或る、統合失調症患者の独り言

Version 23,31. Jeder findet Liebe im Ende. - 宇多田ヒカル(私的ドイツ語訳)

ついでなんで、一つ書いておきましょう

2012-11-19 00:30:02 | 日記
ちょっと時期が遅れましたが、

「週刊朝日(=朝日新聞)」VS「橋下大阪市長兼日本維新の会代表代行」、

というものがありましたね。

朝日の完敗に終わりましたが。


「差別」と言えば、「ホンマに今でもそんなことあるんや」、

っていう印象があります。前時代的な感があるのですが。


学校で習いませんでしたか?「士農工商」。

実はこれ、正しくはないのです。

当時(江戸時代でしょうな)、実際に使われていた言葉は、

「士農工商穢多非人」、

なのです。

この、「(えた)」と「()」が、今でも続く、被差別民を指します。

こういうところを授業で取り上げないというのも、

「クレームが来そうなものは出さずにおこう」、「現代の子供たちには隠しておこう」、

といった意図が、教育関係の役人、教員の中にはあるのでしょう。


江戸時代、結局は商人が栄え、農民は苦しみました。

階級制度を作り、「農民」は、「「武士」の次に偉いんだ」、

と言いながらも、実際には農民たちは苦しみ、耐え忍びました。

耕作放棄をして、都市へと逃げ込む人々も多かったようです。

しかし、更に下の、「」「」と言う被差別階級を作ることで、

少しは農民たちの心を鎮めようとしたのです。

「俺らより下の奴がいる」。

これは現代に於いて、「勝ち組」「負け組」とか言いたがる人たちに通じると感じます。


「人間に、上下など無い」。

これが真実のはずです。

結局は皆、一人で生まれ、一人で死んでいきます。

真宗的にも、「御同朋御同行」と言う言葉があって、

「人間皆平等」、なのです。

親鸞聖人は、自身ではお弟子をとりませんでした。

皆、「御同朋御同行」、なのです。

等しく生まれ、等しく死ぬ。


未だに続いているからあんな記事が出たのでしょうが、

「被差別」というものは、ちょっと考えれば、何の意味もないことぐらいわかりそうなものです。

人為的に階級を作っただけで、職業制限、結婚制限、などといった、

理不尽なことが横行しているだけに過ぎません。


「被差別民」を未だに、「自分よりも劣る」等といった考えを持っている人たちは、改めるべきです。


似た例として、と言うかもっと凄いものとして、

インドのカースト制、があります。

これは一般的には数段階しかないように教えられてきましたが、

実際には、その中に、さらに細かい階級が存在し、職業制限や結婚制限などが、

事細かに決められているそうです。

ただ、皮肉なことに、それが功を奏した、とも言えるのです。

それは、「IT産業」です。

これはごく最近に出来た職業ですから、カーストの中での制限はされていません。

だから、どんなに身分が低かろうと、自身の力で、IT関連産業で腕を振るう事が出来ているのです。

インドの急成長、将来は中国をも抜き去ると言われているほどの力は、ここから出てきたのです。

これは、カーストをうまく逆手に取った、低い階級の人たちの「勝利」と言えるでしょう。


とにかく、未だに日本に於いて、「差別」というものが存在し、

有名人だからと言って、その出自までさかのぼって、「叩いてやろう」、

なんて考えがあることが信じられません。


橋下氏については、石原慎太郎氏との合流によって、

「維新」の内容がグラついてきた、と言えますし、

メディアの突っ込みどころはそこでしょう。

出自まで掘り返す、というのは、ちょっと行きすぎましたね。