或る、統合失調症患者の独り言

Version 23,31. Jeder findet Liebe im Ende. - 宇多田ヒカル(私的ドイツ語訳)

信長と光秀と秀吉

2012-09-11 23:51:19 | 日記
以前書いたと思うが、私は明智光秀が好きだ。

赤穂浪士の討ち入りで殺された吉良上野介がそうであったように、

領民にとっては善政を敷いた名君であったと聞いている。


なぜ光秀が悪人視されるのか、

それはやはり、「本能寺の変」を起こしたからであろう。

しかし、歴史というものは本当のことはなかなかわからない。

信長弑逆に於いても、光秀単独犯説(これが大勢を占めているのではあろうが)、

朝廷黒幕説(右大臣まで上ったが、太政大臣・関白・征夷大将軍のいずれかに

     なるよう求められた時、これには返事をせず、信長自身が天皇になろうとした説、

     皇室を廃して、「天王」として新たなる日本国の「王」となろうとした説、

     等に脅威を感じたというもの)、

外国人宣教師黒幕説(信長は安土城天主閣(一般には「天守閣」と表記されるが、

     信長の安土城の場合、「天主閣」と表記される)を作った目的が、

     自らが「天主」であろうとした説、

     等がある。(ちなみにカトリックは「天主教」と呼ばれ、

     プロテスタントは「耶蘇教」と呼ばれていた)、

正室である濃姫が黒幕であった、という説など、色々ある。


更に時を進めて考えれば、基本的に秀吉は、信長の施策を真似していただけ、

とも言われる。

「朝鮮出兵」を行ったのは秀吉だが、既に信長の構想の中にはあった。

更に中国へと侵略する構想もあったようである。


「もし」、信長が本能寺の変で亡くなっていなければ、

朝鮮半島どころか、中国大陸まで、「日本領」、となっていた可能性がある。

「信長帝国」が東アジアにデンと腰を据えていたかもしれない。