「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

『女性解放思想の歩み』

2008年01月20日 | Gender
『女性解放思想の歩み』(水田珠枝・著、岩波新書)
  人間の自由と平等を説いた思想家としてルソーの名前を知らない人は少ないだろう。「自然にかえれ」の言葉でも有名だ。この「自然」が何を意味するかも知らず、民主主義の基盤を築いた人という印象をもっていた。数十年前に高校で使った世界史の教科書をひっぱりだし、ルソーの箇所を見てみた。そこには「ルソーは“社会契約論”“人間不平等起源論”“エミール”などの著作で自然にかえれと叫んで、人間の自由平等を力強く説いた」とある。この一文は啓蒙主義の項目のなかにあるのだが、ここから批判的な視点を読み取ることはむずかしい。たしかにルソーは民主主義を力強く説き、その後の社会に大きな影響を与えた。しかし、その民主主義には女性の抑圧が隠されていた。不覚にもその事実をほとんど知らなかった。まったくもって不勉強のそしりを免れない。
  人類は最初、生活資料が豊富に存在し、労働によってそれを確保する必要がなく、人間は共同生活を営む必要もない状態にあったという。それがルソーのいう「自然」である。しかし、人口の増加とともに生活資料(食料)を労働によって確保しなければならなくなった。これを契機に「労働による所有」(私有財産)が発生し、共同生活(家族)が形成され、人間のあいだに不平等がうまれた。ルソーはこの「自然」に近い状態にかえることを主張した。そのために、私有財産を認めながらも、人間のもつ理性や良心によって自由で平等な人間関係を築くことと、一般意志すなわち国家意志による社会契約を説いた。ここまではふつう教科書などで習う知識である。ところが、ルソーにとって、この人間とは男性を意味していた。
  男性と女性とのもっとも大きな差は、女性が生命の再生産(出産や育児)を担っていることだろう。それでも、理想的な自然状態では女性の負担が大きな差として現れなかった。しかし、自然状態が失われると、労働力の性的差異から女性は男性に依存する必要が生じるという。さらに、著者の水田さんによれば、ルソーは女性を社会の主体とすることも、男性と対等な存在とみなすことも考えていなかった。例えば、男性の理性は対等な人間とのあいだの道徳秩序を維持する能力であるのに対して、女性の理性は夫に服従し家族に献身することを義務づける能力である。名高い『エミール』にも女子教育としてそのことが要求されているという。相当むかし『エミール』を流し読みした記憶はあるのだが、まったく気にとめなかった。読書家のある友人は『エミール』を読んで「なんだ、これは!」と思ったそうだが、やはり自分の不明を恥じるばかりだ。
  結局「労働による所有」の成立は男性間の不平等の起源であると同時に、男女間の不平等の起源でもあった。ルソーがこのような考えに至った背景には、たしかに当時のフランスの社会情勢があったといえるだろう。ルソーが足場としていた絶対主義下の小生産者層では、家長が所有する私有財産は維持・相続されなければならなかった。その実権を男性がにぎったのは、たんなる肉体的差異だけではなく、女性が出産・育児・家事を背負わされたことにより男性と同様の労働ができなかったためである。労働力の性的差異は、必ずしも肉体的差異に還元されるものではないことに注意すべきだろう。
  本書が出版されたのは1973年だから、もう35年も前のことだ。戦後の民主化により男女の平等や女性の解放が一見なしとげられたように思われていた時代である。しかし、現実には女性の社会進出(職業による自立)への道は険しく、あいかわらず女性は家庭に拘束され、公的領域での平等とは裏腹に私的領域での不平等は当然のことと思われていた。その原因は、近代の民主主義自体に内在している女性に対する抑圧にあると本書は指摘している。水田さんがルソーに紙幅をさいているのも、そのことが念頭にあったからだという。1960年代後半から1970年代前半にかけていわゆる第二波フェミニズムが勃興したが、本書の出版はこの流れと期を一にしている。とはいえ、フェミニズムに関連した書籍はまだまだ翻訳物が主流だった時代に、日本人の手によって独自の視点からの女性解放思想を説いた本書には大きな価値があるといえる。フェミニズムを意識的に学ぼうとするならば、その初期に読むべき基本書の一つといえるだろう。その意味では遅れてしまったが、収穫に変わりがあるものではなかった。
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