ゼルミナ女王と結託してエルミネール王国の先の国王の側妃ミルデラーテの想い出を独占しフェランを蚊帳の外に蔑ろにしていた頃からジークの願いを叶えるために闘っていたフェランとは既に心がすれ違っていたけれど祖国を復興させて共に宮殿に暮すようになってから更に心が離れていってしまったジークは救いようのないロクデナシです。
蛇族であることは確かだけれどフェランの側近ゼラードの親族らしいという類友のデュカールだけがジークの欺瞞を見破り彼の心に寄り添っているのです。
たとえ、名を変え姿を13歳の子供(現時点でフェザンと同年齢の外見)に変えたってアンジュが第1部《年代記》編の最後の最後で《魔法神殿》が求める保険を応じてフェランを裏切ったアルジェリックであることは明白です。それにしても、ジークとデュカールは引き合うモノがあって心の近い存在となっていますが、デュカールよりもフェランがジークと心を共に在るべきなのに、ジークが壁を作り遠ざかってしまったのです。とことん腐った奴ね、この馬鹿兄は。
アンジュは凍りついた大地に宿る己の罪にビクビクしながら、呪歌に意識を封印され深い眠りに倒れたフェランのためだけにズンズンと進んでいきます。オマケのフェザンやラジャールの石頭どもに軟禁されているバハウの皇子の1人のシェラダン皇子よりも、エルミネール王国からの依頼でフェザンを追い、あと一歩のところで取り逃がし“何で止めてくれなかったんだ”を連発したイマーザが気の毒です。
ところで、ヒッキー(引きこもり)&サボりんぼのジークは相変わらずの体たらくですね。絶世の美貌で心も美しく強くて誇り高いとデュカールを除くみんな(哀しいことにフェランを含む)が褒め称えますが、本当にジークの心が強ければ、腐れ女のラリッサの戯言(シェスラの種のラニール皇太子をジークの種だと思い込んだ妄想)を鵜呑にする醜態は晒さないでしょう。その結果、デュカールは“自分の妄想を他人に押し付けるな!あの馬鹿女め”と怨念をラリッサに投げつけることになるのです。
だからこそ、どんなに心の強い人間でも、いつも強いばかりではなくて心弱くなるのが人間ですが、ジークはグラグラしすぎて頼りにならないどころか逆にフェランの足を引っ張りますし、せめて持って欲しいとフェランの必死の懇願により王の称号を持ち、第1位王位継承権を有していても王位に就かなくて良かったです。
唯一無二にして絶対の祖国エルミネール王国&実質的な国王である弟フェランの利益を考えるべきなのに、ゼルミナ女王個人の恩義とリンバーグの国益を混同し、フェランは幸いにもリュキアと相思相愛になって幸福な結婚ができて良かったけれど、弟に政略結婚を強要しておきながら自分は独身生活&怠惰の隠遁を満喫し、国益のために強力な後ろ盾&有力貴族を肉親に持つ女性を妃に迎えるべき責務を負う王家に生を受けた者にあるまじき身勝手な真似をしていますから。
ミルデラーテがどんなに弱い女でも夫王が死んだからには自分が夫(側妃でも妻は妻)の分も子供たちを守ってみせると決意し文字通り体を張ってケダモノどもの毒牙をその身に受けてでもフェランたちを守るのが母親なのに、現実逃避に“私、死にます”と自刃した顔だけの女ミルデラーテに容貌ばかりか心の腐ったところまでジークはソックリです。
孫のミルデラータちゃん。隔世遺伝(先祖返りと呼ばれる現象)でお祖母ちゃんにソックリだけれど、弱く醜い腐り果てた心まで似ないでね。お願いだから。ところで、あのふんぞり返ったヴァーレンはどうしたのかしら?ゼラードの母レイラやリプティ、そのリプティの側近ガイもいないのは、第3巻以降を待て!という事かな。
クリセニアン《年代記》編(小学館キャンバス文庫)の次世代を描く第2部《夢語り》編の第1巻「エル・デオの眠れる王に」(小学館ルルル文庫)がドラマCD化され今年(2007年)の10月26日に発売されます。何故か、第1部「年代記」編をすっ飛ばしての次世代編のドラマCD化です!フェランのファンとしては許せない。
キャスト
フェザン(フェザラード・ラズ・オルフェ)王太子:神谷浩史、アンジュ&デュカール:宮田幸季、フェラン(フェラベリート・ラズ・オルフェ):関智一、ジーク(ジークラード・ラズ・オルフェ):関俊彦、リュキア王后:桑島法子、ミルデ(ミルデラータ・ラズ・オルフェ)王女:沢城みゆき、ラニール皇太子:寺島拓篤、セリシア皇姫:小野涼子、ラリッサ皇后&シェナ皇女:大浦冬華、謎の吟遊詩人:石田彰、エル・デオの名無しの皇子:浪川大輔、セオ・ザネス:千々石竜策…です。
問題の《夢語り》編のドラマCDのあらすじは“花の都の王宮から“光と闇”の物語再び!聖獣節の祭りで華やぐ新生エルミネール王国の王都エルシアは、表面上は同盟国だが水面下では敵国である隣国リンバーグ皇国との間にひとつの心配事を抱えていた。そんな中、王太子である13歳の第1王子フェザン(フェザラード・ラズ・オルフェ)は宴で、謎の吟遊詩人の美しいけれど禍々しい弾き語りを聴く。それは、囚われの姫君と封印された地底の国《エル・デオ》の皇子の結末のない呪われた物語…一方、王宮内では歌と重なるように事件が起こる。兄王ジーク(ジークラード・ラズ・オルフェ)に仕える家臣として国王代行を務める実質的な新生エルミネール王国の初代国王フェラン(フェラベリート・ラズ・オルフェ)が強力な魔法による眠りに倒れ意識を封印されてしまったのだ。夢と現(うつつ)が交差する時、新しい物語が始まる。今、フェザンの“光と闇”の運命が動き出した!”だそうです。
因みに、『ベルサイユのばら』の「第22話 首飾りは不吉な輝き」で王妃マリー・アントワネット(CV=上田みゆ起)が懐妊したことを夫である国王ルイ16世(CV=安原義人)に告げた時に“国王陛下!実は今日、大胆不敵にもわたくしのお腹を足で蹴飛ばした家臣のことで陛下に苦情を申し上げに参りました。”と言ったことからも、国王(皇帝)の配偶者である王后(皇后)や王子王女(皇子皇女)は国王(皇帝)の家臣なので、フェランは兄ジークの家臣として政務を執り行っているということなのです。しかし、馬鹿兄はそれに甘えてサボタージュの真っ最中です。両想いになれたとはいえ弟に政略結婚を強要しておいて、自分は独身主義を満喫などと、不届きな奴だ。
クリセニアン・ワールドのアメリカにあたる歴史浅き新参者の大国らしいリンバーグ皇国に生まれ育った馬鹿女らしく『クリセニアン年代記(5) 蒼き若鹿の風』の「第三章 皇宮の囚われ人:1」で“リンバーグにとって、エルミネール王国は、バハウ帝国への防波堤としてあって欲しい王国だが、同時に必要以上に大きくなったり、領土的な野心を持って欲しくもない、微妙な位置にある国だ。”とあるように、女王ゼルミナがリンバーグならではの身勝手すぎる考えに骨の髄まで染まっているのは当然として、後宮に匿ったつもりでいるけれどゼルミナは無意識の内にリンバーグに都合の良い思考をするように洗脳してしまった腐れ女の心のジークもまた、その成果として自国である新生エルミネール王国よりもリンバーグが有利になるように考え行動する己の愚かさに気づいていないから呆れます。
『機動新世紀ガンダムX』は第1話「月は出ているか?」に始まり、第39話(最終回)「月はいつもそこにある」で完結した物語でした。サブタイトルに《GENE[ゲーン]》シリーズとの共通点があります 『ガンダムX』は月で始まり月で終わり、《GENE[ゲーン]》は『天使は裂かれる』に始まり、『天使はうまれる』とあるように、天使で始まり天使で完結したのです。ただ、それだけなのですが何となく嬉しい
と思いました、自分でも何故なのかは分かりませんが。
《GENE[ゲーン]》で、誰よりも許されない罪を犯したのは、チーイン王朝 並びに〈旧・三国同盟〉を結び侵略の共犯となった国々…ラカの手先となって人体実験のモルモットを彼に献上していたフィアルドと何も知らなかったとはいえフィアルドの共犯である手下どもがおおぜいで他にも色々と悪事を働いている人身売買組織〈自由同盟〉とに踏み躙られ滅ぼされたラーチョオ王朝の唯一の生き残りとなった二形(両性具有)の主人公イリ・イン・チャンシャン(旧姓★ラーチョオ)が自分を捨てた男なのに“友”の座に据えて甘やかしたバルトです。五百香ノエルは、完結巻(第9巻)『天使はうまれる』でも“傲慢さも、幼稚さも、ヤンアーチェ・チャンシャンに限っては魅力となった。勝手な振る舞いも、尊大な物言いも、すべては彼が生まれながらの王ゆえだ。しかし――。「しかし王であれば、今回は……」「言うな、バルト」手にした酒のボトルを摑んだホークァンは、栓を抜いてそのまま勢いよく飲みはじめる。「……引き止めればとどまるものが真の王かもしれん、いや、それこそ俺の求めていた王の中の王だ。だが、解き放たれた運命をみずからの手で探り、絶対の勝利を摑むのが我が君だ。俺のヤンアーチェ陛下だ。止めることはできない」「…………」複雑な表情になったバルトは、納得するしかないという態度で押し黙る。世界の命運は、いまや望まぬうちに彼の手にかかっていた。解き放たれた運命というものがあるとしたら、自分もまた単身で帝国に向かっていたかもしれない。心細げな目をした一人の奴隷を、今度こそみずからの手で救うために、嵐の只中、荒波に飛び込んでいたかもしれなかった。しかしバルトは使命を忘れられない。世界の命運をかけた生涯の使命を捨てられなかった。それこそまさに、“イリ”という、この世にただ一人しかいない存在の、愛の行方をかけた、運命の分かれ道だったのかもしれない。”(P.41~42)と書いていますが、ヤンアーチェが王としての責務を捨て、愛妃イリ を救出すべく真・天空帝国の地下迷宮に潜入したのは、イリを切り捨て犠牲にして玉座とチャンシャンの安泰を選べば、王である前に1人の人間として…イリを愛する1人の男としての己自身は死ぬ事を知っていた
のです。そして、それは王としての死をも意味していたからです。このように、愛と使命は異なる
のです。“イリこそ我が全て…チャンシャンこそ我が世界、イリとチャンシャンを守るためにのみ我はあり
”と自負するヤンンアーチェが“イリの運命の人
”であり、バルトがそうではないから、という事とかは関係なく、愛や友情を平然と犠牲にし…1人の人間を救えなくて世界を、全ての人々を救う事など不可能です。それ以前に、その資格のないクズ
でしかないのです。
そして、イリの幸福が己の幸福と思い定め、生涯、無償の愛を捧げ見守り続ける、イリの真の守護騎士である黄金の騎士ミハイル・リンゲルバウアーの爪の垢を煎じてバルトのド阿呆に飲ませてやりたいと心から思いました。第8巻『心の扉』で“生涯イリの人生を見守り、その後見をつづけるつもりでいた。いまとなってはありえない。滅びを秘めた世界を見つめてしまったとき、たった一人の人間の人生を負うことはできなかった。”(P.77)と言い訳をしたけれど、元々 イリのことを愛していなくて肌を重ねたのも“情欲処理の人形”としか思っていなかったからであり、バカ兄貴たちと同様のロクデナシの己自身を自覚して、さっさとイリを捨てたクズなだけです。力となるバックも持たないイリでは役に立たないから、それがバルトの本音です。そうやってイリを捨てた罪から目を背け、世界の命運は我が手にかかっているとふんぞり返るバルトには呆れるばかりです。
サーシャよ、あんたを見ていると、私は情けなくなるわ 黄金の騎士ミハイルと並び立つイリの守護騎士たる白銀の騎士サーシャ・ホーフハイネンともあろう者が…と!情けないぞ、と大声で詰りたくなる。『心の扉』で“チャンシャンでの栄達の道をみずから放棄し、イリの従者として立ち返ってからの彼は、良くも悪くも世界から断絶された閉塞感を味わっていた。ミハイルにこの苛立ちを伝えても、無駄なことは知っている。昔から同じ一つの問題を考えていても、出す答えが一緒だったことはない。前を行くイリの獣馬の尾にも似たブルーブラックの束ね髪を見つめ、このまま一生、自分のものにはならない彼に仕えていくのかと思うと、孤独感にさいなまれる。こんな夜には自分は駄目な男だとばかり思い込んでしまう。どこかに別の生き方がある気がして、自分にとって正しい世界が待っている気がして、なにもかも捨てて逃げたくなる。できないとわかっているからなのかもしれない。なにもかも捨てる、特にイリを捨てる度胸が自分にないと知っているのも、サーシャが自己嫌悪に陥る理由だった。”(P.78~79)と、またしてもサーシャは悪い病を発症させている!第2巻『望郷天使』で腐るばかりの彼の姿に心を痛めたイリがユンヤミンに乞い願ったおかげで栄達の道を目指す事が叶い、嬉しさのあまりスキップしかねなかったサーシャの浮かれぶりにミハイルがは心の中で激しく嘆き怒り、リンゴも呆れたのは言うまでもない
更に、ピーマン頭の女パイリンを見せびらかせたり、と何処までもバカを披露し、危うくタオホンに地獄への道連れにされかけたイリの許に戻ってきた筈なのに、学習能力のない…まるで成長しない、お馬鹿のままです。ずっと、心の扉を閉ざし押し殺してきたヤンアーチェへの愛を彼に告げ、相愛の恋人となった至福に浸るイリを、小突こうとした愚挙は顔に全開で表れた為にミハイルとリンゴに阻止されましたが。
ラカ・チーイン・チーインは、どんな理不尽をしても構わない隷属国に自ら成り果てたのだから、文句などある筈もないだろう、と“永遠”を手に入れる為の材料となると思っているイリのいるチャンシャン王国を訪れて拉致する為の手駒としてチーイン王朝の血を引く“影”ワラウル・ドーテ・チーインを正妃候補という名目の置き土産にし、ラカの命により他の国々を侵略の共犯にする手伝いをしたフィアルドを見せしめに殺す舞台として、チャンシャンを選びました。で、その通りに、属国ゆえにラカが真犯人と知りながら、チャンシャンが責任を取らされた。情けないですね
ホークァン(後に復職してガッカリ )がクビになって万々歳
ですからコイツはどうでも良いのです
ホークァンや宰相ラジャは自業自得の死を遂げたフィアルドが持ちかけた旧・三国同盟を、嘗て、先の国王ユンヤミンを脅して調印させ、同盟を結んでチャンシャンを守ったつもりだけれど、人体実験のモルモットにされるのを先送りにしただけだったと崖っぷちの闘いに直面して、ようやく悟った。因みに、『心の扉』でラクチエ妾太后が、イリに亡命してから何年経つのか、と聞かれた時に、“12年です”と答えていましたが、これは五百香ノエルのミスか誤植です。ロッサが帝国に唆されたセルゲ公王家に攻め滅ぼされるまで、イリはレイダー公の許で3年を過ごしたのですからチャンシャンに亡命してから10年なのです。
画像は、完結巻『天使はうまれる』の表紙イラストの一部です。アップ2人は別方向を向いていて、角張った顔をしたイリは二形だから男でも女でもある“男”の部分を表現しているのだとしても嫌です。逆に、見つめ合い“恋する乙女”そのものであるイリ&“頼もしい夫王”の顔をしたヤンアーチェとの、ラブラブのツーショット が好きなので、こちらにしました。
五百香ノエルは《キリング・ビータ》シリーズもそうでしたが、《GENE[ゲーン]》シリーズでも、二形(両性具有)の主人公イリ・イン・ラーチョオ&チャンシャン王国の現国王ヤンアーチェ・チャンシャンの成婚の儀&イリの王妃(王后陛下)としての戴冠式を省略し、いつの間にか2人が結婚していて…いつの間にかイリが妊娠し、そして唐突に出産 というラストを含め、適当に誤魔化した部分が少し目立つようですね。しかも、ヤンアーチェを含めた他のキャラを美形にしてロクデナシのバルト曰く“パッとしねぇなぁ
これで一押しかぁ
”と主人公だけ“凡庸な普通の容貌&色が褪せたような髪とぼんやりとした感じの瞳”にと、殆どの人間の眼にはそう映るようにして、つまらない価値のない奴だと陰口を叩かれる事が殆どというのは、日本と日本人と主人公に対して失礼だ
と思います。自分も日本人なのに日本人独自の美しさとか、を日本人の主人公たちに投影して表現する、という書き方をどうしてもしてくれません。或いは、自分も日本人でありながら日本人というものに愛想を尽かしている
一方の《キリング・ビータ》の主人公シンユー・ナカノ(中野信勇)の容姿も凡庸でイリと同じく自分の容姿にコンプレックスを抱き、シン(シンユー・ナカノ)の恋人兼仕事上のパートナーであるウリエル・イーサン・ジャッドは“MEFB(Moon grand area. Earth Federal Bureau of Investigation=月面地区・地球連邦検察局、通称:メフビー)特別捜査部VMS(Virus Murder case Section=ウイルス殺人課、通称:ヴィームス)の貴公子”と呼ばれる金髪蒼眼の絶世の美貌の持ち主で“何処でも特別扱いされる”
というお得なキャラです。ところが、周囲の人間が“つまらない容貌”と看做すけれど、『キリング・ビータ』の「走査」“黒髪黒瞳に猫目のうえ、勝気で色白のアジア系ときたら、イーサンのストライクゾーンど真ん中である
”(P.48)の真性ゲイだそうで、その好みのアジア系がたむろするパブ〈17(セブンティーン)〉に入り浸る悪癖がシンと付き合う前から無ければ最初から応援できたのに
彼に罪はなくても容姿により五百香先生が差別をし…と言うより、どちらの物語でも主人公を…日本人を侮蔑し蔑ろにしているとしか言いようがない、“日本人や主人公というものに恨みでもあるのか”
と、私はマジで五百香ノエルに噛みつきたいです
金髪蒼眼&銀髪紫眼フェチが悪いとは言いません それぞれの嗜好があるのですから。が、“過ぎたるは及ばざるが如し”とあるように度が過ぎています
しかも事件のプロローグとエピローグでサンドウィッチという法則を決めたのは五百香ノエルなのに、《キリング・ビータ》の第2巻『偶像の資格』では垣間見えるイーサンの過去を第2巻を丸ごと描きたいがために、本来、あって当然である事件のプロローグの前にイーサンの過去のトラウマとなる事件を描いたイーサンのためだけのプロローグを入れ、2つの別々のプロローグで滅茶苦茶
になっていました。この巻は、本編とするには無理があり過ぎました。イーサンの過去をたっぷりと描きたいのであれば、どうしても描きたければ番外編とすべきでした。
それぞれの金髪蒼眼&銀髪紫眼は、《GENE[ゲーン]》ではミハイル・リンゲルバウアー(金髪蒼眼)&サーシャ・ホーフハイネン(銀髪紫眼)で、《キリング・ビータ》はウリエル・イーサン・ジャッド(金髪蒼眼)とオルガ・ミューレン(銀髪紫眼)となっています。因みに、ミハイルというロシア系の名は《キリング・ビータ》の第1巻でランナ・マックというアイドルが登場するのですが、彼女の恥知らずなマネージャーにも名付けられています。しかし、中身は当然だけれど大違いです!こちらのミハイル・モイという灰色の髪のマネージャーは殺人鬼に狙われているランナを守る事よりも、それをネタにマスコミを呼び寄せランナの危険を倍増させ利益を掻き集めたプロダクションに大賛成で加担したロクデナシです。こんな奴と同名かと思うと、《GENE[ゲーン]》のミハイルが気の毒でなりません
あろうことか五百香ノエル自身が主人公を凡庸な容貌と看做す元凶となって、周囲のキャラや他の美形キャラに目を奪われた読者に迫害される主人公たちはイリ・イン・チャンシャン(旧姓★ラーチョオ)、そしてシンユー・ナカノです。但し、正確には青銀の艶と輝きを帯びたブルー・ブラックだけれど一見して色褪せた黒髪に見えるイリ、そしてシンは黒髪黒瞳で黄味を帯びた白い肌と、凡庸な容貌にも五百香ノエルの嗜好が全面に出ていますね 最初は、醜い芋虫も蛹になり…やがて羽化して美しい蝶になるという発想が五百香ノエルには皆無
嗚呼、嘆かわしい
直江がグルグル廻ってばかりいなければ、もっと早く高耶と結ばれ、もっと長く至福の時を過ごせた筈なのに。桑原水名が最初から決めていたと思われる“高耶が死ぬラストの形”に固執したりせずに、《炎の蜃気楼》シリーズは当初の予定に当て嵌まらない高耶&直江に変貌していた現実を受け入れて、軌道修正した方が良かったと思います。400年どころか1万年を越えて元気に活動している霊魂もいるのに、何故、高耶だけが突如として魂核異常を起こし、穏やかに微笑んで眠っても絶対に納得できません。桑原水菜はこのラストで満足しているのでしょうが、生きて幸福になるラストに勝るものはないのです。そして、高耶&直江、他のキャラでも《炎の蜃気楼》を知る人々が、すべてを肯定し受け入れなければならないなんて、決まりはありませんからね。
第1部の直江はいったい何だったのでしょうか そばにいれば高耶を嬲る言動に終始し、離れて高耶が敵に拉致されたりすると“俺は何をやっていたんだ、あの人(高耶)を守らずに被害者ぶって
貴方に拒まれても私は貴方のそばに行く
”と、まるで回転扉のようにクルクル変わる直江に言動に“これでもか
これでもか
”とドロドロの愛憎も露わに翻弄されたがゆえに高耶はボロボロになってしまった。
氏政の愚劣な計画の贄にされかけたのは長秀がライバル意識なんぞで高耶を傷つけ、直江を苦しめているのはお前だ、無知は罪っていうけど本当にお前はそうだな、と罵ったけれど、無知は罪とは直江と長秀のことを言うのです!高耶が直江を苦しめていたのではなくて、直江やライバル意識でしか見ない長秀が苦しめ傷つけたのです。親友だと高耶が思わされていた譲も親友などではないし、景勝の転生でなくても、何のために最後まで桑原水菜が彼を出し続けたのか理解できません
『炎の蜃気楼(ミラージュ)8 《覇者の魔境》後編』の「第十九章 最後の真実」で“あなたにできることは、もう私の苦痛を一時取り除くための道具になることしかありませんよ。裸になって、俺に組みしかれて、俺を根元まで受け入れながら、歓喜にのたうってくれますか…………できもしないくせに……苦痛を忘れさせる道具になることもできないくせに。俺を救ってやろうなんて……。無責任なことを口にしないで。あなたの欠点は、その果てしなく傲慢で尊大なところですよ。あなたには何の期待もかけていない。あなたには、俺のために捨て身になるようなことはできない。犠牲になってやろうとか、身を削って尽くしてやろうとか……。あなたは最後の最後で、自分が一番可愛いひとだ。ちがうと言っても、無駄ですよ”と徹底的に仰木高耶(原名★上杉三郎景虎:うえすぎ・さぶろう・かげとら)を嬲り傷つけた直江与兵衛尉信綱(なおえ・よひょうえのじょう・のぶつな:現名★橘義明)ですが、“最後の最後で自分が一番大切な人間”とは高耶ではなくて直江自身です
性交渉を…同性・異性を問わず、それを恐れるのは無理もないことですし、性に対して恐れを抱くのは未経験者なら誰にもある。ましてや、高耶は400年前の越後に次兄・氏政(一般に長兄とされているけれど、夭逝した長兄が氏政の前にいた)に売られ出立の前の晩に、北条から離反した元家臣たちに輪姦され、心の奥底にトラウマを抱えているとも知らずに 更に、重要なことは直江は自分が我が身可愛さの高耶に踏みつけられ傷つけられた被害者を装っていましたが実際は逆です。『炎の蜃気楼(ミラージュ)8 《覇者の魔境》後編』の「第二十三章 『火合の法』」で“ヤケになってあの子を傷つけることだけはやめて。あの子は、あんたが自分で思ってる以上にあんたが大事なの。あんたの一言一動に怯えているのはあの子のほうだわ。”と、門脇綾子(原名★柿崎晴家)が言ったように、第1部の愛憎の400年目における被害者は、直江ではなくて…直江の自己愛の犠牲になった高耶です。
画像は、ギュスターブ・モローの《雅歌》です。酔っ払いのケダモノどもに凌辱される女の絵に見えますが、実際は何を描いたのでしょうね モローは。