「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

『恋の蛍 山崎富栄と太宰治―第1回 父の愛娘』

2009年02月26日 | Yuko Matsumoto, Ms.
『恋の蛍 山崎富栄と太宰治―第1回 父の愛娘』(松本侑子・著、光文社『小説宝石』2009年3月号掲載)

  NHKの大河ドラマは子どもの頃からよく見ているが、ほとんど惰性の場合も多い。しかし昨年の『篤姫』はちがった。たまたま見逃しても再放送を録画予約して見るほどおもしろかった。篤姫という女性の存在をまったく知らなかったという新鮮味もあっただろうが、宮崎あおいさん演じる篤姫とそれを巡る人たちとの関わり合いやストーリー展開にはまってしまったからだ。これは脚本を書かれた田淵久美子さん*の勝利だったのではないかと思う。
  「山崎富栄」という名前を初めて聞いたのは、昨年秋「憲法9条の会つくば」での松本侑子さんの講演だったと思う。まともに読んだのは『人間失格』くらいだとはいえ、さすがに太宰治のことは常識程度に知っていた。玉川上水で女性と入水自殺したことも知ってはいたが、その女性に関心を向けることもなかった。松本さんが講演で近いうちに山崎富栄の評伝小説を書かれると聞いたとき、少し面喰ってしまった。ここ数年、松本侑子さんといえば「赤毛のアン」であり、自分も松本さんの著作に関しては「赤毛のアン」や英米文学関連のものにほとんど浸かっていた感がある。そんなとき、人生に前向きな明るいアンの物語から、どちらかといえば陰鬱なイメージが漂う太宰と情死した女性の評伝へと向かわれたことに戸惑ってしまったのだ。一見正反対とも思える方向になぜ関心を向けられたのか、一度伺ってみたいものだと思いつつ、連載の開始を心待ちにしていた。
  松本さんもまた、初めから山崎富栄に関心を持っていたわけではないようだ。若い頃「太宰文学に心酔していた」が、その後「あるきっかけから」山崎富栄のことを知りさまざまな疑問がこころにわいてきた。とくに世間的に知られていない山崎富栄の生涯や太宰との恋について「新たなる光」を当てようと、作家としての創作欲が動いたということなのだろうと思う。児童文学のレッテルを貼られてきた「赤毛のアン」を大人の文学として新たに位置付けた松本侑子さんである。松本さんには失礼かもしれないが、新たな篤姫像を作り上げた田淵さんのように、山崎富栄の新たな発掘を通じて山崎富栄と太宰治の生涯を松本さんなりの視点で描いてほしいものだ。英米文学の引用などについては緻密な調査や取材に定評がある。今回の執筆でもホームページには相当な量の参考文献が記載されているし、「ときどき思い出し日記」では足を使った取材の一端を知ることができる。ありきたりな物言いだが、その苦労には頭が下がる。同時に、取材や調査を踏まえた今後のストーリー展開に期待がふくらむ。
  まだ連載第1回目とはいえ、富栄の父の来歴や富栄の幼少時のことなど、当時の風俗や情景描写を踏まえてなかなかおもしろい。美容技術や美容学校の話はとくに興味深かった。幼い頃、身の回りで女性の装いと少しは縁があったからかもしれない。そういえば、NHKの連続テレビ小説で、放映された1997年当時やはりはまってしまった『あぐり』(作家 吉行淳之介・女優 吉行和子の母で美容師の「あぐり」さんの物語)のことも思い出した。太宰についてはまだあまり書かれていない。ただ、人の愛と好意を信じる境遇に育った富栄と、愛と好意は不確かなものと捉えざるを得なかった太宰の子ども時代が対比されていて、重要な伏線が提示されているように思えた。最初のページに太宰治と山崎富栄の写真が載っている。太宰のものは見慣れた写真だが、山崎富栄の写真はもちろん初めて見た。日本髪を結った富栄はなで肩で日本人好みの美人である。この二人が引かれ合い、いずれ玉川上水で「恋の蛍」となるのだろうか。第2回が待たれるところだ。

*田淵久美子さんも松本侑子さんと同じく島根県出身とのこと。不思議な気持ちがする。

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