「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

『恋の蛍 山崎富栄と太宰治―最終回 恋の蛍』

2009年08月09日 | Yuko Matsumoto, Ms.
『恋の蛍 山崎富栄と太宰治―最終回 恋の蛍』(松本侑子・著、光文社『小説宝石』2009年8月号掲載)

  先日、所用で西国分寺から中央線に乗った。あまり時間的な余裕はなかったのだが、思い立って三鷹で下車した。三鷹駅近くにある「太宰治文学サロン」に行ってみようと思った。『恋の蛍』第1回掲載の『小説宝石』3月号巻頭カラーグラビア「小説家という情景」で松本侑子さんと登場した場所である。元は太宰一家が利用していた酒店だが、いまはその面影もない。入ってみると意外と狭い場所で、少し拍子抜けがした。太宰関係の写真や直筆原稿・初版本(いずれも複製だそうだが)などが展示されている。銀座のバー「ルパン」を模したカウンターもあり、グラビアの松本侑子さんはここに腰かけていたようだ。スタッフの女性の方に伺ったところ、太宰を偲んで建てられた石碑「玉鹿石」まではそう遠くないとのこと。「三鷹太宰治マップ」(100円!)を買って行ってみることにした。
  駅から来るときには気がつかなかったが、「文学サロン」から玉川上水沿いに出る直前に富栄が下宿していた野川家跡があった。いまは葬儀社になっている。その向かいが料理屋の千草跡である。ここにも当時の面影はない。玉川上水沿いに「玉鹿石」を過ぎてむらさき橋付近まで歩いた。駅の周辺は人通りも多く都会を感じさせるが、玉川上水沿いは思いのほか静かな佇まいだった。そして何よりも玉川上水の両岸を囲む樹木がうっそうと茂っていることに驚いた。川面も容易に見えない。60年も前ならば、蛍が飛んでいても何の不思議もない。7月も末だというのに涼しげな天候だった。いまはこの通りを「風の散歩道」というそうだが、わずかに涼風を受けながら「恋の蛍」となった二人のことを想った。
  「蛍が飛んでいますわ」―最終回では、愛する男との死へと誘われていく富栄の心情が蛍に託して描かれている。太宰の逡巡も過不足なく語られていく。しかし、主題はあくまで富栄の正当な評価にある。富栄の二通の遺書とともに、別に書かれた父母宛の手紙が詳しく引用されている。文面からは(両親にウソをつくことで)太宰に対する富栄の真摯な愛情が読み取れるように思う。富栄が「自分が死ぬために」所持していた青酸カリのことも取材で明らかにしている。今月号の「作家百字近況」で「独自調査による新発見が色々あるのではないかと思っています」と松本さんご自身も書いているが、この事実などは第一級の新発見なのではないだろうか。手紙などの資料と綿密な調査で明らかになった新たな事実を積み重ねることで、山崎富栄という女性をスキャンダラスな女から正当な評価へと復権を試みること。松本侑子さんの姿勢は当然のことながら連載第1回から一貫している。
  最終回では心中事件の核心へと迫っていくにちがいないと思った。ところが、最終回は連載の最終回であって、『恋の蛍』の最終回ではなかった。最終回の続きは10月に刊行予定の単行本に持ち越される。正直なところ肩すかしの感もしたが、それでも楽しみは長く続いた方がいい。前回(第5回)の感想で「待ち遠しいような、まだまだ終わってほしくないような、複雑な気持ち」と書いた。この気持は10月まで生きながらえることになりそうだ。

☆『恋の蛍 山崎富栄と太宰治―第5回 恋人、秘書、看護婦』の感想はこちら

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