「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

「雪女」(『姫は匂へど散りぬるを―新釈おとぎ話』所収)

2008年12月23日 | Yuko Matsumoto, Ms.
「雪女」〈前編後編〉(『姫は匂へど散りぬるを―新釈おとぎ話』、松本侑子・著、理論社webサイト 所収)

  昨年9月、松本侑子さんの郷里である出雲を訪れた。たまたま知り合った若い友人が出雲市(旧平田市)の出身で、大学院修了と同時に出雲で職を得た。その縁をたよって、岡山出身のもう一人の友人とともに初めて出雲の地を踏んだ。2泊3日の旅とはいえ実際に時間をさけたのは中1日だけで、出雲大社、古代出雲歴史博物館、日御碕灯台などを巡り、さらに松江城や宍道湖にまで足を延ばせたのは彼のエスコートと車のお陰だった。それぞれの観光地はもちろん興味深かったのだが、車で移動中たびたび不思議な感覚を味わった。後部座席から眺める出雲の風景がどこかなつかしい。ふるさとの北陸にいるかのように、何の違和感もなくすっとこころに入ってくる。周囲の景観だけでなく匂いまで似たものを感じた。松本さんの文章や感性の根っこに山陰と北陸に共通する風土のようなものをいつも感じる。何度かふれたことだが「松本侑子」ファンの由縁の一つである。
  松本さんの「雪女」は小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の原作に依っている。よく知られているように小泉八雲は英語教師として一時期松江市に居住していた。「雪女」は八雲の松江での体験や伝承がもとになっているのではないかと勝手に思い込んでいた。しかしウィキペディアなどwebで少し調べてみると―情報の信頼性は担保されなければならないが―そうではないらしい。山陰は北陸と同様に冬の空は雪雲に覆われることが多く、冬の営みは雪と縁が切れなかったはずだ。北陸での経験だが、ほんの数十年前までは「雪に閉ざされる」ことも少なくなった。雪に対する恐怖感と、一方で雪の純白なイメージが重なって「雪女」を作り出した。八雲の「雪女」の原点が松江でなかったとしても、「雪女」伝承の原点としてそれほど相違はないように思う。松本さんが「雪女」を取り上げた理由はどうであれ、山陰と北陸との風土性を「雪女」に託して読みはじめた。
  八雲の「雪女」は雪女(お雪)が巳之吉の前から姿を消すところで終わっている。ところが松本さんの「雪女」は雪女(おゆき)が消えたあとも話が続く。巳之吉はおゆきとの間に生まれた子どもたちを育て上げ、ある夜おゆきを追って吹雪の中へと出ていく。八雲の原作にはない部分に読者はどんなメッセージを読み取るのだろうか。巳之吉のおゆきに対する一途な愛だろうか。あるいは一度恋してしまった女に執着する男心の滑稽さだろうか。子どもを残して勝手に家を出ていき男にあとをまかせるなんて、おゆきは性悪女の典型だと現代的な読みをする人もいるかもしれない。本来「雪女」は恐怖と悲哀を感じさせる物語のように思うが、松本作の「雪女」を読むと巳之吉がむしろ幸せな男のように思えてくる。一途な愛であれ執着心であれ、生涯想い続けることのできる女性がいた巳之吉はけっして不幸ではなかったのではないか。そして最後はおゆきを追って自ら命を断つのだが、それも子育てを終えてからだ。何という健気さ! 巳之吉のことを書きながら気恥ずかしくなってくる。自分は巳之吉のようになれそうもないからだろうか。
  八雲の原作を読んでいないので比較はできないが、松本作の吹雪の描写などは実感がこもっているように思える。とくに「ごと、どん、ごとっ」とか「ごと、どん、どん、どん」といった小屋の戸をたたく擬音が効果的だ。いまでこそ実家もサッシ戸になって窓や戸口が鳴ることもなくなったが、子どもころは風雪の音で眠れない夜もたびたびあったように思う。雪というのは不思議なもので恐怖を与えたり人の命を奪ったりする一方で、こころを魅了する存在でもある。純白さを女性の純潔に結びつけるのは男性の思い込みにすぎないだろうが、雪にそこはかとない、あるいは艶めかしいエロティシズムを感じることもある。雪の冷感に暖かさを感じることに似ている。「雪女」のモチーフにエロティシズムが隠されているのはたしかだろう。松本さんの「雪女」でも息を吹きかけるところなど、何箇所かゾクッとするところがある。風雪模様や雪女の描写は作家としての技量によるもので、松本さんの出自と結びつけるのは強引にすぎるかもしれない。それでも、松本さんや八雲が山陰に関わっていたことで、北陸生まれの自分が「雪女」をよりおもしろく読めたのは事実である。
  今年の10月、出雲の友人と岡山出身の友人を金沢に招いた。出雲で別れるときに約束していたことだった。出雲とはちがい循環バスで市内を巡った。石川近代文学館を訪れたとき、たまたま『姫は匂へど散りぬるを―新釈おとぎ話』の挿画を描かれている西のぼるさんの展示を見た。また富山大学に八雲の蔵書などを集めた「ヘルン文庫」が開設されていることも今年になって知った。いろいろな縁を感じる。

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