intoxicated life

『戦うやだもん』がお送りする、画日記とエッセイの広場。最近はライブレビュー中心です。

高尾―甲府―小淵沢―松本―篠ノ井―長野―大宮―新宿(その4)

2007-04-30 | railway
ふと前方に目をやると、少女がひとり、いとおしげに後ろをチラチラ見ている。四人掛けボックスシートのうち、進行方向逆の窓側席以外はすべて埋まるような混雑率では、あえてそこに腰を落ち着けるにもおっくうなのだろう。


一方、車内の一角では、篠ノ井に向かう関西地方出身らしき母娘が、地元の温厚なおじいさんとのトークに花を咲かせていた。おじいさんが旧信越本線にあった碓氷峠のトンネル工事の話や、先述のスイッチバックの原理などについてやさしく解説すると、母親が尺を四倍返しにして応える、という構図が、篠ノ井線に入ってからずっと続いている。


平野には、三角巾を被ったような日本家屋がゴロゴロと横たわっている。長野盆地の磁場に吸い寄せられるように、鉄のレールは山あいの曲がりながら下っていくと、まもなく篠ノ井着。半数の客が降りた。


篠ノ井から長野までは再び郊外を走る。ここから、区分上は信越本線に入るわけだが、松本あたりから路線の境界はほぼ融解している。いうなれば、塩尻-松本-聖高原が「松本線」、篠ノ井-長野までが「長野線」という通勤路線であり、聖高原から篠ノ井までの区間が純粋なローカル線としての篠ノ井線、といった感がある。


じじつ、ライトを放つ乗用車が夕闇を破ると、窓の外は帰宅ラッシュの様相を呈してきた。瓦屋根が減るのに反比例するように、箱形のマンションといった、いわゆるモダン建築が多くなる。決戦の地・川中島も、駅前は戸建住宅の建設ラッシュに巻き込まれていた。


二人掛け用の小さなシートの中に納まっていた席待ち少女は、「えー、その男、まじアウト・オブ・眼中なんだけどー」などと叫ぶギャル二人組がすぐそばの床に尻をついたせいか、所在なさそうにしている。桜前線同様、はやり言葉にも進度に差があるようだ。


定刻18時30分。列車はほどなく、終点長野に到着した。


駅構内をすり抜け、善光寺へ向けてサクサクと足を進める。門前町の表参道には、地元の大手建設会社が手がけた北野文芸座や、老舗の旅館が立ち並ぶ。ある安宿の前には、YUIの『CHE.R.RY』を熱唱する修学旅行生の女子が三人座っていた。そのまわりを、男子が数名うろついている。


日もどっぷり暮れた境内には、家路に向かう人々の姿もある。国宝にも指定されている寺院が通学(通勤)路というのも贅沢だが、たとえば東京の地下鉄がどういうところを通っているかを考えれば、大した事ではないようにも思われる。しかし、彼我において決定的に異なっているのは、それが日常生活において視覚的に人々に訴えるか否か、という点に尽きる。いいかえれば、東京メトロ半蔵門線を毎日利用している人が、どのくらい本物の「半蔵門」を見たことがあるか、というようなもの。その数ないし比率は、善光寺を見たことのある長野市民とは比べるべくもないだろう。


ゆるやかな坂を登りおえると、本堂に着いた。賽銭を放り込み、しばし無心。


今日は新幹線で東京に戻る予定である。切符は長野到着時に購入してあるので、駅前のそば屋で腹ごしらえをする。ここでは鴨せいろと地酒を注文した。一杯ひっかけたかったので、大通りで見つけたバーに入るのもありかと思ったが、やめた。その隣にあったラーメン店の「東京 恵比寿」という安直な屋号が、どこかしゃくにさわったらしいのだが、理由は特にない。


せっかく長野まで来たのだし、と思って頼んだ鴨せいろは、極度の食わず嫌いである僕が、珍しく前向きに食べたいと思える一品だ。ところが、肉は三切れほどしかなく、麺もとりたててうまくない。信州そばに対する信頼はこんな些細なことでは崩れない、と言い聞かせる。


20時20分発のあさま550号が入線してきた。七時間あまりかけた旅の道のりも、時速二百キロの前では二時間あまりでリセットされる。旅はこれにて終いである。


「遠くとも 一度は参れ 善光寺」という文句も、旅の過程が人々の眠気を誘う現代では、空疎なことばに成り変わってしまった。かつて旅情と呼ばれていたもの、あるいは旅の妙味というものは、こうして確実に、そして着実に失われていく。そんな時代の潮流に対して、「思いつきの鈍行列車旅」ということでしか、ささやかな反抗を示すことができないのか――。さもしさを噛み締めながら、乗客もまばらな自由席の先頭に腰を下ろした。


景色は一瞬にして、背後へと押しやられていった。善光寺平は、夜の闇にひっそりと息を潜めている。


<了>