「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

『アトリエから戸外へ 印象派の時代』

2005年06月19日 | Arts
アトリエから戸外へ 印象派の時代(アントニー・メイソン・著、武富博子・訳、国土社)
 風景というものはおもしろい。風景とは人の外部に物理的に存在するものではない。つまり、風景とはアプリオリに存在するものではなく、人の視点にかかわるものである。いま「視点」と書いたが、風景とは必ずしも視覚によるものともかぎらない。たとえば音(聴覚)によって認識される風景もあるわけであり、近年「サウンド・スケープ」と呼ばれているものがそれである。除夜の鐘などはわれわれ日本人にとってもっともなじみの深いサウンド・スケープであろう。視覚に話をもどせば、富士山もまたわれわれにとってなじみのある風景である。しかし、その富士山を、文章であれ絵画や写真であれ、何らかのかたちで表現しようとしたとき、人によりさまざまに描写されることになる。それこそが風景の風景たる所以である。
 ルネサンスのころまでは、アトリエのなかで歴史や宗教をテーマにした絵を描くことが美術界の主流であったという。かりに風景が描かれたとしても、それはあくまで主題をひきたてる背景であった。しかし、印象主義の勃興とともに画家たちはアトリエからプレネール(戸外)へと出ていった。そして、彼らは光の織りなす色彩や自分の周囲の息吹きを画布に描いた。彼らが風景からうける印象を彼らなりに表現したのだ。それがモネの〈すいれん〉でありルノワールの〈裸婦〉である。いうまでもなく印象と感性や感情とを切りはなすことはできない。どこからどこまで(だれからだれまで)を「印象派」というのかはよくわからないが、その意味ではセザンヌやゴッホも「印象派」といえるのではないかと思う。セザンヌの構図やゴッホの色彩も彼らなりの風景の表現なのである。葛飾北斎の〈富嶽三十六景〉もまたしかりであろう。
 印象派の絵の特徴の一つとして、画家たちは黒をつかわなかったという。黒は自然の色ではないからだそうである。たしかにそういわれてみれば自然に純粋な黒は存在しないように思う。そもそも光のスペクトルに「黒」はない。物理学に「黒体」という概念がある。すべての波長の放射を完全に吸収する物体のことである。すなわち「黒」は「色」ではないといっているようなものである。「漆黒の闇」という表現があるが、漆にも色はあるのであって完全な黒ではない。黒っぽい影もまた黒くはない。モネの絵を見ると、暗さや影を黒をつかわずに巧みに表現しているのがよくわかる。その表現はわれわれがふだん目にしている明暗や影の部分からうける印象にかなり近いように感じられる。
 ところで、写真とはその名のとおり真実を写すものである。写実の権化ともいえる。しかし、その一方で決して本物ではありえない。かつて亀井勝一郎は映画や写真は感性を退廃させるといった。映画や写真に撮られた芸術品では本物の感動は得られないというのである。けれども、印象派の絵画が画家の感性や視点をぬきにして語りえないように、写真もまた写真を撮る者の感性や視点と無関係ではありえない。さらにいえば、写真もまた装飾することにより印象をかえることができる。パソコンもデジカメもなかったころ古い一眼レフを愛用していた。そのころは花の写真を撮ることに凝っていたのだが、ピントの合ったくっきりとした写真に少しあきていた。そこで、何かの記事で読んだのをまねて、レンズの前に薄い紗の布地をかけて撮ってみた。すると、やや雲か霧のかかったような淡い色彩の花の写真ができあがった。陰影もさらにやわらかなものとなった。たぶん当時は印象派という言葉すら知らなかったはずだが、どこかで見たモネの絵などをまねてみたいという気持ちがあったのだろうと思う。印象派の写真などときどる気はないが、印象派にかぎらず絵を鑑賞したり学んだりすることによって、写真を撮る感性も影響をうけるにちがいない。しかし、写真を撮るためではなく、自分の感性を養うために、この歳になってはじめて絵を学んでみたいと思うようになった。本書はそのきっかけの一つになってくれた。
 本書は「名画で見る世界のくらしとできごと」という4巻シリーズの第2巻である。また、かなりの漢字にルビがふってあり、小中学生向きの児童書といった体裁である。しかし、その内容のレベルは低くないように思われる。美術史の知識がそれなりにある人にとってはものたりないだろうが、自分のように有名な画家の名前くらいしか知らない者にとっては格好の入門書であった。遠からず残りの3巻も読んでみたいものである。
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