TVアニメ『ゴーストハント』の原作である小野不由美先生の《悪霊》シリーズの続編《GH(ゴースト・ハント)》シリーズは、前シリーズの最終作『悪霊だってヘイキ!』で、養家のある英国に帰国していたナル(渋谷一也)が日本に戻ってきてからを描く物語です。
Wikipediaには“悪霊シリーズは、小野不由美の小説。1989年から1992年まで講談社X文庫ティーンズハートから刊行された。全7作。「ゴーストハント」名義でラジオドラマ化、漫画化されており、2006年10月よりアニメ化された。普通の女子高校生・谷山麻衣が、ナルシスト美少年の渋谷一也(ナル)をはじめ、変人揃いの霊能者たちと怪事件に挑むシリーズ。少女小説化としてデビューした小野不由美の出世作である。5年続く長寿シリーズとなり、今でも幅広い年齢層から支持されている。当時の少女小説は、主人公の一人称で書かなければならない、主人公は普通の女の子でなければならない、恋愛小説でなければならない、という暗黙の了解があったが、小野不由美はそのハンデを逆手に取り、三人称では書くことのできないミステリを、ホラーをベースに描き出した。”との記述があります。
《悪霊》シリーズは主人公・谷山麻衣の視点から描かれていたけれど、《GH》シリーズでは文章が三人称に変更され、同時に新しいキャラとしてSPR(渋谷サイキック・リサーチ)の外部の人間として、オカルト嫌いの東京地検特捜部の役人・広田正義が登場し、客観的にSPRが描かれていますが、第1作『悪夢の棲む家』で中断されているそうです。第1作目でですよ!恋愛小説の1つとして立ち上げた以上は、その続編にも恋愛小説として描かなければ不自然なのに。
小野不由美先生の情報ペーパー(1994年の時点で)によると、シリーズ中断の主な要因として、《GH》シリーズが前作(=《悪霊》シリーズ)のファンの望む物語と違っていたこと、及び、そのようなファンの望む物語(恋愛小説)は書けないことを挙げているそうです。具体的には挿絵の変更&《GH》シリーズに恋愛小説の要素がないことが不評の原因らしいです。要するに、作者の我が儘で第1作目で頓挫したわけですね、困ったもんだ。
恋愛小説を書きたくなければ書かずに、自分の書きたいモノを追求し、書き続ければ読者に通じるかもしれないのに、ストップし停滞させて「嫌だ」と訴えているつもりなのが、後ろ向きですね。
瀬をはやみ 岩にせかるる滝川の 割れても末に逢はむとぞ思ふ by 崇徳院
完璧に外部に対して感情を押し隠した、冷たく映る見事に抑制された表情――冷厳なる“氷の美貌”ゆえに黄金の騎士ミハイル・リンゲウバウアーは冷酷だと誤解されがちだけれど二形(両性具有)の主人公イリ・イン・ラーチョオを優しく包み込み、当初はサーシャばかりか己までが独占欲を露わに追い詰めればイリの心の拠り所が失われ、その安息が崩壊してしまうと知っていたがゆえにイリの望む“物分りの良い従者”という自分を敢えて演じる部分がありました。しかし、次第に心からイリの幸福と安寧を願うようになったミハイルはイリの存在自体が己の至福であり、その愛の成就と幸福のために行動してゆきます。
チャンシャン王国の内乱“二人の王太子の乱”の片方の主役であるタオホンが道連れにしようとした刃から身を挺してイリを守り、瀕死の重傷を負い死線を彷徨いました。奇跡的に一命を取り留め回復するけれど、怪我の後遺症により右足に障害を残しましたが、それはミハイルにとって愛するイリを守り抜いた勲章なのです。最初から五百香ノエルの分身(1)ロクデナシのバルトに売り渡され“スケープゴート”として闇に葬り去るつもりでイリを利用した五百香ノエルの分身(2)ホークァン・エイリー&五百香ノエルの分身(3)ラジャ・シン・ジュール宰相によって、チャンシャンを傾かせ衰退させたと難癖をつけ、“傾国の咎”を負わされ終身刑に処されたイリと共に〈才様館〉に入居しました。ヤンアーチェへの愛を自覚したイリが自らの足で歩き始めても、己がイリのものであることは変わらないと告げ、イリに未来永劫の愛を捧げ生涯独身を貫く。或る貴族の嫡子として生を受けたが、レイダー公によれば母は正妃となるのは不可能な、貴族社会で言うところの“下賤な女”らしいですが。
中央文庫『イズァローン伝説』第8巻(完結巻)の「11の巻 カドル(運命)の夜」での、カウス・レーゼンが愛するアル・ティオキア(主人公)を救おうとイズァローン王国の現王シド・ルキシュに面談を求めて魔力で拒まれながらも、一瞬の隙を突いてイズァローン王国を守る“金の谷の乙女”王妃フレイアを捕らえ“お教えしよう、フレイア王妃。主君を守ろうとする臣下は一時(ひととき)たりと迷わない、人を殺めることすらもためらわぬ。それほど自分を捨てている、主君のために鬼畜になることすらできるのだ。あなたは一瞬、わたしの血を見ることを嫌ったが、「私(し)」を捨てた情は何ものをも超える…!”





口に出しては言わねど露骨にイリを要求するラカに反発



誰の作品でも良し悪しはあり心を惹かれるか否かはあるけれど、五百香ノエルは無能だから、ただヤッているだけ。しかし、あさぎり夕先生の作品はエロにも深いモノがありますね。《GENE[ゲーン]》の前半でイリを妾妃として召し抱えたタオホンは情交の時も、そうでない時も殴る蹴るの一点張りのワンパタでした。しかし、《猫かぶりの君》シリーズの「新婚旅行」編でエピローグ直前での“初夜(何度もやっているくせに、今更という声が多々あるけれど)”での、久住弘樹(くずみ・ひろき)の“スパンクはこう使うものだ”には感心しました。
(株)集英社COBALT文庫の《猫かぶりの君》シリーズの第4弾『猫かぶりの君 4~新婚旅行編~』の「10 初夜に酔いしれて」で感情が高校時代に戻ってしまっていた久住が“ようやく元に戻ったと思えば、これかい!”と言いたくなるほどに見も蓋もないけれど、“何度も叩かれては、そのたびに突き上げられて、やがて痛みさえも快感になってくる。繋がった部分から湧き上がる卑猥な音と、喘ぎ続ける自分の声が、さらなる羞恥を煽って、最後に残った理性を粉砕する。もはや快感に揺さぶられるだけの器と成り果て、力無くシーツに取りすがる芳を、久住は遠慮もなく貫いた。”とあるように、久住曰く“スパンクというのは、ココの素晴らしさを味わうためにするものです。あのバカみたいに、闇雲に打ち据えるのは愚の骨頂だ”とのことです。単に暴力を振るっているだけだったタオホンに、こういうモノがあったら良かったのに。
池田理代子女史の名作『ベルサイユのばら』で、オスカル・フランソワの夫アンドレ・グランディエ(Andre Grandier)は、当初はチラッと出ただけで消える運命にあった“吹けば飛ぶような”単なる脇役でしたが、どのような作者の気紛れか…副主人公に昇格
しました。アニメ版に於けるフェルゼン帰還以降の不可解な雰囲気を漂わせた物語(アニメ)後半でのアンドレが、Wikipediaに“壮年期には物静かな包容力も備えた大人の男性として、オスカルを影ながら常に支える”とある部分に該当し、その部分のアンドレが《GENE[ゲーン]》シリーズの二形(両性具有)の主人公イリ・イン・チャンシャン(旧姓★ラーチョオ)に未来永劫の愛を捧げ影のように彼女の生涯に寄り添う黄金の騎士ミハイル・リンゲルバウアーにピッタリです
但し、オスカル=ラインハルト&アンドレ=キルヒアイス 、に見えます
激しい気性の片割れの暴走を阻止し、その心を支える影というのが、似ていますね。しかし、オスカルは激しい気性であっても狂暴ではありませんでした。ラインハルトは気位だけは高く狂暴だったので、相手が悪くても石で殴り殺そうとするなんて、施設に放り込まれた挙げ句に刑務所へと送られ、死刑になった方が世のため人のためです。
TVアニメ『吟遊黙示録マイネリーベ』&『吟遊黙示録マイネリーベ wieder』でローゼンシュトルツ学園の校長バルトローメーウスの髭と共に特徴となっている縦ロールを見て思いました。『クリスタル☆ドラゴン』の主人公アリアンロッド&TVアニメ『少女革命ウテナ』で生徒会の紅一点の有栖川樹璃(CV=三石琴乃)のような総縦ロールにと、文化文明の誉れ高き《ロッサ共和国》そのものであるレイダー公爵閣下には、その素晴らしい黒髪をセットして欲しい。
縦ロールの太さはTVアニメ『ベルサイユのばら』で“嫁して三年、子無きは去れ!”という陰口に苦しんで漸く[第1子の長女マリー・テレーズ、第2子の長男ルイ・ジョゼフ、兄の死後に王太子となる第3子(末っ子)の次男ルイ・シャルル]という3人の子を得て以降の“悲劇の王妃”マリー・アントワネットのような縦ロールの太さが素敵ですね。


ところで、イリの第1の祖国(生まれ育った国)であるラーチョオ王朝の《天空帝国》と袂を分かち


2つに分裂した、それぞれの王朝が支配するとはいえ、《天空帝国》と《真・天空帝国》ではどちらの人間も“帝国人”でややこしいから、ラーチョオ王朝の《天空帝国》を《天空皇国》にした方がラーチョオ王朝の人間は“皇国人”と区別が出来たと思います。嘗て、日本は分不相応にも《大日本帝国(だいにほんていこく)》と名乗り、“皇国(こうこく)の興廃 この一戦にあり”と言ったりもしたので、《GENE[ゲーン]》での日本にあたる《天空帝国》にピッタリです



日本を何かにつけて批判し中国在住の日本人を襲撃するように国民を政府が扇動するだけでも重罪なのに、アイガー初登頂で知られるオーストリアの登山家ハインリヒ・ハラー Heinrich Harrer の、7年間のチベット滞在で若き日のダライ・ラマ14世との魂の交流を描いた1997年のアメリカ映画『セブン・イヤーズ・イン・チベット Seven Years in Tibet』にもあるように、中国(中華人民共和国)はチベットを侵略・占領してダライ・ラマ14世を含めたチベット人を追い出したのです


それにしても、五百香ノエルは日本人でありながら、《キリング・ビータ》シリーズに続き、この《GENE[ゲーン]》でも、何故、こうも日本人蔑視、または、己を含めた日本人を卑下しているのか、としか言いようのない、日本人の容貌を差別し、また、日本人や日本に非道な仕打ちを平然と描写するのか理解できません。そういう描き方をするくらいなら、主人公とその祖国に据えなければいいでしょうに


日本に当たるラーチョオ王朝の《天空帝国》のあった島国は、国々の欲望に滅ぼされ首謀者であるチーイン王朝の《真・天空帝国》の植民地として、帝政から民主共和制に移行した後は《ロナン連邦》の領土という侮辱を受けるばかりです。《ロナン連邦》は嘗ての大罪のカケラでも償いになれば、と正統なる領土の所有者たるチャンシャン王妃イリに領土返還をしないまま




二形(両性具有)の主人公イリ・イン・ラーチョオと同じく奴隷売買で散り散りになった市井の民の一握りを除いた国民と共に、300人以上いた皇族は、イリの両親も含め全員、処刑されたために皇族とはいえ末席にすぎないイリは、第2の祖国《ロッサ共和国》をも無駄にプライドの高いセルゲ公王家がラカの口車に乗って滅ぼしたせいで、チャンシャン王国に流れゆき、先の国王ユンヤミン、正嫡の王太子たる異母兄タオホンに続きヤンアーチェにも妾妃として召され後宮にいました。しかし、13年前の《天空帝国ラーチョオ王朝》侵略&皆殺しに加担した大罪を犯した自国を恥じイリを心から愛するチャンシャンの現国王ヤンアーチェ・チャンシャンにはイリの素性を知って謝罪と己の仕打ちを恥じるマトモな心があり、イリに愛を請い正妃として迎えました。チーイン王朝最後の東宮ラカ・チーイン・チーインの従妹姫としてチャンシャンに潜入したワラウル・ドーテ・チーインによってイリが拉致された時、国王の責務を捨てヤンアーチェはイリ救出に赴きました!
ヤンアーチェに改めて嫁して“イリ・イン・チャンシャン王后陛下”となる前、チーイン王朝の罪を元凶たる東宮ラカ・チーイン・チーインに代わって彼の罪を…そして、己らが彼に従い犯した罪を償うべき〈ロナン連邦〉はラカの狂気の悪夢の贄に供すべく謂れなき殺戮と破壊により滅ぼされた《天空帝国》の皇族の最後の一人であるというイリの素性を知った途端、身柄を拘束し幽閉した
これで、五百香ノエルを低レベルと言わなくて何だというのでしょうね
2つの皇統に分裂した別々の国家となっても、元は同じ皇統だったチーイン王朝の罪はラーチョオ王朝の罪だと言わんばかりにイリにチーイン王朝の罪を背負わせ謝罪させるなんて、《GENE[ゲーン]》は駄作です。
OAV『銀河英雄伝説』の「第61話 歌劇(オペラ)への招待」でヤン謀殺を企んだ最高評議会議長ジョアン・レベロを拘束した時、[ジョアン・レベロ(CV=家弓家正)“何故、このような暴挙に出たのだ!?” ワルター・フォン・シェーンコップ中将(CV=羽佐間道夫)“お言葉ですが。暴挙とはあなた方のなさりようでしょう!私たちのことは置いても、ヤン・ウェンリー(CV=故・富山敬)への遇し方が公明正大であったと胸を張って仰ることが出来ますかな?” レベロ“言いづらいことだが…国家の存亡は一個人の権利というレベルで語り得るモノではない。” シェーンコップ“一個人の人権を守るために国家の総力を挙げるのが民主国というモノでしょう!ましてや、ヤン・ウェンリーが貴方たちのために貢献してきた過去を思ってもご覧なさい!!”]と、民主共和制の心を語ったシェーンコップに感動しました!これを〈ロナン連邦〉とロクデナシのバルトに、無能な五百香ノエルに叩きつけてやりたい
粗略に扱えなくても、 《クリセニアン》シリーズの〈第1部「年代記」編〉に続く〈第2部「夢語り」編〉の『夢語り(1)エル・デオの眠りに』で、突如としてリンバーグ皇国の皇后ラリッサが贈り物である花《スターノリア》が原因である魔法の眠りで倒れ、心を封じられるなんて新生エルミネール王国の初代国王なのにフェランがあまりにも気の毒な展開です。
しかし、“エルミネール王国の再建は王家たるオルフェ家に生を受けた我々の責務だ!”と、フェランに何もかもやらせて自分が継ぐべき王位までも押し付けておきながら、己は王家の責務を放棄し“ヒッキー(ひきこもり)”と化し、怠惰を貪っているジークは最低です。出番が多いわりにはジークは3人で表紙の片隅にいて顔もわからないほどに小さくて、共に並んでいる片方はエステニア・ラーザだと杖でかろうじてわかりますが、もう片方は誰だかわからない不遇を味わっているようですね。
ところで、フェランの子供たち…フェザン(フェザラード・ラズ・オルフェ)&妹姫ミルデ(ミルデラータ・ラズ・オルフェ)とバハウ帝国の皇族の誰かとの婚姻話が、何故、持ち上がらないのか?そんなつもりではなくても、亡きゼルミナ女王は庇護する内にジークを洗脳してしまったせいで、ジークは自国エルミネール王国よりもリンバーグ皇国の国益を優先して考えているのが明白な発言が露骨なので、私はリンバーグが大嫌いです。
ところで、リンバーグ皇国は歴史が浅くて領土が大きく力が強い大国だと、ひかわ玲子先生は仰っています。と、ということは、リンバーグはクリセニアン・ワールドのアメリカ合衆国ですね。尚更、エルミネール王国とバハウ帝国との絆を強め、今回のシリーズにおけるリンバーグとの縁談は破棄して欲しいですね。
なにより、ラリッサなんかの穢れた血をエルミネール王家に入れないで欲しいわ
ひかわ玲子の(株)小学館キャンバス文庫での《クリセニアン年代記》シリーズにはガッカリしました。何故かというと、アルジェリックが《魔法神殿》の言いなりになって、フェランの元を去ってしまったからです。それがショックで手持ちの《クリセニアン年代記》シリーズ全巻を古本屋に売り飛ばしました 当然ですよ。そのフェランの息子フェラザードが主人公の、《クリセニアン年代記》シリーズの続編『クリセニアン夢語り(1) エル・デオの眠れる王に』が発売されると知って“書かんでいい!そんなモノは!!
”と心の中で叫んだのは私です。
それにしても、フェランが主人公だった前回のシリーズが《クリセニアン年代記》で、今回のフェランの息子フェザンが主人公のシリーズが《クリセニアン夢語り》ならば、《クリセニアン》シリーズの「年代記」編に続く第2弾「夢語り」編でしょうか
この《クリセニアン年代記》シリーズで大嫌いなキャラは主人公フェラン(フェラベリート・ラズ・オルフェ)に自分が継ぐべきエルミネール王国の王位を押し付け、自分はエルメールで後のリンバーグ皇后ラリッサと乳繰り合い、不義密通を犯した厚顔無恥な罪人のくせに楽隠居の怠惰を貪る愚兄ジーク(ジークラード)です。『クリセニアン年代記(4) 月影の暗殺者』で、剣に塗られていた毒のせいで倒れたフェランをアルジェリックが癒している間、フェランは夢の中で、幼い頃、亡命する途中の山越えで山賊の棲み処に迷い込んでしまった時、ジークが囮になって山賊を誘き寄せ、その隙に助けを呼びに行く途中で凍りつくような恐怖をフェランが味わったことをジークは知らぬまま、『クリセニアン年代記(9) 緋の逃避行』での回想で、自分だけがフェランを失ったらどうしようと悩み、フェランは知らない自分だけの苦悩と恐怖だと思い込んだ独白に呆れました。
嘗て、エルミネール王国がバハウ帝国…というよりも、シャリザーンによって滅ぼされた時、我が身をケダモノどもの餌食にしてでも我が子を守るのが母として当然なのに、その責務を放棄して自己防衛のために自刃し、フェランとジークを見捨てたミルデラーテの弱さと身勝手さが容貌と共にジークに受け継がれてしまったのです。愚かなのは己に似すぎていても男ならば無事に済むだろうと思ったミルデの甘さです 尤も、男でも無事では済まないと気付かれたら道連れにジークを殺していたでしょうから、間抜けな女
で良かった。
ジークは作者の思惑とは異なる意味で王位に就かなくて良かったのかもしれません。本当の不幸とは、自分が不幸だと思い込むことであり、ジークの不幸とは、まさに自分が不幸だと思い込んで、不幸に酔いしれ悲劇の主人公を気取っているのです。しかも、『エル・デオの眠れる王に』の中で、疫病神ラリッサ皇后に対して“セリシア皇姫をエルミネール王国の王太子フェザン(フェラザード)の許へ輿入れ”ならばいざ知らず、あろうことか“降嫁”という言葉を使ったジークに呆れた エルミネールはリンバーグの属国ではないぞ
バカ兄が
リンバーグ側はこう言うだろう、という意味で言ったのかもしれませんが、卑屈なジークの本性と亡き女皇ゼルミナの庇護下にあったせいで、ジークは骨の髄までリンバーグの国益になるようにとエルミネール王国よりもリンバーグのためになることばかり無意識に考えるように洗脳されたも同然で呆れるより哀しい
第7巻『螺旋運命』は《GENE[ゲーン]》シリーズに入らない、シリーズの流れを殺す最大の欠陥です。ロクデナシのバルトは自分のために、自分の中でひっかっている義務や後悔を癒すために行動していただけだから、あっさりとイリを裏切り捨てることが平気で出来たのです。イリはバルトなんぞを愛していなかった、バルトだってそうです OAV『銀河英雄伝説』の「第61話 歌劇(オペラ)への招待」で“自分は国の為に私情を殺して筋を通した。自分はなんと可哀想で、しかも立派な男なんだ、という訳ですな。”と、ジョアン・レベロ(CV=家弓家正)に対して、ヤン救出に立ち上がったワルター・フォン・シェーンコップ中将(CV=羽佐間道夫)の台詞を、バルト&彼という自分の分身を“世界にとって掛け替えのない存在”として描いた五百香ノエルに叩きつけたい
人身売買組織のボスが連邦総長だなんて笑わせないでよ。
そして、ヤンアーチェの頼みでディトリスとのことをバルトに訊ねようとするよりもずっと前に既にバルトはイリを裏切っていたのです用済みのゴミのように棄てていた
恥知らずにもほどがあるわ
「4 青春の終わり」で“色褪せたようにしか見えないブルー・ブラックの長く豊かな髪の毛を、出会ったころと変わらずに後頭部の高い位置で束ね、両の鬢(びん)のところにサイドの毛を一房ずつ垂らしたイリは、こちらに来てから縫製したロッサ風のスーツに身を包んでいる。そのスタイルがもっとも彼らしく、たとえ芸術的な美からは遠い位置にある凡庸な容姿をしているのだとしても、やはりだれよりも印象的な人物に見えた。向かって左側に銀髪のサーシャ、右側にはわずかながら足を引きずる金髪のミハイル。どちらも静粛な面持ちで、初めて会ったころから年輪を重ねて美しく際立っている。彼らの姿を見るのは、バルトにとってただ目の保養になるだけではなかった。なつかしさ、憂い、翳り、喜びや楽しみ、それらはすべて青春を喚起させる郷愁なのである。”とあるように、イリ+ミハイル&サーシャを“青春を喚起させる郷愁”だと認識した事自体が、バルトの青春はとっくの昔に終わっていたことを示し、今頃になってそれに気づいた間抜けぶりを晒した
そして、イリを過去の存在に葬り去った罪を開き直って恥じない腐った根性が許せない。
それにしても、このシリーズのメイン・テーマは“ただイリの総受けのエロを描く”だけの、ヤンアーチェ以外の男にイリが凌辱されるシーンを書きたいだけだった第7巻は《GENE[ゲーン]》シリーズが失敗作であることを証明してしまいました 「3 恋の行方」で“イリがバルトの兄二人に呼び出されたのは、暗殺事件によって多忙をきわめるヤンアーチェが、後宮へ渡る時間も持てない慌ただしい日程の中だった。秘密裏な会見で実際に会ってみたイリは、二人の個性的な男たちから強い圧迫感を与えられ、バルトとは違う剣呑な空気を嗅ぎ取った。男たちとの面会の旨は無論、ヤンアーチェに知らされていない。知ればヤンアーチェは決して許さなかっただろう。実際危険な雰囲気を隠さない男たちを前にして、イリは来るべきではなかったという気持ちになっている。”とあるけれど、そもそも呼び出しを受けたからって、護身の術はなくとも警戒心はあるイリが応じるわけもないし、のこのこ出掛ける筈もない
当然、ヤンアーチェか或いは、クズのフィアルドが生前から次の盟主に指名していたバルトに“お前の兄貴たちに呼ばれたんだが、どうしようか?”とか尋ねるでしょうから、体を好き勝手にされても心は動かないからってヤンアーチェを裏切るに等しい行為をイリが死んでもする筈がないのです。
積悪の報いで地獄に堕ちた父親を失った腹いせにイリ妾妃殿下を凌辱したとは言っても、説得力のない不要な凌辱シーンです。五百香ノエルが如何に“作家として世に出るには早すぎた”かを証明しています。“高貴なお血筋の生き残りが、どこのだれに売られて、どんな恥知らずな真似をして生き延びたか、俺とローランはみんな知ってる”&“屈辱を感じるのか?たった数年王の妾妃などとまつりあげられて、本来奴隷として生き延びた性根を忘れたわけではないだろう?”とほざいて、長兄ダビデ・デナルドン・バティは次兄ローランと結託して嘗て自分たちの父フィアルドが人身売買という下劣な犯罪行為で売り飛ばした奴隷ごときと侮蔑して、ロクデナシの末弟バルトが差し出したイリを凌辱した
そう、イリを裏切って捨てた罪から目を逸らすためにロクデナシのバルトがスケープゴート[scapegoat]にして兄貴どもにイリを売り渡したに決まっている
ケダモノ兄貴どもを含めた人身売買組織〈自由同盟〉のボスのくせにバルトが知らない筈がありません。