分の推測がどの程度合っていたのか確かめることで、より実践的な語彙を獲得することができるのではないか。
この推測力をさらに広げると、先の記事にも書いた「文の背景を読む」ということになる。
5W1Hのうち、文章に表れていないものを推測する。
文脈から今後の話の展開を予測してみる。
英語、日本語を問わず、長文を読むときには大いに役立つ力であろう。
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絵本から始めて英語を楽しみながらたくさん読む、という多読学習法を実践していた頃は、特にそれを感じたものだ。
SSS多読学習法では、「辞書は引かない」「わからない所は飛ばす」「つまらなくなったら(その本は)やめる」が三原則である。
単語の意味一つにいちいち立ち止まっていては、流れが途切れてストーリーが楽しめない。
物語上重要な単語は何回も出てくるので、類推によっておおよその意味はつかめるはず。
どうしても気になる単語は辞書を引いてもいいが、できれば一冊読み終わってからにする。
こんな読み方を2年ほど続けていたため、今でも読んでいる最中にはめったに辞書を引かない。
読んだ後に確認するときと生徒の質問に答えるときくらいだ...。
その場で意味を確認した方がスッキリすると思われる方も多かろうが、とりあえず保留にしておいて、もやもやを抱えながら読み進むうちに「あっ、もしかして!」とひらめいたときの快感は格別である。
あとで辞書で確かめて、「当たらずと言えども遠からず」レベルなら万々歳だ。
多読で読んだ本には、ネイティブの幼児や小学生が読む本も多かったのだが、これが馬鹿にできない。
日本の教科書英語ではお目にかかれないが、彼らにとってはごく日常的で易しい単語がどんどん出てくる。
特に感情や性格を表す形容詞が難しい。
次の2つは、しょっちゅう出てくるのに意味をつかむのに苦労した代表である。
She was cross.
They were fed up.
こういう読み方ができるためには、もちろんある程度の単語力が必要であろう。
学習者の語彙と読む文章のレベルによる。
1ページに10も20も知らない単語があるのでは類推どころではない。
SSS学習法では、そういう場合は本のレベルを下げるよう指導している。
1ページに2、3文しか書いてない絵本なら、中学生でも「意味を推測する楽しみ」を味わえるのではなかろうか。
1語1語教科書の末尾を見て意味を確認し、無理やり不自然な日本語を構築する学校英語よりずっと楽しいはずである。
使い方のニュアンスも身につきやすい。
この推測力は、日本語の文章を読む上でも重要である。
「勉強」では、わからない言葉は必ず辞書で調べろと言われることが多い。
その結果子どもは、難しい言葉に出くわしたら無視して放っておくか、あるいは考える間もなく辞書を引く、大人に訊くという行動を取ることになる。
そのまま放っておくのは論外として、安易に正解を得るというのも如何なものかと思う。
英語と同じように文脈から類推する努力をするべきである。
「努力」と言うより、その楽しみを放棄するのはもったいない...。
日本語では、漢字からある程度の意味を推測できるという武器があるのだから尚更である。
自分なりに意味を推測した後で辞書を引けばいい。
日常生活では「だいたいこんな意味かな」で終わらせてしまうことが多いが、自分の推測がどの程度合っていたのか確かめることで、より実践的な語彙を獲得することができるのではないか。
この推測力をさらに広げると、先の記事にも書いた「文の背景を読む」ということになる。
5W1Hのうち、文章に表れていないものを推測する。
文脈から今後の話の展開を予測してみる。
英語、日本語を問わず、長文を読むときには大いに役立つ力であろう。
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