脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

脳出血で倒れたオッサンの独り言2

2014年04月22日 11時21分30秒 | 日記
さてさて(^^ゞ会社で倒れて近所の救急病院の集中治療室・・CTの結果、私の出血状態は右脳で直径3センチ未満の範囲であったので手術をせず脳の腫れをなくしていく点滴治療でした。いささか早めの意識回復でしたが集中治療室は24時間照明がついているので今は昼なのか夜なのか全くわかりませんでしたので看護師への質問は『今、何時?昼?夜?』で次いで多いのが『嫁さんに電話して!!』だったようです。右脳損傷のため言葉は、しっかりのようです。記憶にはありませんが妻曰く何度も病院から電話があって、その度に深夜でも車で妻は来てくれてたようですが病院に着くと大抵、私は爆睡状態だったと未だに言われます。
ICUでの出来事は全くと言っていいほど記憶にありませんが目が覚めれば体中のコードとチューブ、狭いベッド(私は身長185センチです)目を開けても物が何重にも映って見えて後遺症でトンボの目になったのか?と(@_@;)等、ストレスもピークでした。リハビリは救急搬送された翌日以降に理学療法士が来て私の手足を動かしていたと妻が言ってました
『今、動かさないと寝たきりになります。』と理学療法士は妻に言い、とにかく手足の関節動作にマッサージを懸命にしてくれたようです。この時の理学療法士が1カ月の間、私にスパルタであり優しくもあるリハビリをしてくれたのです。気が動転していた妻も理学療法士の懸命な姿を見て、あらためて大変な事になったと言ってました。
その後、1週間くらいと思いますがICUから2人部屋へ移動されましたが変わらず点滴3本に鼻から酸素、心電図みたいなコード数本、尿管は標準装備され寝返りも大変・・左腕をベッドの隅に忘れることは何度もありました。あまりに退屈さとストレスで妻にラジオを持ってきてもらいました。テレビ?無理無理・・TVはベッドの横にありますがリモコン操作もできませんしTVカードを挿入する事すらできないのです。主治医の脳外科医は女性で淡々と毎朝、様子を見にきてくれ『順調ですよ♪リハビリ頑張ってくださいね♪近くにMRI撮りますからね♪』と明るく言ってくれるのはいいのですが私は心の中で・・何が順調やねん(ー_ー)!! 左手足は変わらず鉛のように重たくて動かないどころか自分の手足の感覚が全然あらへんのが何が順調やねんと思ってましたが『そうですか良かった。』と返す自分が情けない・・のです。主治医が病室を出てから動かそうとして、あがくのですが( 一一)ピクリと動きません・・ある日、妻が『鏡見てみ。』と・・左目は閉じたままで左半分の顔が何かでプレスされたようになり垂れ下がってるではありませんか・・痺れもキツく歯医者で麻酔をされたような感覚が顔面左側全体にあって言葉も麻痺のせいか、ゆっくりしか話せません。ICUから脱出してから、やっとこ自分の体の状態が、わかり始めたのです・・妻と話すの身体を起こそうとしたのですが起こすことができへんのです。左手でマットレスに手をィ置いて足でふんばって起き上がろうとしましたが腹筋もできずおきあがれないのです(ん?手も足も俺のやんな?)手はダラリとしたまま・・妻は、そんな私を知ってか知らずか『お父さん、生きてて良かったぁ。一緒に頑張ろうね!』と励まされ思わず涙が自然と出たのを覚えてます。この涙は妻の励ましの嬉しさなのか・・それとも動かない手足のショックなのか未だにわかりません。まだ54歳やのに・・大学生と高校生の娘も居るし、まだまだ、リタイヤ出来へん・・。苦節半年の入院生活がスタートしました。
今日は、このへんで・・入院中、いろんな事がありました。恥ずかしい思い、将来への不安、再発の恐怖、人の優しさや温かさリハビリとの戦い・・それらを記憶をたどりながらツラツラ書いていこうと思ってます。

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