「日本語の誤用」というものがまた、発表された。
以前書いたと思うが、「言葉とは生きもの」、である。
時代によって、どんどん意味するところが変わっていこうが、
「それで通用している」のなら、
「誤用」ではなく、「言葉、日本語の進化」であると言える。
一般的に使われている言葉が、元来の意味から離れようが、
「言葉の経済化」によって変化していようが、
それをすべて、「誤用」と片付けてしまうのは、
厳密な意味での「科学」に入らない、
「人文科学」の領域では、「そうは言い切れない」、
ということになろう。
例えば、「たいしょりょうほう」という言葉がよく使われる。
これは、「対処療法」と書けるだろう。
意味的には近いかもしれないが、厳密にしたい人たちにとっては、
「誤用」、
になる。
正しくは、「対症療法」、である。
「症状に対しての緩和医療」、なわけだから。
別に、「病に対処した医療」、ではない。
あと、「漢字で書くと変わってくる」、ものも多い。
例示すれば、「しょくじりょうほう」、である。
どうしても、「食事療法」、と思いがちであるが、
厳密に正しく、ということになれば、
「食餌療法」が本来の表記である。
「人によって」は、「食事療法」で正しい、という人もいるだろうが、
もちろんこれは、「科学」というにはちょっと厳密性に欠ける、
「人文科学」でのことだから、と言える。
こんなこともあって、私はほとんど、クイズ番組を見なくなってしまった。
何か、アホらしく思えてきてしまうのである。
「正しい」とは一体何か?全人的に共通する「正しさ」など、
ありえないだろう。
以前書いたと思うが、「言葉とは生きもの」、である。
時代によって、どんどん意味するところが変わっていこうが、
「それで通用している」のなら、
「誤用」ではなく、「言葉、日本語の進化」であると言える。
一般的に使われている言葉が、元来の意味から離れようが、
「言葉の経済化」によって変化していようが、
それをすべて、「誤用」と片付けてしまうのは、
厳密な意味での「科学」に入らない、
「人文科学」の領域では、「そうは言い切れない」、
ということになろう。
例えば、「たいしょりょうほう」という言葉がよく使われる。
これは、「対処療法」と書けるだろう。
意味的には近いかもしれないが、厳密にしたい人たちにとっては、
「誤用」、
になる。
正しくは、「対症療法」、である。
「症状に対しての緩和医療」、なわけだから。
別に、「病に対処した医療」、ではない。
あと、「漢字で書くと変わってくる」、ものも多い。
例示すれば、「しょくじりょうほう」、である。
どうしても、「食事療法」、と思いがちであるが、
厳密に正しく、ということになれば、
「食餌療法」が本来の表記である。
「人によって」は、「食事療法」で正しい、という人もいるだろうが、
もちろんこれは、「科学」というにはちょっと厳密性に欠ける、
「人文科学」でのことだから、と言える。
こんなこともあって、私はほとんど、クイズ番組を見なくなってしまった。
何か、アホらしく思えてきてしまうのである。
「正しい」とは一体何か?全人的に共通する「正しさ」など、
ありえないだろう。