intoxicated life

『戦うやだもん』がお送りする、画日記とエッセイの広場。最近はライブレビュー中心です。

「ないなら自分であげればいいのよ!」

2009-07-30 | music
+/- / Megalomaniac


この投稿者さんのセンスはすばらしい。さてプラスマイナスって音楽的にもメンバーの人種的にもミクスチャーなバンドで、実際来日公演見たり“steal the blueprints”がちょっと話題になったりしたんだけどどうにも好きになれんかった。でもこの曲を聴くと、Incubusの『Morning View』のようなオリエンタル風ミクスチャーのいい部分だけをうまく抽出して、自分たちの音楽に吸収できている。また5/8のリズムもさることながら、サビのハーモニーが純正エモロックよりわざとらしくなくて好感が持てた。ちなみにMegalomaniacって曲名だけでなく、アルバムタイトル(『You Are Here』)からも先輩バンドへの意識がはっきりとうかがえる。

Incubus - Megalomaniac & Wish You Were Here


 

今月のレシート

2009-07-27 | ライフサイクル
怒涛、というほどではないものの、それなりに忙しい日々が終わった。修士論文の中間発表会というものがあり、今月はその準備に追われていたのだ(お湯の新作作業などもあった)。ゆえに最近は「調べるための読書」ばかりだったが、これでやっと「愉しみのための読書」を再開できる。では明細いってみよう(新書に限り、借りて読んだものはブクログにも載せてます)。


●文庫
佐野眞一『だれが「本」を殺すのか(上・下)』新潮文庫
ほしのゆうこ著、Charles M. Schulz原作、谷川俊太郎訳『スヌーピー――こんな生き方探してみよう』朝日文庫
橋本克彦、野田峯雄、鎌田慧『鉄道員物語』宝島社文庫

●新書
荻上チキ『社会的な身体』講談社現代新書
藤木TDC『アダルトビデオ革命史』幻冬舎新書
佐々木敦『ニッポンの思想』講談社現代新書
岡田暁生『音楽の聴き方』中公新書

●マンガ・ムック
あらゐけいいち『日常(4)』角川書店
増田明利『今日、ホームレスになった』彩図社

●単行本
想田和弘『精神病とモザイク――タブーの世界にカメラを向ける』中央法規出版
原武史編『「政治思想」の現在』河出書房新社



購入点数自体こそ少ないが、今月は当たりだった。なかでも『音楽の聴き方』は、今年の新書ベスト1候補。<[バイヤールのいう]「内なる図書館」が食い違っている人間同士が論じ合うと、一向に話が噛み合わず、「耳の聞こえない者どうしの対話」になってしまう>、<「音楽を語ること」は決して高級文化のステータス、つまり少数の選良の特権であってはならない>などなど、音楽を含む芸術全般を論じるうえで重要な、引用したくなるフレーズのオンパレードである。

第三章「音楽を読む」では、ジョン・ケージ=サウンドスケープの系譜の源流がサティにあることの意義を改めて考えさせられた。その他にも、筆者のいう「聴く型」に関する著名人たちの含蓄あることばが随所に散りばめられている。最後に、三島由紀夫のこのセリフを紹介しておこう。「音楽に対する私の要請は、官能的な豚に私をしてくれ、ということに尽きる」(『小説家の休暇』)。

『アダルトビデオ~』も、70年代のロマンポルノから裏本・ビニ本などを経て、ハードコア(=本番)をそつなくこなす美人AV女優が登場するまでの過程がクリアに描かれる良作。

たとえば89年にアンアンが「セックスで、きれいになる」と言い出し、黒木香なる美人AV女優が出現するまで、本番女優の相場はブスと決まっていたという。日ごろ、ビデオ店にいくたびに「どうしてこのレーベルはわざわざブサイクな女を選ぶのか、といいたくなるくらいブス女優しか起用しないのか。誰が買うんだこんなもの」との疑問を持っていたのだが、この話を読んでなるほど、と合点がいった。つまり往時=80年代のハードコアAVファンにとって、AV女優はブサイクでなければならなかったのである。

全体的に廉価本の多いのが残念なところ。金かせがにゃな。なお7/27現在、小樽市内の書店にあずまんが新装版2巻は未入荷である。島流しによる「情弱」のつらさを再び痛感する。


MUSIC:Impossible Germany / Wilco




So much for (hope?). /このへんでやめとこうか

2009-07-20 | ライフサイクル
 北海道にも蝦夷梅雨というのがあるらしく、洗濯物の乾かない、20度を下回るような日々が続いている。湿気がないぶん肌寒い、というかフツーに寒い。大雪山の事故もある種納得の気候である(天候だけでなく、ガイドの不案内や客の防寒対策などのさまざまな要因が絡み合ってのことのようだが)。


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 名古屋場所は今日から後半戦である。中日の昨日、ハイライトはなんといっても稀勢の里―朝青龍戦。相撲内容はともかく、土俵際で勝ちへの執念を見せた稀勢の里の勝利インタビューを聞いていたら、不覚にも目頭が熱くなった。これが前日、白鵬との取組で出ていれば感動もひとしおだったが、このあたりが東西横綱の勢いの違いを象徴しているのだろう。

 場所を通しては、久々に幕内上位の岩木山、返り三役の旭鷲山といったベテラン力士の活躍に注目していたが、上位陣にはやはり歯が立たない。新関脇の鶴竜もいまいち気迫が足りない(技の巧さは文句なし)。大関陣では全勝リターンの琴欧洲はもとより、琴光喜に地元・名古屋での奮闘に期待したい。しかしミッキー、六日目(対稀勢の里)の足を滑らせての敗戦は痛かった。なお日馬富士は結局気負いすぎている。口では平静を装っているが、五日目の阿覧戦(×はたき込み)を見ても、まだ相手の動きを冷静に見ることと飛び込むことのバランスがとれていない印象。三日目の完敗は、琴奨菊・ガブリエル・和弘のがぶり寄りを褒めたほうがよかろう。


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 今週末に開かれる修士論文中間発表会、その準備の合間をぬって『だれが「本」を殺すのか』(佐野眞一)を読んでいる。そんな折、次のニュースが目に入った。そこで、佐野さんとは異なる視点から(まだ読了していないのでなんともいえないが)、端的には「おこづかい」という観点から、出版不況について考えてみる。

 「メディアにおカネは使いません」15歳の高校生の報告が反響
<無料のメディアをうまく使いこなす一方で、財布のヒモを締める10代に、新聞やテレビなどメディアの経営者は頭が痛いようだ。>

 ネット上では少し話題になった記事である。件の高校生は英国在住らしい。彼の地の高校生によるケータイ利用状況など僕にはさっぱりわからないが、とりあえず英国ボーダフォンの公式サイトから、日本の高校生の利用スタイルに近いであろう料金プランを選んでみた。

http://shop.vodafone.co.uk/shop/price-plans/24-months-300-mins-unlimited-texts-15
 このプラン、基本料金は月15ポンド(約2,316円)である。二年契約が条件ながら、無料通話が300分つき、テキストメールは打ち放題。また通話超過分は通話先によって1分20~35ペンス(=約30~54円)かかり、写メール(Picture message / Video message)などにも別途料金が発生する。

 日本ボーダフォンを買収したソフトバンクから、上述のボーダフォンに近い条件の料金プランを選び、比較してみる。ここの「なによりネット派」だと、ホワイトプラン980円、パケットし放題で1,029~4,410円、S!ベーシックパック315円。またここで、日本の高校生の利用実態を想像しつつ、STEP1(21~25時のソフトバンク携帯への通話およびフルタイムでの他社携帯への通話の合計が50分以上か)、STEP2(添付つきメールやゲーム、着メロダウンロードを日常的にやるか)、STEP3(家族内で自分だけがソフトバンク加入か)の質問ですべて○を選んでみる。すると総額で3,312円~と出た。これは先の「なによりネット派」とほぼ同じ数値である。

 小まとめとしては、日英ともに基本料金は2,500~3,000円。日本の場合、それにもろもろがついて月額5,000~10,000円のゾーンが一番多くなる、ということらしい(参照ここ、少々古いデータだが)。

 さて、ケータイ・PHSの普及が出版不況と同時代的に進んできているのは感覚的にわかるということにしておいて(そこまで実証するのは面倒くさい)、生活者の視点で考えると、若者の本離れの大きな要因はこのあたりにあるように思えてくる。

 言うまでもなく、学生にとって月五千円とか一万円というのは大変な額である。それだけあれば、雑誌のひとつやふたつだって定期購読できるだろう。ただ忘れてならないのは、それをアルバイトで稼ぐにしろ、「おこづかい」という名の家計費で賄うにしろ、ケータイ出現前にも学生はそれだけの自由なカネを持っていた、ということだ。

 しかし今、その使い道は「基本料金」としていわば天引きされている。つまりケータイは、五千円もの娯楽費を自由に使えない構造を生み出したわけだ。もちろんここに、月々のインターネット接続料金を加えてもよいだろう(先の英国学生も「ネットは無料」といっているが厳密にはそうではない)。ケータイ、ネットの普及によるインフラ費の増大によって「おこづかい」の大半が奪われていく現状を鑑みると、出版業界――に限らず、テレビ、新聞、音楽などあらゆるメディア――が訴えるべきは、ケータイ料金、特に通話料金の値下げといえるかもしれない。


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講談社現代新書2000点突破、おめでとうございます。去年は岩波新書が70周年、今年は中公と現代新書がそれぞれ2000点と、「御三家」の奮闘に今後も期待。『中公新書の森』の現代新書版も読んでみたかった…。



MUSIC:RE-THE NEW SONG/クラムボン


謙虚さのかけらかなぐり捨てにけり

2009-07-13 | ライフサイクル
打ち上げ花火への水かけ論(小田嶋隆)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090710/199778/?P=4

<花火は、祭りと同根のイベントだ。いずれも、一過性の熱狂と人混みと、カネと利権を運んでくる。で、後には大量のゴミを残して行く……商業化した現代の祭りは、地域住民による神事ではない……どちらかといえば、観光客を誘致するためのイベントになる……プロの踊り手か、でなければ、各地の祭りを渡り歩く専門サークル(「連」と呼ばれている)のメンバーが中心になる>

札幌圏で暮らすようになってはじめて「よさこいなんたら祭り」を知った人間としては、ですよねーと言わざるを得ない。もっともこのなんたら祭り、札幌大通公園の公益性・機能性の高さにうならされた事例のひとつではある(今頃はビアガーデンで盛り上がっているはず。冬はあの「雪まつり」)。

あるものごとの土着性とか文化性を表面的に取り出して、自分たちの欲望を満たすために利用するというのは古今東西行われてきたことだろうし、そうした模倣・継承がまた新しい文化を生み出してきた側面もあろう。そこに商業性をプラスしたのが現代の花火や祭りというわけで、資本主義社会に生きるうえでは、かつてあった(とされる)文化の純粋性みたいなものが汚されていくのは当然だ。

結局、汚れかたの度合いが問題なのであって。元々言われてきたことではあるが、ソーラン節をベースとするなんたら祭り、特にここ北海道のそれはかなりのもの。第一、ほんたらイリュージョンのどこに文化の香りがするだろうか。「プロレスは演出だ」と豪語するWWEよろしく、商業的にやるなら徹底して商業的にやってもらいたい。地域振興みたいな隠れ蓑を中途半端にかぶるから腹が立つのだ。

全然関係ないけれど(ぼくにとっては関係ある)、これってウチの研究科にもいえることなんですね。新聞を刊行順に並べることすらまともにできない人間が60人も集まって学ぶ「公共的合意形成」ってなに?っていう。「上から目線」で何が悪い!(『朝日新聞』2009年7月12日、オピニオン面参照)って話ですが。


 

VAIO/尼崎/非再販

2009-07-08 | opinion
VAIO W 徹底検証
http://plusd.itmedia.co.jp/pcuser/articles/0907/07/news076.html


これは…買いだな…。


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JR西の山崎社長を在宅起訴 福知山線脱線事故
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20090708AT5C0800R08072009.html


<遺族らが同容疑で地検に告訴した井手正敬元相談役(74)、南谷昌二郎顧問(68)、垣内剛顧問(65)の歴代3社長は、「過失はなかった」として嫌疑不十分で不起訴。兵庫県警が山崎社長のほかに同容疑で書類送検した歴代幹部8人と死亡した運転士(当時23)も不起訴とした>

この記述には当然、山崎社長にすべての責任を転嫁しようとするきな臭さが漂うのだが、ひとまずぼく個人が思うところを二点述べたい。ひとつは、二年ほど前に見たNHKのドキュメンタリーである(以下、詳細は省いてあらすじだけ書く)。

あまり報じられていないようだが、山崎社長は就任後、すべての遺族のもとに足を運び、謝罪をして回っている。その様子を三年(?)に渡ってNHKが密着取材していた。当該番組の眼目は、謝罪を求める遺族および世論からの外圧と、企業・組織の長としてのかじ取りを迫られる内圧とに苦難する社長の姿だった。

事故を受けて当時の最高責任者(ならびにそれに類する重役たち)が辞任し、関連子会社の社長だった山崎氏がJR西日本本体の社長に就任した。あらゆる組織には束ね役が必要であり、それまでの重役たちがこぞって職場を去った状況にあって、山崎社長を補佐できるレベルの人材はもはや残っていなかった。

そこで事故の三周年(だったか)をもって「反省終わり」とし、社長は事故で辞任した重役のうち数名を会社の中枢に呼び戻す。その人事決定を遺族のもとに報告しに行った山崎氏は、行く先行く先で「事故の責任をどう考えるのか、JRは責任の大きさを理解していない」と非難される。人事は結局見送りとなった。

会社の論理と、遺族の感情。内外の圧力を必死に受け止めようとする山崎社長の姿を、NHKのカメラはしっかり捉えていたと記憶する。

もうひとつははっきりと覚えている。2007年12月、ぼくが尼崎の事故現場に足を運んだときの記憶である。

廃止の噂が飛び交いはじめた寝台急行『銀河』に乗車し、早朝大阪に到着したぼくは、事故当日と同じ(ダイヤ変更のためほぼ同時刻の)福知山線の電車に乗ることにした。塚口駅で下車し、尼崎方面に徒歩で向かう。たしか西口に交番があって、その先から住宅街に入る。新築・築浅のマンション街を抜け、立体交差の高架下をくぐる。線路の東側には町工場のような雰囲気もあった。

まもなく、問題のマンションが見えてくる。低層階はいまだにシートにくるまれていた。尼崎市公設地方卸売市場を横目に踏切を渡り、「エフュージョン尼崎」と書かれたネームプレートと、植栽の整ったエントランスの前に立つ。視線の先には警備会社の男性。通行人ひとりひとりに対して深々とおじきをする警備員。踏切を待つ人々や自転車には見慣れた景色らしい。

花束を持った中年男性がマンションの奥に入っていく。手ぶらで来てしまったことを一瞬悔いつつ、その男性に続いた。警備員から写真撮影は遠慮いただきたいとの由。「ただの通りすがりなので…」との意もこめて、軽い会釈で済ます。

マンションにはすでにひと気はない。一両目が突っ込んだマンションの一階、おそらく屋内駐車場だった場所は、コンクリートはもちろん水道管のようなチューブなどがむき出しの状況だった。建物の柱のそばには小さな仏像がある。その奥に、線香や花束などの見舞い品を手向ける仮設の祭壇が備えられている。その間も列車は次々と、急カーブで減速しながら、鈍いブレーキ音をあげながら、通勤・通学者たちを運んでいた。

エントランスへと戻ると、まだ二十歳前後と思しき丸刈りの青年が向こうから歩いてくる。こちらに気付くと、彼はとっさに最敬礼をした。その間、およそ5秒。体を戻した彼の顔を、ぼくは直視できなかった。胸章を見るまでもない。彼はJR社員ではなく、ただの派遣警備員なのである。

いったい彼は何のために、誰のためにぼくに頭を下げたのか。その疑問は、若者の機敏な動作――その動作によってのぞけた坊主頭の後頭部――とあいまって、二年経ったいまでもぼくの頭から離れない。今晩辞任を表明した山崎社長の姿は、その記憶をさらに濃いものにしたのだった。


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永江朗『本の現場』(希望小売価格¥1800)
http://www.pot.co.jp/books/isbn978-4-7808-0129-3.html


委託販売・再販制とは、出版社が小売価格を定価、つまり値下げ不可とするかわりに、書店は一定期間内は自由に返品できる制度である。岩波書店など買い切り制を敷いている版元もあるが、独禁法の例外規定に書籍が含まれている(=買い切り・再販制?)ので、基本的に書店は定価で売らざるを得ない、というふうにぼくは理解している(走り書きなので大いに怪しい)。

この本は「非再販」本なので、書店主の裁量で値下げが可能である。ただ、再販制下の定価システムに長年浸ってきたわけだから、急に「値段をつけていいよ」といわれてもふつう書店は慌てるだろう。なのでぼくの印象では、たいていの書店は横並び志向に走って¥1800で売るだろうと思う。もっとも、大手書店が一律¥1500とかにすれば、一定の影響は見られるに違いない。

あと思うのが、部数の出ない中小出版ではなく、大手出版社から数万部出る本を試金石にできればおもしろかったろうに、ということ。たとえば『1Q84』を非再販にしたらどうなっただろう。むしろ定価以上で取引されたかもしれないな。



私信

2009-07-03 | ライフサイクル
小樽モドリ。ヤマトの再配達通知が三通も入っていたので今日の午前中に設定しておいたら、11:57に到着。そりゃあ、たしかに午前中だけどよお…。

以下、極私的なことなんですが。Hくん、ご結婚おめでとう。椿山荘での挙式、出席できずごめんなさい。T(S)さん、ご入籍おめでとう。台湾式の結婚式、楽しみにしてます。


※メモ:柏倉隆史使用スティック
pro-mark AMERICAN HICKORY 737