「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

『ヨーロッパ物語紀行』

2006年10月03日 | Yuko Matsumoto, Ms.
『ヨーロッパ物語紀行』(松本侑子・著、幻冬舎)
 ここ数年、夏休みの後半に、少し長めの帰省をしている。夏休みといっても9月の前半のころで、穀倉地帯の一つに数えられている田舎では、あちこちで黄金色の稲穂がたなびいている。近年では農作業もほとんど機械化されているとはいえ、稲刈りや脱穀の風景が自分の身近にあったことを、あらためて思い起こさせてくれる。
 さて、その時期に田舎へ帰省すると、この地方の中核都市である金沢へかならず足を運ぶ。日帰りで行くのだが、実家のある町からはバスで1時間ほどなので、金沢で遊ぶ時間はかなり取ることができる。一時期、金沢に住んでいたこともあって、かつてのアパートの周辺を歩いたり、繁華街である香林坊や片町の変貌を眺めたりするのが定番のコースになっている。しかし、昨年はちょっと趣を変えて、石川近代文学館を訪れた。もちろん文学館の存在は知っていたが、一度も行ったことがなかった。このような名所というものは、身近に住んでいると意外に行かないものなのかもしれない。
 石川近代文学館は香林坊のすぐそばにあって、交通の便はひじょうによいところだ。旧制四高の校舎を利用した赤レンガ造りの建物は、古都金沢のなかの「近代」の部分のイメージにマッチしているように思う。文学館とはいえ、文学者や作家ばかりではなく、哲学者や科学者についても紹介されている。ここを訪れようと思ったのは、日本独自の哲学を築いたといわれる西田幾多郎や鈴木大拙、雪の研究で名を馳せた中谷宇吉郎の、その人となりについて少し興味を持ったからだった。そしてもう一つは、金沢の三大文豪といわれる泉鏡花、室生犀星、徳田秋声の文学紀行を、いわば即席にやってみたいと思ったからだ。文豪たちの作品の跡を追うわけではないが、このような文学紀行を思いついたのは、松本侑子さんの『イギリス物語紀行』(幻冬舎文庫)を読んだからだと思う。イギリスのよく知られた物語が、その舞台を旅し、その作者の跡をたどることで、いきいきと語られていた。単純にも、そのようなまねごとを、自分の頭のなかだけででもやってみたいと思ったのだ。
 『イギリス物語紀行』も、この『ヨーロッパ物語紀行』にしても、もちろん頭のなかで行なわれた旅ではなく、実際に作品の舞台となった場所を訪ね、その作家の生涯も追った紀行文だ。『イギリス物語紀行』ではいくつか読んだ本もあったが、今度の『ヨーロッパ物語紀行』では、正直なところ名前はよく知っていても読んだ本は一冊もなかった。「ロミオとジュリエット」や「ローマの休日」にしても映画で見た記憶はあるが、本として手にとったことはない。しかし、嬉しいことに、松本侑子さんの「物語紀行」にはおおまかなあらすじが書かれている。そして、松本さん自らが撮られた多くの写真が、物語の理解を助けてくれる。あらすじや写真に沿って物語のなかに入り込み、松本さんといっしょに物語を旅してみると、たとえばアンダルシア地方のオリーブ園や、ベルリンの街を走るエーミールたちが目の前に現れてくる。そしてなによりも、旅のガイド役をつとめてくれる松本さんの楽しげな表情が浮かんでくる。
 この「物語紀行」の真骨頂は、松本さん自身が感じている物語を旅する楽しさを、読者が追体験するところにあるのかもしれない。だからこそ、自分でもその楽しさを自分の旅として味わってみたくなり、金沢の文学紀行などというものを考えたのだろうと思う。作品という点からいえば、作家だけではなく、哲学者の思索や科学者の理論もまた作品といえるだろう。そして、彼や彼女の思索や理論を物語ととらえて、その跡をたどることも一種の紀行といえるのではないだろうか。自分の能力や現実を棚に上げていうならば、「哲学紀行」や「科学紀行」もまた実に楽しい旅になるのではないかと思う。松本さんの『イギリス物語紀行』を読んで、金沢の文学紀行を即席で実践しようと思いついたわけだが、さらに『ヨーロッパ物語紀行』を読んで、自分の「物語紀行」は想像の翼を広げた。ガイドにたよらない一人旅もわるくはない。しかし、まったく見知らぬ土地を旅するには、たとえ誌上の旅であっても、やはり名ガイドやナビゲーターはいたほうがいい。そのほうが旅は充実したものになるにちがいない。ちなみに、カバーのイラストの「ローマのスペイン階段」は、松本さんのご実家のお父様が描かれたものだ。この父にしてこの娘あり、というべきだろう。
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